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透明な寄生魚


澄乃沙紀すみのさき に出会ったのは高校一年生の春だった。入学式、声をかけてきた女の子は、まだあどけない顔つきでミディアムの黒髪に切り揃えられた前髪を揺らした。黒の隙間から耳が見えてピアスホールが目に入る。透明なピアスをつけて穴を固定しているようで、視線に気づいた彼女は「最近開けたの」と微笑んだ。

彼女はいい意味で普通の女の子だった。見た目も中身も、特別秀でた所はない。ピアスが空いていたとしても、有り触れたものだろう。高校生でピアスが空いている人なんて山ほどいる。

勇渚 いさなさんが綺麗で、友達になりたいなぁって思ったの」

彼女はクラスで一番顔の整った女の子に声をかけた。「 まいでいいよ」勇渚舞は澄乃沙紀に柔らかな笑みを浮かべて返事をする。傍から見ても眩しいくらいに輝いていた。

勇渚舞は同じ中学に通っていた女の子だ。長く艶やかな髪に大きな瞳は猫みたいで、白い肌も長い手足もその辺の女の子とは違っていた。彼女が歩けば皆が振り返り、彼女が微笑めば皆が見惚れる。あまりの美貌に嫉妬の声すら上がらない。

誰に対しても優しく、いじめを受けていたクラスメイトにも声をかける。勉強も出来て運動も得意、ピアノも弾けて絵も描ける。非の打ち所がない彼女はさながら女神と称されていた。

それは進学しても同じなようで。初日から圧倒的なまでに視線を集めた。澄乃沙紀もその一人だったのだろう。彼女を見て目を瞬かせたのち声をかけた。

近隣で一番の進学校に同じ中学から進学出来たのは私と勇渚舞だけだった。けれど騒がれたのは彼女だけ。私は彼女の陰に隠れたが、彼女は「知り合いがいると安心する、仲良くしてね」と言ってきた。しかし、勇渚舞と話したのはこれが二度目であった。

「舞ちゃんと同じ中学だったの?」

「うん、でも話した事はほとんどないよ。クラスも同じにはならなかったし」

「同じクラスでも近寄りがたいよね」

「さっき声かけてたじゃん」

「そりゃああんなに可愛い子がいたら一回は話したいと思うもの」

「でも一緒にいるのは大変かも」澄乃沙紀は頬を掻いた。私はずり落ちてきた眼鏡を上げる。言いたい事が分かってしまったからだ。

「あまりに綺麗な子の近くにいるとおまけ扱いされちゃうもんね」

眩しいほど完璧な子の隣にいると、否応なしに自分の価値を決めつけられる。周りも自分も、相手と比べてしまうのだ。

それは勇渚舞が悪いのではなく、どうしたってそういう事が起きてしまう。

私たちの言った通り、勇渚舞は一ヶ月で学校の中心人物となった。しかし中学時代と一つ違うのは、彼女を嫉妬して攻撃する人間が出てきた事だ。入学から一週間後の放課後、バスケ部のイケメンと騒がれていた先輩の告白を断ってからそれは始まった。

典型的で古典的ないじめだった。下駄箱にゴミを入れたり、ロッカーを荒らされたり、名前も知らない女子生徒たちから続く攻撃に勇渚舞は気丈に振舞っていた。けれど彼女の事を好意的に見ている男子生徒たちが彼女を守るようになりそれは悪化した。

次第に勇渚舞はクラスでも浮き始めていた。彼女の顔色が曇っていくのを気づかないほど鈍感でもなかった。彼女の周りには彼女が求めたのかすら分からない男子生徒たちが固まるようになり、見え透いた下心の数々が彼女を取り巻いていた。

しかし、そんな中で唯一声をかけたのが澄乃沙紀だった。舞ちゃんと呼び暗い表情の勇渚舞に手を伸ばした。勇渚舞にとって澄乃沙紀は光に思えたのだろう。夏休みを過ぎれば彼女へのいじめは無くなり、澄乃沙紀は勇魚舞の隣に居続けるようになった。

私はその様子を眺めているだけだった。勇渚舞がいじめられていた時も手出しさえしなかった。ただ傍観者でいた。彼女を助けたいとさえ思えなかったのは、知らぬ間に彼女への嫉妬心を募らせていたのだろう。

