幸福はあの日の姿を形作っていた
『お元気ですか?と言っても、数日振りなんだけど。
やっとこっちに着いて、荷解きしてすぐ手紙を書いています。
高い建物ばかりで不思議な感じです。空気の匂いもそっちとは全然違う。
窓の外から見える風景に、今はワクワクが止まらないんだ。
君はどう?休みにはそっちに帰れるといいな』
『久し振り。やる事が沢山あって手紙を書くのが遅れました。
返事ありがとう。最近の僕は慣れない土地で四苦八苦しています。
最近友達が出来たんだ。色々教えてもらってるよ。
前に君が行きたいって言ってたお菓子屋さんにも行ったんだ。
一緒に送ったから食べてみて。僕はリンゴ味が好きだけど、君はチョコ味がいいって言いそう。どうかな?感想教えてね』
『手紙ありがとう。やっぱりチョコ味がいいって言ったね。
貰ってから全然返せなくてごめんね。最近寒くなったけど元気?
こっちでは雪が降り始めたよ。街全体を白く染めてるんだけど、
街灯のおかげかな?寒くても外出してる人が沢山いるよ。
そっちだと雪が積もったら外に出れなくなるから新鮮だ。
今度の休みなんだけど、ごめん。父さんの仕事が大変で帰れないみたい。
次会えるのは春かな?休みが来たら聞いてみるよ』
『ずっと長い間返せなくてごめんね。
最後に手紙を送ってから何年経ったか分からないくらいで
君からの返事も、読んでいるのに返せなかった。
あの日必ず返すと言ったのは僕なのに、先に約束を破ったのも僕だ。
何を言ってるんだって思うかもしれない。
無視し続けたのに、今更都合がいいって分かってる。
でも僕は、ずっと――』
最後の一文を読む前に破り捨てたのは18歳の夏だった。高校生活最後のイベント、パーティー用のドレスに着替えた時、渡された手紙の封蝋には見覚えがあった。
何で、どうして。そんな疑問を思う前に口を出た言葉は、「今更」だった。
10歳の冬、幼馴染の男の子と離れ離れになった。街で一番のお金持ちだった彼の家と、何の変哲もない一般家庭の私が仲良くなったのは、本当にただの偶然だったと思う。
今となっては曖昧な記憶が、思い出す事さえしなかったせいか引き出しの奥に眠っている。
親の目を盗み家を抜け出してきた彼と、誰も寄り付かない林で遊ぶのが日課だった。少し歩くと開けた所に出て、そこに花々が咲き誇っていた。私たちはいつも、そこで他愛もない話をしながら笑い合っていた。
あの頃は身分の差なんて分からなかった。ただお互いを想い合っている。それが全てだった。
彼の家族が首都に引っ越す事を知ったのは出発の前日だった。私たちの関係を良しとしなかった彼の家族に止められ、一週間以上会えない日が続いたのだ。雪が積もり始め、いつもの場所で待ちぼうけを食らっていた私にようやく現れた彼の口から飛び出した一言は別れの言葉だった。
後にもあんな酷い別れ方はないと思う。久々に会えたと思ったらさよならの理由を聞かされるなんて、たまったものじゃない。でも彼は諦めなかった。
『必ず返事を書く。絶対にまた会いに行く。だから待っていて』
そんな都合のいい言葉を信じていた時期が私にもあった。結果として、返事は半年もしない間に届かなくなった。それから何度か送ってみたけれど、返事は一度も来なかった。13歳、全寮制の学校に入ったタイミングで私は彼を諦めた。
あれは都合のいい幻想だった。初恋は叶わないものだとよく言うが、正にそれである。私たちは同じ場所で同じものを見ていたけれど、同じ立場なわけじゃなかった。
家柄にコンプレックスがあったわけじゃない。私は大切にされている事を理解している。実家から遠く離れた学校に通う事を許してもらうくらいには、不自由なく生活している。
ただあの時ほど、自分の立場を呪った事はない。もし、私が同じ立場だったら。彼の両親は嫌がらなかっただろう。手紙だってそう、今でも続いていただろう。一度くらい帰ってきてくれただろう。
でもそれは叶わなかった。私はあそこにいたくなくて飛び出した。必死に勉強をして自分を磨き、誇れるような人間であろうとした。そのかいあってか、パーティーではパートナーが殺到、モテるいい女と化したのである。
なんて、どうでもいい事を思いながら床に散らばった手紙を一瞥する。
「ごめんなさい、片付けておいてくれますか?」
