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人生を面白くするのもつまらなくするのも自分だったってだけの話


否定ばかり聞いてきた人生だった


記憶を遡ると一番に聞こえてくるのは否定の言葉だ。

いつもお前には出来ないの一点張り。次に聞こえるのは、才能がない。おかしな子。勉強が出来なくて、強気で、どうしようもない。

女の子だからおしとやかにいなさい。赤やピンクを身にまとって。
恋人を作りなさい。恋愛をして結婚するのが幸せなのよ。
夜遅く出歩かない。お兄ちゃんはいいけど、貴方は女の子だから。
出来ないの。止めなさい。
貴方は特別でもないし、可愛くもない。現実を見なさい。
有り触れた幸せを、一番だと思いなさい。


固定概念のステレオタイプが、全てを固めて殺してきた。

逃場なんてどこにもなくて、だんだんと何かを始める事さえ出来なくなった。息がしにくくて、眠りにつき現実から逃げていた。

人生の楽しみ方って何だろうと、沢山の足を掴まれてきたせいで自分自身で見つける事が出来なくなってしまっていた。


のは、過去の事である。


小さな部屋では計り知れない事が存在するのが世界だ。

新しくやってきた狭い部屋に、温もりは一つしか存在しない。

寒い日は一人で布団の中にくるまり、面白い事があれば一人で消化するしかない。日々あったくだらない話を共有できる相手がいなくなった部屋では、唯一壁に貼られたおみくじだけが帰りを待っている。

生命など存在せず、コードだらけで先日作った食事の匂いがまだ部屋から消えていない。等身大の、小さな部屋。散らかってるわけでもない、けれどとてつもなく綺麗なわけでもない。

ただの部屋。

そのただの部屋に、救われた私がいる。

ここで好きな事をやっている内に、いくつもの可能性に気づいた。何も出来ないけれど、何か出来る事。人生は思ったよりも残酷で、けれど救いを生み出す事は出来る事。

自分のために好きなご飯を作る、洋楽を聞きながら小説を書いて、毎日夜中の3時までゲームをし、相変わらず起きて20分で家を出て仕事に向かっている。

起きてから全ての身支度を終らせごみも捨てて電車に間に合うっていうのは、相変わらず特技のままである。ちゃっかりメイクも済ませて、歯も磨いて何かしら食べて、ああ、寝ぐせは完璧に直してないけれど。

そんな日々を繰り返し週末は二日分の休み。これも以前働いていた職場では不可能だった。半日は買い出し、残りの一日半を好きな事に使う。

何となく、思いついては好きな事をした。

例えば、アベンジャーズを全て見てみようとか。
いつか見ようとしていたのだけれど、ずっと長いから避けてきた。でも今週は見るぞと決めて、お昼ご飯はマック、コーラ片手にiPadで映画をひたすら見続けた。

ちなみにその日はマックしか食べなかった。

実家から奪い取ってきたブルーベリーでアイスを作ってみようとか。賞味期限が切れそうなバターで大量のクッキーを作り、一人で貪り食ってみようとか。

干したてのシーツに顔を埋め昼寝しようとか、片っ端から掃除してみようとか。突然遠くに出かけてみたり、意味もなく世界を見て、意味もなく歩き回ったりして。

髪の毛を色んな色に染めてみたり、好きだったネイルをまたやり始めたり、一日中ベッドの上から出ないでみたり。

夏だから、ラムネを飲んでみようとか。一人で屋台飯を再現しようとか。誰に見せるわけでもない、フライパンに作った大量のもんじゃとラムネ味のお酒で、夏だなと呟いてみたりとか。


周囲から見れば、人生楽しんでると言われるような事をやっている。


発想の無駄遣いとか色々言われるが、いいのだ。これは私が人生に楽しみを見出すためにやっているのだから。

実家にいて社畜をしていた時、私の人生はお世辞にも楽しいものだとは言えなかった。他人の人生を盗み見ては嫉妬し、作品が売れなければ卑屈になり(これは今もある)、ぼーっと月を見ては突然泣き始めたり。

締切に追われている時だけ生を実感していた。なんて、笑えるけれど本当の話である。

足元からずっと、安定した人生につけという言葉が襲ってきた。

小説家で生きていくなんて、と馬鹿にもされた。職業は何ですか?と聞かれた時に、小説家です!と答えれば酷く貶された。こんな言い方はよくないが、私よりもずっと稼げていない小説家の人でも、小説家です!と言って認められるのに、何で自分ばかりこんなにも酷い事を言われなければならないのだと、いつもいつも、喉奥から込み上げてきた感情を飲み込んでいた。

まるでそれが、恥ずかしい事だというように。


一つ、世界に言っておこう。世の中言ったもん勝ちである。

これに気づいたのは随分昔の事だが、小学生の時クラスメイトとメールでした喧嘩の中で、お互いに悪口を浴びせ合った。と言っても、馬鹿とか、アホとか、それくらいの話。

けれど後日、何故か怒られたのは私だけだった。相手が自分の返信だけ隠して担任に見せたらしい。そもそも、小学校に携帯はNGだったが担任はそれだけの情報と、彼女の嘘泣きで全てを信じこちらを糾弾した。

