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テロメアの花束


何度も生まれ変わるなんて嫌だと輪廻転生説に異議を唱えたのは10歳の頃だった。その頃身体は病魔に蝕まれ、ベッドで寝たきりの生活を送っていた。窓の外なんて、見れた日にはラッキーくらいのもので。

私の命は終わりを迎えようとしていた。

見舞いの人間すら来なくなって、世界から捨て去られた存在になった。若い女性看護師は同情したのだろう、輪廻転生説を口にした。患者に死後の話をするなんて医療従事者失格ではないのだろうかと思えたが、それすらも気に留めないほど全てがどうでも良かった。

「命あるものは何度も転生するの。どんな生き物になるかは分からないけれど、仏教やヒンドゥー教で唱えられてる説だね」

「転生する理由は?」

「さぁ?でも生まれ変わるのは素敵だよね」

「どこがよ」

吐き捨てた私に看護師は眉を下げ笑みを浮かべる。

「輪廻転生なんていいように言ってるけど仏教における転生は苦しみでしょ。転生しなくてもいい涅槃にいくために信心を深める」

「詳しいのね」

「中途半端な知識で語るの止めて」

起き上がれなくとも知識が身につかないわけではない。今世を諦めた両親が様々な宗教に傾倒し教本を病室に置いて行くようになったからだ。6畳半の狭い病室に、世界中の教本が積まれている様は見るに堪えない。もっとも二人は傾倒した結果、現実を見る事無く心の安寧を求めたようだが。

「生まれ変わってもこんなんなら最悪でしょ」

自由に外を出歩けたのは10年の中でどのくらいあっただろうか。2年にも満たないかもしれない。最後に太陽の下を駆け回ったのはいつだろうか。憶えてもいない。

『前世の業が現世に現れる。だから貴方は悪い事をしたの』

数ヶ月前見舞いに現れた母に言われた言葉だった。以来、彼女の姿は見ていない。10歳の子供に言う言葉ではないだろう。彼女は泣きながら、罪を償わなければと言った。

罪ってなんだ。残念ながら前世の記憶など無い。生まれてきた事が罪だというのなら死ぬ事でそれが終わるのか。なら放っておいて欲しかった。どうせ死ぬなら身体中に繋がる管の全てを取り外して欲しい。薬を飲まさないで欲しい。管理しないで欲しい。

外に捨て置いて欲しい。

「私的には生まれ変わるって素敵な事だと思うのよ」

「まだ話すの」

「うん、話すよ」

看護師が椅子に座る。彼女は布団の上から優しく私の腹をポンポンと叩いた。まるで、子供を寝かしつけるようだった。

「憶えていなくても前の世でやり残した事とか出来るかもしれない」

「そのやり残した事を憶えてないでしょ」

「前の世より長生き出来るかもだし、素敵な人に会えたりとかするかも」

「だからそれも全部憶えてないんだって」

忘れるんだよ。それでも彼女は話を続ける。忘れてもいいんだよと告げられる。

「その方がきっと幸せだもの」

彼女はもう何も言わなかった。立ち上がり点滴を変える。新しい薬だろうか。台にそれを付け替えた時、彼女は頑張ったからねと微笑んだ。

「沢山頑張ったから幸せになっていいんだよ」

頬を撫でる手がやけに優しくて温かくて目を細める。薬が左腕から入って来る感覚がした。途端に眠気が襲い目を開けていられなくなる。何が起こっているのだろうか。ただ頬に触れていた温かな熱だけが、最期の瞬間までそこにいた。



「終わってる」

スーツを投げ捨てた。持っていた給料明細を握り締める。一人暮らしの部屋に温もりは一つもない。

社会人三年目の夏だった。流行り病のせいで勤めていた会社をクビにされ、何とか入る事の出来た会社で朝から晩まで働きづくめ、生きるため一生懸命だった。

よく分からないが私は子供の頃から生きようとしていた。どんな危機的状況でも生きる事だけは諦めたくなかった。生に執着しているのは何の因果だろうか。自分にも分からない執着は、前世に関わっているのだろうか。非科学的な話をしたくはないけれど、もしあるとしたら私は相当な死に方をしたのだろう。

給料明細に刻まれていた数字は15万。これだけ働いて手取りが15万である。馬鹿みたいな額の税金が引かれ、残されたこの15万は私の一か月を否定しているようだった。

家賃に奨学金、光熱費、水道代、食費。手元に残るのはどれくらいだろうか。考えたくもなかった。

生きるために一生懸命働いているのに、その結果がこれだなんて笑ってしまうだろう。

人は金銭さえ気にしなければどこへでも行けると言った。ポケットの中に入っていた小銭を取り出してからジャンプしたら高く跳べるのと同じで、私たちは生きるために心身を削って金銭を稼いでいる。

何だか馬鹿みたいだ。

よく考えたらどうして生に執着していたのだろうか。苦しむなら生きる意味なんてどこにも無いんじゃないか。何だか全てが上手くいかない。この状況から抜け出すため、転職でも引っ越しでも何でもすればいいのに、する元気すら無くなっていた。