手紙を持ってきてくれた下級生に謝り苦笑する。彼女は慌てて破片を拾い集めた。
「こちらこそごめんなさい!良くない知らせでしたか?」
「……知らせでも何でもないの。ただ全部遅かっただけの話」
いっそ燃やしてやろうかなんて思いつくも夏に暖炉は必要ない。仕方なく彼女が拾った破片をごみ箱に捨ててもらう。明日にはさよならするこの部屋。最後の夜にこれがあるのは気分が悪い。
「いや、誰かの部屋行けばいいのか」
どうせ最後だし、今日くらい羽目を外したって構わないだろう。荷物はまとめてある。この部屋に戻るのは朝になったっていい。
「準備出来た?」
スーツ姿の男性が扉の隙間から顔を出した。黒髪が上げられ額が露になっている。しっかりとした身体つきは出会った頃には想像もつかないほど成長していた。
「出来た。待たせてごめんね」
「……綺麗だ」
一輪の花を差し出してきた彼と目が合って何だか気恥ずかしくなってしまう。いつもと違う姿に高鳴りそうになる心臓を抑え平然を装った。裾にラメがついたドレスは歩く度輝く。青色のネクタイはドレスの色に合っていた。
「お揃いだ」
「青だって聞いてたから合わせたんだけど」
「ちゃっかりしてるね」
クスクス笑えば恥ずかしそうに頬を掻く姿は私の良く知っている彼の姿で安心してしまう。
「行こう」
差し出された手を取り会場へ赴く。私の人生は、あんな手紙に左右される物ではない。
だって、もう終わった話なんだから。
「で?何でそんな考えてるの?」
問いかけに顔を上げた。鳴り響く音楽、頭を振る人たちを横目に端で緩やかなダンスをしている時だった。降ってきた言葉に驚き、彼の肩に置いていた手が思わず自分の頬に触れる。
「そう見える?」
「見える。13歳の時から知ってるからね」
5年の付き合いだ。彼の言葉に分かるものなのかと頬をつねってみた。
「凄いね、私的には切り替えたって言うか、気にしてないつもりだったんだけど」
「明日からの事?大学通うのに一人暮らしを始めるのが心配?」
「それはそこまで。だって今でも似たようなものだし」
「確かに」
明日、ここを出たら首都にある大学に通うため一人暮らしを始めるのだ。全寮制の学校にいたからか、一人で暮らす事に不安はあまりない。
「俺はちょっと不安かな」
「しごかれるから?」
「そう」
彼も同じく首都に行くが、騎士団に所属する。夏が終われば正式に配属となり厳しい指導が待っているだろう。
「貴方なら大丈夫よ」
彼がどれだけ頑張って来たのかを、私はずっと知っている。そしてこの先も、頑張れる人なのだと知っているから心配はなかった。
「……夏が終わるまでは会おう」
「終わったら?」
「時間を見つけて会いたいよ。まぁボロボロだろうけど」
「雑巾みたいに?」
「想像がつくのが嫌だな」
「ふふっ」
疲れ切った彼の姿を想像し思わず噴き出してしまう。いつかの春、鍛錬で先輩にしごかれた結果、大柄な彼が濡れたチワワみたいに髪を滴らせ情けない顔で震えていた日の事を思い出した。
「やっと笑った」
「え?」
「今日ずっと笑ってないよ。気づいてなかった?」
「嘘」
「本当」
音楽が止み窓際に移動する。壁のくぼみに背を預けた私たちは楽し気な友人を遠目で見ていた。
「それで?本当の理由は?」
「……手紙が、来たの」
「手紙?」
「そう手紙。10歳の時に遠くへ越した人から」
かいつまんで説明する。彼は相槌を打ちながらも腕を組んだ。
「っていう話」
「今更だな」
「ね」
本当に今更だ。
「何て書いてあったの?」
「分かんない。最後の一文読む前に腹が立ってつい」
手紙を破る真似をすれば、彼は一瞬顔をしかめたが小さく噴き出した。
「さすが」
「そんな手紙に一喜一憂する女じゃないのよ私は」
そう、昔なら喜んだ。返事が来る度に頬を赤らめて、あの場所で一人一字一字なぞるように読んでいた。そんな純粋な時代が、私にもあったのである。
「ただあまりに久々だから、つい」
「何で今日来るんだって思ったわけだ」
「そう。折角の気分が台無し」
卒業パーティーで大盛り上がりし、明日からの未来のためお互いを検討し合う今日に、なぜか過去を掘り返された気分だ。
「ちなみに相手は今何してるんだ?」
「さぁ?」
「読んでないの?」
「書いてなかった。一方的に伝える事だけ伝えようとした文章にイラっときて」