でも、勇魚舞は私の心情すら気づかず話しかけてきた。

「ごめんね、ノート出せる?」

「あ、はい」

「ありがとう、邪魔してごめんね」

「ううん、大丈夫」

「そのピン可愛いね」

彼女は私の耳元を指差した。小さな桃色の花がついた、金色のピンだった。勇魚舞は素敵だねと微笑むが、馬鹿にしているように思えてしまうのは嫉妬心からだろうか。

「ありがとう」

目を逸らし話を終わらせたのは素っ気なかっただろうか。勇魚舞は「ううん」とだけ返し去っていく。

あれほど酷い事をされたというのに勇魚舞は何故変わらないのだろうか。不登校になってもおかしくはないのに、表情こそ暗くなれど勇魚舞はずっと同じ態度で人と接していた。私にはそんな事出来ない。

段々と勇魚舞に対して一種の恐怖を感じ始めた頃だった。彼女に恋人が出来た。隣のクラスの爽やかな男子生徒だった。陸上部に所属していて好青年という言葉がよく似合う男の子だった。

数ヶ月、彼女と共にいる所をよく見かけた。二人で楽し気に帰る様子は等身大の高校生そのものだった。


違和感に気づいたのは二人が別れてから一ヶ月ほど経った頃だ。別れたという話は一瞬で校内に回った。それでも勇魚舞は変わらなかった。傷ついた態度など見せず、日常を過ごしていた。私は少し、気味が悪かった。

ある日の事、澄乃沙紀が勇魚舞の元彼と一緒にいる所を目撃した。それだけならまだしも、二人は手を繋いでいた。渡り廊下の端、二人の影が重なったのを見て付き合い始めたのだと知った。

その後も、勇魚舞の元彼と澄乃沙紀が付き合うという事が何度も続いた。しかも皆、勇魚舞と付き合っている時よりも盛り上がっていた。それでも長続きはしない。奇妙だと思った。

高校三年生になりクラスが離れたのをきっかけに澄乃沙紀と関わる事は無くなった。私は少し安堵した。勇魚舞より澄乃沙紀の方がおかしいのではないかと気づき始めたからだ。

思えば最初から何かがおかしかった。綺麗な子の近くにいるとおまけ扱いされると言いながらも、澄乃沙紀は勇魚舞に近づいた。勇魚舞の横で何度も比べられたのに彼女の隣に居続けている。

そして、彼女の元彼を物にしていく。

気味が悪い。


「あ」

ばったり。廊下で澄乃沙紀と出くわした。服が乱れ壁を背に勇魚舞の元彼と盛り上がっている最中だった。何て場面に出くわしてしまったのか。いや、そもそもここで盛るな。驚く私に澄乃沙紀は苦笑いして相手を帰す。男子生徒は唇をとんがらせて私の横をすれ違っていった。

「ごめんね」

「さすがにここではまずいんじゃない?」

「ねー、私もそう言ったんだけどな」

シャツのボタンを留めながら浅いため息を吐く澄乃沙紀は、初めて会った頃から変わらぬ容姿のまま艶やかさが見え隠れするようになった。

「何で勇渚舞の元彼ばっかと付き合うの?」

何となくだった。澄乃沙紀は目をぱちくりさせた後ふっと笑う。

「男ってさ、何を求めると思う?」

「何突然」

「最初こそ完璧な女の子を隣に置きたいと思うんだよ。だってステータスじゃない?自分はこんないい女を連れ歩いてるんだって自慢出来る」

でもね。澄乃沙紀の笑みが消える。

「それだけ」

「それだけ……」

「完璧な女の子を隣に置いてるとどんどん自分の矮小さが目に付くようになる。何でも出来る子は可愛げがないってよく言ったものだよね、勇渚舞は完璧で素敵な女の子だけど、同時に相手の自信を喪失させる存在でもある」

