羽ばたく願いの起源を知り、叶えるための物語を口にする
かの有名なオスカーワイルドさんが残した物のうちに、こんな言葉がある。
「人生は芸術を模倣する」
意味は人生が虚像で、芸術こそが真実。
何と捻くれた表現よ。ただ言い得て妙である。
元は「自然は芸術を模倣する」という言葉を引用して作られたのだが、現代において、特に日本に置いてはオスカーワイルドが残した言葉の方が馴染み深いだろう。
オスカーワイルドさんは多分、繊細で悲観的で、諦めを抱きながらも一縷の望みを、愛を捨てられなかった人なんだろうと残された彼の作品群を見る度思う。男色を咎められさえしなければ、現代であれば。もっと幸せな物語を書いたのかもしれない。けれどきっと、もし咎められなかった世界線なら、彼はここまで名を残さなかっただろうとも思う。
昔の、といっても100年くらい前から。名を残した芸術家の中で、繊細な、美しい文章を書いた人たちって高頻度で男色な気がする。それか、どこかで男色に手を伸ばしたか。かの有名なシェイクスピアのソネット18番も男性について書いたものだと言われている。真実は分からないが、抑圧され禁忌とまで言われた当時だからこそこんな文章が書けたんだろうと思う。
いつだって、秘めた想いを残した文章は繊細で美しいから。
現代は多様性が認められつつあるので、男色だろうが女同士であろうが、投獄される事は少なくなったと思う。少ないという表現を選んだのはやっぱり世界にはまだ、それを悪とし禁じる考えを持つ国が残っているから。
別に誰が誰を好きでもいいじゃん、自分には関係ないんだし。というのが私の所感であるのだけれど、これも多様性が認められつつある世の中で生まれ育ち、自分自身が何かしらの理由で抑圧され、指を差された経験があるからこそなのだろう。私は異性愛者なのですが、だからと言ってそうじゃない人を批判する理由は何もないよね。っていつも思ってる。
世の中に蔓延る差別はきっと、人が人である限りは永遠に消えなくて。人であるから争いが起きるのと同じように、人であるから知識を得てより過ごしやすい世界を模索し、進化してきたから。もしそれが無かったら人類はいつまでも原始時代の暮らしをしていただろうし、アダムとイヴは永遠に楽園にいただろう。
一番いいのは、どうでもいいと良い意味で思える事で。隣人がどんな性的思考を持っていようが、他者を傷つけ危害を与えなければ、そうですか。で済ませられる世の中がベストで。出生率がどうのこうの言うのなら、優遇措置を、子供と親に与えればいいわけで。まあ、全てにおいて誰かの犠牲に成り立つ社会なんぞは誰も望んでないのである。
話を戻そう。これは主観だが、異性愛者の男性が残した文章と、同性を愛した経験のある男性の残した文章はやっぱり違う。文体も、選ぶ語彙も違う。男は男らしくあるべきだの時代だからかな。結構合理的で、ミステリーなどを読むのであれば淡々と読めるけど、純文学と言われるような作品を読むと人間性が顕著に出ると思う。そういうものだからとも思っているけど、やっぱり繊細な美しいと思える文章かと言われたらちょっと違うんだよな。
やっぱり人間って、自由である事が一番だけど程々に抑圧されないと怠ける一方だから良い作品書けないのかな?と思っている。ちょっとのストレスは必要なんだよね。切ないね。
そんなこんなで、人生は芸術を模倣すると言うが。人生は虚像、芸術こそが真実と言うけれど。私にとってこの言葉は、これまで触れてきた全ての芸術が自分を、自分という人間が生み出す世界を作り出しているという解釈が近い。
子供の頃から、数多の物語に触れてきた。
絵本から始まり、漫画、小説、ゲーム、映画、詩、古典、数え切れない物語たち。史実に空想、プロと素人。どれくらいの作品に会ったのか分からないくらい、これはどこで頭に入れたんだろうと思うくらい沢山の物語に触れてきた。
それでも自分の中で、印象深く残っている物がいくつかあって。それらはきっと、私の芸術を形作ったのだろうと思うほど愛した作品たち。実際触れてきた芸術が今を形作ってるから、私の人生も何かしらの空想を模倣しているのだろう。
なんて、思った瞬間だった。