ベッドに横たわりながら、もし前世があったならきっとろくでもなかったのだろうと考えた。輪廻転生なんてくそくらえ、罪があるから生まれ変わるなんて酷い話だ。何十回、何百回だって転生しても業が消えてくれなければ終わりなんて訪れない。

きっと、くだらないこの絶望感も私の業であるのだろう。

「死ぬか」

頼れる人なんてどこにもいなかった。両親は子供の頃に離婚し、母子家庭で育ったけれど母は父から送られる養育費を使い消すような人間だった。おかげで我が家は貧乏、アルバイトをして大学進学をきっかけに家を出てから一度も帰っていない。

愛情のない人だった。私がどこで何をしていようが気にせず、面談も参観も来た試しがない。養育費が貰えるから引き取っただけ。父の不倫は許されるものではないが、こんな人間なら不倫もしたくなるだろうと思ってしまうくらい酷い人間だった。

父には不倫相手との新たな家庭があり、子供にも恵まれて裕福で幸せな暮らしをしている。一度会いに行った時、二度と来ないでくれと言われた。金なら送っている、だからもう、関わらないでくれ。無情にも梯子を外された。

離婚してから父の両親には会えなくなって、母の両親はどこにいるかも知らない。スマートフォンが鳴る。母からのメッセージだった。

『20万振り込んで』

簡素なメッセージに立ち上がる。何をしたらこんな人生になるのだろうか。頼れる人なんていない。愛してくれる人もいない。恋人も友人さえ疎遠になっていった。孤独だ。唯一のつながりは血よりも金で出来ている。

「もういいかな」

ベランダの鍵を開けた。外に出て眼下を見下ろす。ここに住んだ時、無理をしてでも7階を選んで良かったと思う。高い所に住めばこの先、良い景色が見れると思ったのだ。一種の願掛けに縋る事しか出来ないほど疲弊していたのに、ずっと気づかない振りをしていた。

手摺に足をかける。その時だった。

「本当にいいの?」

振り返ると自分の部屋に女性がいた。黒髪の、綺麗な人だった。女性は眉を下げ微笑んでいる。

「止めないで」

不法侵入だ、騒ぐ気すらなかった。どうせもう死ぬんだし、関係ないだろう。ていうか私、鍵閉めなかったのか。なんて、どうでもいい事ばかりが頭に浮かぶ。

「止めないけれど、魂は廻るかも」

「生まれ変わるって事?」

「ええ、業が消えないと人は生まれ変わるみたいだから」

「業って何よ、憶えてないんだから何も出来ないでしょ」

「忘れていいんだよ」

彼女はゆっくりこちらに近づく。足をかけて今でも飛び降りる事が出来る状態で止まった。

「沢山頑張ったから幸せになっていいんだよ」

何それ。問いかける前に彼女の手はこちらに伸びた。

そして私の肩を押した。

真っ逆さまに落ちていく感覚に目を細める。ベランダから顔を出していた女性は静かに涙を流していた。



「また駄目だった」

一人、女は呟いた。手には一輪の花、赤い彼岸花を握り締めていた。

「幸せになれないねぇ」

次はどうしようか。女はベランダを後に部屋から出る。エレベーターではなく階段を降りて遺体のそばに向かう。

「貴方が幸せになるのを、ずっと前から願っているのに」

それでも幸せにならない。いつの間にか抱えきれないほどの彼岸花を女は持っていた。

「最初に業を背負ったから」

遠い日の始まり、天上の花を黙って摘み取り、人間へ勝手に配り歩いた。初めて見る花を人々は愛し、地上へ咲くよう花を植えた。やがてそれは種を残し、世界へ広がった。

美しさに魅入られて一部の人間が花を食し死亡した。そこで初めて、天上の花が地上に広まっている事を知った。

「綺麗だったから人間に見せたいと思っただけでも、貴方はしてはいけない事をしたんだよ」

それでも天上で怒る者はいなかった。ただ二度と、この地に戻れぬよう人間にさせられた。何度生まれ変わっても幸福になれず非道な死を遂げているのに気づいたのは、数十回目の転生を知った頃だった。

「自分で死んだらまた業が増えるでしょ?だから私が殺したら貴方の罪は一つのままになる」

何百回、何千回、貴方を殺した。いつもいつも、長生きなんて出来やしない身体で、精神状態で貴方は絶望した。これも業、貴方は幸せにならずに死ぬ。だって天上に行けないから。罪を全部清算出来ないよう、輪廻転生を続けさせられている。

長生き出来ない命は、最初から寿命を決められているみたいだった。どれだけ身体が丈夫でも、魂のテロメアが短く作られたならどうする事も出来ない。それでも短い時間の中で、幸福になれればいいと思っているのにそれすら叶わない。

遺体の上から花を降らす。抱えきれなくなった花で埋め尽くして、生まれ変わったら見つけられるよう花の匂いを残す。

「次は幸せになろうね」

今度こそ、貴方を殺す未来が終わればいいと、花束を抱え唇にキスを落とした。



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