花束みたいな言葉を並べまだ見ぬ貴方と食べるなら
花束みたいな言葉ばかりを、食べて与えていけたらね。
ブーケトスの場面を見る度思うのが、あれはどこの誰が考えた文化なのか、だ。いつだって物事の慣習を、始めた人間が誰なのかを知りたいと思う。
ブーケトスの始まりは14世紀イギリス。今は飛ばして花嫁側が「与える」だが、当時は花嫁から「取る」慣習だった。教会から出てきた花嫁を引っ張って奪っていたらしい。何て恐ろしいのでしょう。
果たして血の気盛んに奪った女と、結婚したいという気持ちは薄れなかったのでしょうか男性陣は。私なら引くが、いつの時代でも欲しい物は絶対に手に入れるという肉食系の人間の方が幸せを掴む。これはがち。
先日、友人たちと食事に行った。
高校時代からの友人で、付き合い始めてから10年の時が過ぎた。我々にとって高校時代はついこの前だったのに、時間は簡単に過ぎ去っていく。あの頃の気持ちだけを残して過ぎるのだ。こうして人は老いていく。笑う。
そんな友人の一人がつい先日同棲を始めたらしく、結婚にもお互い前向きなようだ。上手くいけばよいと思っているが、人生はどうなるか分からない。でも彼女の事なら上手くいくだろう。
知り合って10年。沢山見てきたからどんな人間なのかよく知っている。良い所も悪い所も過去も今も、言葉を交わしてきた。だからこそ誰よりも幸せになって欲しいし、結ばれたとしてもその先で幸福が上書きされていく人生であって欲しいと思う。私は私の近しい人間たちには全員、そう思っている。
あとファンの人たちも。
結婚という言葉を聞いた時、ああ、ついにその年齢になったかと思った。
私は友人が少ない+私の友人になれるような人間たちが普通なわけもなく年相応、有り触れた普通の人生を進んでいる人間がいない。恋愛をしている女友達皆、色々やらかしている。そう、遊び散らかしている。
もうどうしてそうなったの?笑うっていうくらい面白い。正直私は友人がどんなに男遊びをしていようが何をしようが、人として超えてはならないラインを超えない限りはゲラゲラ笑っている。自分の恋人に手を出されたりしたら許さないだろうが、まぁいないので大丈夫ですね、ハハッ。
それも人生の一つだと思うからだ。
そんな感じなので、まともにお付き合いをして、まともに結婚を視野に入れた同棲をする人間なんて初だったのだ。いかに私のコミュニティが狭いか、そして狭い中で自分以外の人間が色々しまくってるせいなのか、有り触れた幸福が見つからなかったのである。
話を戻そう。友人たちのピンク色な物語はここで語るべきでない。
彼女が結婚と言った瞬間、私はいいねと言った。素敵だ。人生において結婚という選択肢が出てきた事が素敵だと思う。出ないまま終わる人生だってある。
さらに彼女は結婚式はしたいんだよねと言った。私はまたいいねと言う。どんな式でもきっと、彼女が一番輝いているだろうから。白のイメージはないけれど、きっと綺麗だろう。
式には二人を絶対呼びたいし、誰々と、と隣で楽しく語る姿を見て純粋に素敵だなあと思ったのだ。私の人生において見つからない選択。それを手に入れて仕事も好きな事をしていて、大変だけど前に進むために光が差し込んでいる。
美しいなと思ったのだ。
結婚式と言えば何だろう。ブーケトスだろうか。何色のブーケを持つのだろう。大体予想がつくなんて、考えながら言葉って花束みたいだよなぁと思ったのだ。
花束みたいな言葉って、きっと貰うだけで笑みが零れ出す。愛の溢れた言葉。そこに恋の片鱗はない。花束みたいな言葉は絶対に、相手の幸せを願い心から与える言葉だと、私は思う。
花束は、自分で買う事も出来るけれど貰うのが一般的だろう。零れんばかりの花を手に抱え、それに笑うのだろうか。きっとその瞬間は幸せに違いない。誰かから花束を貰った事はないけれど、貰ったらきっと嬉しいだろう。笑みが止まらないに一票。愛する人から貰えるのなら尚更。
花束みたいな言葉が欲しい。この先の人生をずっと鮮やかに彩るために、ずっと笑っていられるように、花束みたいな言葉を与えたい。でも人間って貪欲だから返ってこないと不満に思うので与え合えたら一番いいね。
大人になるまで、というよりここ数年前まで銃口を向けるような言葉ばかり吐いていた。傷つくのが怖くて、誰かを傷つけた。その分傷つけられて与えられた花束は気づいた時に枯れていた。
歳を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎれば過ぎるほど、心の棘は少しずつ丸くなっていく。溜まった毒は消えないけれど、それも含めて自分だと思えるようになる。
歩いてきた道のりは無駄じゃないと、自分が言わなければ過去の自分も救われないから。
いつだって振り返れば足を止め拳を握り締めたままの子供が涙を堪え下を向いている。未来なんて見えなくて、希望など探す事も出来ないまま、前に進めずにいる。
そんな自分を救ってあげたくて、いつでも振り返り「大丈夫じゃないだろうけど、信じられないだろうけど、意外と人生何とかなっていく」と叫ぶ。
その時だけは顔を上げ、こちらを見て唇を噛み締めたまま頷く私に、今の私はありがとうと思うだけだ。あの頃があったから今があって、今を頑張ったから明日の私がいる事。それだけは忘れないでいたい。
だから、花束を両手いっぱいに抱え破顔する日まで、また歩いていくのです。