ある平日。アラームの音を無視し二度寝を決めたのは有給を取った時のお決まりかもしれない。寝ぼけ眼で食事を摂りメイクをした。いつもより綺麗に出来て、これは調子がいいぞと独り言ち、外に出たのは昼過ぎだった。
池袋まで電車に揺られ、アニメイトに足を踏み入れたのは一体いつ振りだろう。あまりに時間が経ち過ぎて、今流行っているアニメは何だろうとチラ見しては分からず、売れているグッズも見ておくべきかな仕事に使えるかもだしと見てみたけど首を傾げるだけだった。
グッズを買ってもスペースには限りがあるし邪魔なだけだなどと冷めた思考回路を持っているせいであんまり買う事は無かったのだけれど。好きな人はどういう物が欲しいのかな。何を望んでるのかなと、すれ違うお客さんが手に持つ物を眺めたのも事実。私がいらないと思ったとしても、それを欲しがる人は沢山いるから。どんなものなら喜んでくれるかなと考えながら需要を見るようになったのは一体いつからだろう。多分、作り手側になってからだと思う。
エレベーターに乗って辿り着いた先、目に入った光景に鼻の奥がつんとしたのは、懐かしさと恋しさ、そして憧れが尊敬に変わり、今も尚、私に多くの影響を与えた作品がそこにいたからだと思う。
SOULEATER(ソウルイーター)は今年、20周年を迎えたらしい。なんてこった。私が6歳の時に連載が始まったのかこの作品と恐れおののいたのは記憶に新しい。その前のB壱という作品は一体いつ……と思い考えるのを止めた。郷愁にかられ過ぎるのも良くないからね。
池袋まで遠路はるばるやって来たのは、ソウルイーター20周年原画展が開催されるからであった。SNSで見つけた瞬間チケットを申し込んだ。休日は人が多くゆっくり見れないかもしれないから平日に行ってやろうと思い、有給まで使ってやって来たのである。
ソウルイーターに初めて会ったのは小学生の時だったと思う。ガンガンを買った日、世間は鋼の錬金術師にラブコールを送っていたけれど、私はソウルイーターばかりを何度も読み返していた。ガンガン欲しさにお小遣いをくれ!と言い、月のお小遣いはガンガン1冊に消えていた。笑っちゃう。
月刊誌を買い、何度も何度も同じ話を読んだ。よく分からないけど、あの世界観が私にぶっ刺さったのだと思う。当時のソウルイーターは16巻辺りで、作風がガラッと変わったタイミングでもあった。私はポップでダークで狂気的、スタイリッシュでどこか不思議な世界観へ釘付けになった。
思えば昔から、私が好きになる作品は世界設定がしっかりしていたものばかりだった。この世界にはない空想の国、街、都市。そこで息づく文化、生活、人々。そういうものが作り込まれた作品に恋焦がれていた。ソウルイーターは正にその一つであった。
アニメの再放送がされると聞き、夕方テレビの前で座って待った。毎週毎週、欠かさずそこにいた。人生はくそったれで、ゴミみたいな時間だとその頃既に気づいてしまっていた捻くれた子供は、テレビの中で生きているこの世のどこにもない世界で起きた物語に目を輝かせていた。たかが30分弱で、擦り切れた私の心は救われていた。
そうして考えるのは独りよがりの空想。もし、私がこの世界にいたら何をするだろうか。どんな立場で、誰と仲良くなって、どこに行き、何を選ぶだろうか。それはいつの間にか、もし私がこの物語を動かすのならという視点に変わっていた。
もし私がこの物語を動かすのなら。まるでチェス盤のようにキャラクターを駒にし進めるだろう。ここにはこのキャラクター、このシーンは大きくカットを入れて少しの過去と今を語る。この二人が手を取り、次の展開は――。
それは自覚した瞬間だったと思う。
物語の世界に入りたいと思っていたのに。この世界に入ればきっと、モブキャラでも主人公だと思えるから、人生なんてずっとスポットライトが当たらないんだし、どこか大好きな世界に行けたなら。くそみたいな死に方してもスポットライトが当たったと思えるんじゃないかと、本気で思い続けていたのに。
私、それじゃあ満足出来ないんだ。
まるで神様のように。自分で自分の世界を作ってそれを動かしたいんだ。ソウルイーターのように素晴らしい世界観を憧れていただけではない。
自分も同じように唯一無二を作りたいんだ。