勇渚舞は完璧な女の子。何でも出来て可愛くて、圧倒的。

だからこそ、隣に並びたくない存在。

「舞ちゃんと付き合って少し経った頃から皆自信を失くしてくの。そこにちょっと優しくして自己肯定感を上げさせたら、後は簡単」

「……自分の物になるって?」

「せいかーい」

首をコテンと傾けた澄乃沙紀の表情は勇渚舞のように美しくはないにも関わらず、彼女よりもずっと魅力的に見えた。

「不思議だよね。舞ちゃんの方に目を奪われるくせに最後に選ぶのは私なんだよ。結局人は完璧じゃない方がいい」

「でも長続きさせる気はないんだ」

「無いよ。だって特別好きなわけじゃないし」

「奪うのが楽しいって事?」

「ううん、私は選ばれるのが楽しいんだよ」

皆が皆、勇渚舞に目を惹かれる。でも落ちるのは澄乃沙紀。

勇魚舞の手にしたものをゆっくり、確実に奪っていく様は、勇魚舞という宿主に寄生している、魚のようだった。

「それに私の一番好きな人は振り向いてくれないし」

「そりゃこんな事してたら振り向いてはくれないよ」

「そもそも妹扱いされてるんだもん」

大人っぽくなったら見てくれるでしょ?澄乃沙紀の言葉に何だか呆れてしまった。

「だからこれは一種の気晴らしみたいな物だよ」


澄乃沙紀の言葉に納得出来ないまま二人で帰路につこうとした時、校門に勇魚舞の姿が見えた。

「あ」

彼女はバイクに乗った男性と楽し気に話していて彼からヘルメットを渡されていた。

ふと隣を見た時、澄乃沙紀が声を震わせた。

「――くん」

声は届き男性が軽くこちらに手を上げる。

「何で」

「どうしたの?」

「バイト先の先輩。私の、好きな人」

男性は視線を勇魚舞に戻す。そして彼女の頬に手を当てた。

二人の影が重なって澄乃沙紀の腕から鞄が落ちる。ヘルメットをつけられた勇魚舞はバイクの後ろに乗る。男性に抱き着きこちらに目を向けた。


そして、見た事のないような勝ち誇った笑みを澄乃沙紀に向けた。

「これはあげない」

バイクは走り去っていった。


残されたのは絶望した澄乃沙紀と、それをただ眺める私。

勇魚舞ってあんな顔も出来るのか、あっちの方がよっぽど人間らしいなと思う私の隣で澄乃沙紀は泣き始める。私は彼女を横目に自業自得だと思いながら足を進めようとしたが、仕方なく背を撫でた。

澄乃沙紀は人目もはばからず号泣し、私はしばらく、それに付き合って背を撫でていた。



スマートフォンを操作した。

『これで良かった?』

「うん、ナイスタイミングだった」

返事を打ち込む。相手は笑った顔の絵文字を連発してきた。

『可愛い子紹介してくれてサンキュー』

勇魚舞が澄乃沙紀を煩わしく思っているのに気づいたのはつい先日の事だった。彼女から澄乃沙紀にはずっと好きな人がいると教えてもらった。

それが、自分の兄だという事を知った時は思わず笑みが零れたものだ。「バイト先にお前と同じ高校の女の子がいる」そう聞いていたがそれが澄乃沙紀だとは思わなかった。

私は勇魚舞に兄を紹介した。彼女は兄に一瞬で恋に落ちた。これまで見てきた完璧な彼女は何だったのか、顔が良く年上で一見すると余裕そうな兄の本性さえ知らずに。

兄は澄乃沙紀と変わりないほど異性関係がただれていた。顔が良ければ何でも良し、女の子をとっかえひっかえしては楽しむクズである。我が兄ながら呆れるも、私にとっては優しい兄だった。

だから、勇魚舞の事もひと時のお遊びにしか過ぎないだろう。


それは、私しか知らない。

二人があのタイミングで現れたのは私が兄に連絡したから。勇魚舞を迎えに来るようにと指示したのだ。澄乃沙紀はまんまと引っかかった。

スマートフォンが震える。兄からだった。

『やっぱりお前が一番』

「私は遊びまくってる人無理」

勇魚舞は知らない。私と兄が親の再婚で出来た義兄妹だという事を。澄乃沙紀は知らない。自分が好きだった相手が手を振ったのは私であるという事を。

二人は知らない。私たちが義兄妹になる前、付き合っていたという事を。

義兄妹になり、結ばれる事が出来なくなって別れた結果、兄は遊び回るようになったのだ。


彼の本命はずっと、私である。


「笑っちゃうね」


私たちは幸せになれない。それでもいいのだ。どこに行っても誰と遊んでも、最後に戻って来るのだから。この関係に依存し続ける。いつか身を滅ぼすまでゆっくりと蝕んでいく愛が、誰も知らない私たちのお話だ。

『今日父さんたちいないって』

「じゃあ早く帰ってきてね」

色すら付けられない恋に縋りつく。


私たちはきっと、透明な寄生魚だ。

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