また手紙を破る真似をすると彼は、少し安心したと口を開く。
「何で?」
「好きなのかと思って」
「その人の事?まさか」
それこそ本当に今更過ぎる。
「あのさ……」
彼の頬が赤らんでいた。瞳は輝き大きな手が頬に触れようと伸びてくる。次にくる言葉を、私は何となく察していた。
ずっと先回りして言わせなかった言葉があった。そうしたのは何故か、自分でも分からなかったけど、まだ、今じゃないと思い続けていた。慣れてしまった友人という関係性から、一歩踏み出すのが怖かったのかもしれない。ここで変わってしまえば、もう二度と、同じ所には戻れないから。
きっと彼もそれを分かっていたからこそ、逃げる私を咎めなかったのだと思う。
けれど、それも今日で終わりだ。
明日からは毎日会えなくなる。次会えるのはいつか、分からなくなってきっと不安になるだろう。同じ首都にいたとしても会えなくなるかもしれない。だって私は、一度それを経験しているから。
繋ぎ留めるための関係に名前が必要なら、それを甘んじて受けようと思う。明日からもまた、私たちが笑えるように。
不意に、窓の外から大きな音がした。
硝子に反射した鮮やかな色彩。撃ちあがった花火はパーティーが終わる合図でもあった。綺麗だなんて言う事も出来ず、彼の視線はこちらを向いたままで私は目を離せない。
「俺は―」
ひと際眩しい光に目を細め思わずそちらを向く。
それが、間違いだったのだと思う。
窓の下、裏庭にどこかで見た栗毛の男性が立っていた。ばっちり合った視線、青色の瞳は大きく開かれる。それだけで忘れ去ろうとしていた過去が走馬灯のように駆け巡る。
あの日さよならした小さな男の子の面影を映して。
「な、んで」
「え?」
唇が震えた。頬に触れた彼の手から伝わっていた温度が、急激に下がった気がする。
間違えるはずもない。忘れたくてどうしようもなくて、諦めたのに諦めきれなくて大人になったと言い聞かせた。
私を酷く傷つけた人が、そこに立っていた。
よろけた身体を支えた彼に名前を呼ばれ我に返る。
「大丈夫?気分悪い?」
「だい、じょう、ぶ」
「大丈夫の顔じゃないだろ、真っ青だよ」
心臓が痛いくらいになるのは、花火の轟音か見間違えるはずもない人間のせいなのかが分からなくて困惑する。足が凍ったように動かない。
「部屋に戻ろう」
「今は嫌だ」
「駄目だよ、そんな具合悪そうなの放っておけない」
予想が出来ていた言葉が、たった一人のせいで遮られてしまう。あのまま続けていたら、窓の外さえ見なければ、私の人生は幸福であったのに。
大好きな人に愛される、幸せな未来であったのに。
引かれた手に抵抗する事さえ出来ず鳴り止まぬ花火の中会場を後にする。速く、速く、どこかに隠れてしまいたい。けれど彼の足は私の寮へ向かう。
「そっち、やだ」
「何で?」
だってそっちにいたんだもんとは言えず首を横に振り泣き出しそうになるのを堪えた。様子のおかしな私に戸惑った彼は足を止める。
「じゃあどこがいい?」
「そっちの、寮」
「え」
「自分の部屋に戻りたくない」
裏庭で足を止めた私たちの頭上に花が咲く。震える手を包み込んだ両手はどこまでも優しくて熱かった。
「顔上げて」
今、上げたら全部無かった事に出来るかな。この人と一緒に描いた未来を叶えられるだろうか。どうか、今すぐここから連れ去って欲しい。
だって私は。
「エル」
名前が、呼ばれた。
彼ではない声で。聞き覚えのない低さで。
たった一言。それでもそこに籠った熱は、私をあの頃に戻すには充分過ぎる熱さだった。
真っ暗な夜に花が咲く。恐る恐る顔を上げた先で見たのは、彼の顔ではなかった。
「理由も言わず突然来てごめん」
一歩、また一歩。見覚えのある栗毛が聞き覚えのない声で、記憶とはかけ離れた男性となり近づいてくる。
それでも見つめた先に映る青色は、どうしようもないほどに忘れられなかった色だ。
「君に会いに来たんだ」
頬に、雫が流れた。
神様がもしいるのなら、今日までの私に言って欲しかった。
もっと早く、彼の手を取ればこんな想いはせずに済む、と。
私は今でもどうしようもないほど、初恋の人を想っていたなんて知りたくなかった。
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