目から鱗が落ちるような感覚だった。笑ってしまうほどの芽生えは、それから数年後に自分のPCを得るまでただの感覚として終わっていたのだけれど。間違いなく、ソウルイーターという作品は私にそれを教えた作品でもあった。
原画を見ながら思い出が、引き出しの中から次々出てくる。
中学一年生の年明け、お年玉を握り締め自転車に乗り近所のヨーカドーで、当時出ていたソウルイーターを全て大人買いした事。これが初めての大人買いだった事。自転車のカゴに入れ、ふらふらしながら帰り、家に着いた瞬間読み漁った事。
当時楽しみにしていたアニメの鬼神戦闘シーンが、地震の影響で差し替えになってしまった事。最後の二週、不謹慎だけど残念な気持ちがそこにあった事。こんな状況だからこそ、好きな物を見て安心したかったのだと思う。
ページをめくるように、思い出が目の前の絵とリンクしていく。私は笑いそうになるのを堪えた。ああ、忘れてしまったと思っていたけれど。匂いが記憶を思い出させる爆弾のように、私にとって当時を思い出す起爆剤はソウルイーターだったのがおかしくて面白くて。ゆっくり眺めながら不意に気付いた事がある。
それは最終戦でマカが月まで飛ぶシーン。最初にイメージした羽では飛べなくて、こんなんじゃ飛べない!とソウルに言い大きな翼を得て戦い、月まで行っちゃうシーンだ。
あれ?と何かが引っ掛かり足を止める。
それは私のペンネーム。優衣羽という名前だった。実は羽という文字を何にするかほんのちょっとだけ迷っていた時があった。検索をかけ一番しっくりきたやつにしようと考え、変換したけれど。
私はずっと、馬鹿みたいな理想に手を伸ばし、いつか羽ばたいてそこに行く事を望んでいた。今も昔も、ずっと。それだけは変わらない。その馬鹿げた理想を月と称したのも、手が届きそうにないからで。けれど人類は月に降り立ったから、不可能なんてこの世界のどこにも無くて私が抱く馬鹿げた理想も、いつか月に羽ばたいて降り立ち指一本立てて笑えるのだと、信じたいから羽ばたきたくて羽にした。
そんな、話だったのだけれど。
あれ?マカ飛んでるわ。より強い羽を得て月にまで行ってるわ。そうだよね、いやその展開は知ってるんだけど。もしかして私――。
発想の始まり、ここじゃね?
気づいた時にはもう止められなくて、あー影響。多大なる影響。まじかよと頭を抱えてしまったものである。まさに、人生は芸術を模倣するの典型例。忘れていただけで、私の発想の起源はここにあったのだ。その昔、何者でもない頃に読んだ物語にあったのだ。
これだから人生は芸術を模倣するんだよな、と思い納得してしまった私は呆れと少しの嬉しさを抱え物販に辿り着く。昔買えなかった分の画集やパーカーなどを買いまくり、重たいグッズを抱え帰路につく。そしていつしか憧れが尊敬に変わっている事に気づいた。
子供の頃はずっと、憧れだった。まるで神様みたいで、届かない場所にいる人。キラキラ輝いていて、いつか会ってみたい人。握手してサインを貰いたい。そんな憧れ。
けれど今は違う。憧れは尊敬に変わった。こっち側に立ち思う。どれだけこの物語が考えられて作られていたのか、どれだけ個性で出来ていたのか、どれだけスタイリッシュでポップでダークで。絶妙なバランスの上に生み出されたのか。それが凄くて堪らなくて、簡単とは程遠い事を知った。
知れば知るほどやっぱり凄いなと思った。ずっと、遠いのは変わらないけれど、地上と星のような遠さだけれど。同じように作る立場になったからこそ、凄さを知り思考を知り。
そして、私は私の世界で遠くまで羽ばたくのだと思えるようになった。模倣ではなく、同じ道を歩むのではなく。先人がこんなにも素晴らしい物語を見せてくれたから、私もいつか、誰かにとって素晴らしいと思えるような物語を残したい。
遠くに、月まで行っちゃうくらい羽ばたきたい。
そんな思いを文字にして、打ち込み、綴り、したためる。そして口に出し理想が理想のまま終わらないようにする。これは叶えるためにある人生という物語だからと信じて。
あの日出会った魂の物語を胸に抱きながら、助走を始めた。
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