私はちょっと待て。お互い様であると言った。今手元にないが、送られてきたものは持っている。なのにその情報だけで判断するのかと。

でも悲しきかな。人は涙に弱い。

そうして全て悪者扱いされて、酷い目に遭った覚えがある。まあ、私に可愛げがなかったのも大きな要因だ。これで泣きながら、どうして!?あの子も言ってきたのに!ってやったらトントンで済んだだろうが、それが出来ないのが私である。しゃあない。

他には男子と喧嘩して、手を出されたから突き放した時に実は相手が転んでいて小さな怪我をした事だろうか。これも、後日知った事なのだが、子ども同士の喧嘩は保護者に伝わるはずなのに、私の保護者には一切の話がなかったらしい。

何がどうなって喧嘩したのか、それを相手側の主張だけで決めつけて私は小学校で一人、謝れば全部済むからと担任に言われ謝らされた。あの時の屈辱ったらない。

ちなみに喧嘩の原因は、昔からずっとよくからかってきた男子が帰り際校門で私を押し、また酷い言葉をかけてきた所にある。それだけでは別によくある事過ぎて馬鹿馬鹿しくて怒らなかった。

ただ、私が思い通りに怒らなかったのが癇に障ったのか、隣にいた当時の友人を馬鹿にしてきた。その子は普段、そんな言葉を言われ慣れていなかったから酷く悲しんだ。

そしてまた押してきた時、あまりにも腹が立ったので胸倉をつかんで押し返した。尻餅をついた彼を一瞥しその場を去った。と、記憶しているのだが、この記憶だとどうにも奴が怪我した場所とは違うので、私の記憶が間違っているのか向こうが嘘をついているのか、さあどっちだろう。

まあ、酷く小さな絆創膏でしたが。

そんな所から始まった、言ったもん勝ちの文化は、私の人生に酷い影響を及ぼした。他にも例は沢山あるが、全て書くとめちゃくちゃ読んでくれている人を不快にするので止めておく。聞いていて楽しい話じゃない。私にとっては過去だが、読む側からすれば苦痛だろう。


言ったもん勝ち文化の中で、いつも先行を奪われ悪役にされてきた理由は、私が人に頼らなかったからだ。

というより、頼れなかったからだ。

今もその気はあるが、昔から頼り方を知らなかった。助けてと言えなかった。どうやって手を伸ばせばいいのか分からなかった。手を、伸ばす先すら知らなかった。

多くの子供は家族に助けてと言うだろうが、私には出来なかった。何たってその頃の私は、とにかく自分を信じてもらえるとは思っていなかったからだ。多くの人たちがそうしたように、この人たちも私の言葉を聞いてくれないと思っていた。

後、当時の私が母とそういった話をするのは難題だった。
彼女は年の離れた弟をとても大切にしていて、一番小さいから彼に手を焼かれていた。何か大切な話をしようにも、二人きりで相談など夢のまた夢であった。

父は仕事であまり家にいないし(ていうか私をひたすら馬鹿にするのは彼だし)、兄に言うと逆に深刻化しそうで。友人には弱みを見せるべきでないと思ったし、何より信用してなかった。捻くれた子供である。


そうして言ったもん勝ちの文化に、ことごとく負けてきた私はどんどん自分が嫌いになった。どうせ皆、聞いてくれないし。信じてくれないし。適当に合わせたら済むし。噛みつかなければいいんでしょって。噛みついた覚えもありませんが。

自分だけが見ている世界も、感覚も、口に出した瞬間の相手の顔をよく覚えている。

何だこいつ、気持ち悪。

の体現だった。酷い顔でした。

そりゃあそうだろう、大人になって分かったが、突然知り合いが音や触覚に対し色やイメージ、噛んだ時の食感が再生されると言われたら困惑である。相も変わらず私はマイノリティー側なので、それを否定せず楽しんで聞くが、逆は難しいだろう。


どんどん嫌いになっていた現実の自分を、好きになる方法すら思いつかなかった。

可能であれば夜布団に入って寝たら、肉体全てが溶けて朝起きる事もなく世界に溶けて消えてしまえたならと思ったものだ。肉体全てが溶ける熱だなんて、絶対起きるけど。


しかし、この部屋で一人になり、色んな事をしながら思うのは。


人生を面白くするのは自分で、つまらなくするのも自分だ。


という事だった。


だって私は今、何でも出来る。

時間と距離はあるけれど、どこでも行けるし何でも出来る。

ある日突然、アメリカンな日にしてみようと思いついても実行できるし、泡風呂に浸かりながらポップコーンを食べる事だって出来る。

朝から晩までゲームをしてもいいし、Tシャツ短パンのまま室内で音楽をかけ踊ってもいい。

好きな物語を書いてもいいし、書けない事が悔しくなっても誰かの幸せにいらついても、私は私の人生を面白くする才能があるのだ。


それって凄い事だと思わないか。

だってどうしようもないのが人生だと思っていたのに、小さな出来事で、心が赴くままに起こした行動で、私の人生は面白くなりしょうもない一日の終わりに花火が弾けるのだ。

冷凍庫にあるアイスが溶けてもゲラゲラ笑えるし、作ったパンケーキがフライパンから滑り落ち床に落ちても、少しのショックと笑いで解決できるのだ。

でもさすがに刻んだオクラを全てひっくり返した時はショックで自分を責めたが。


今、どうしようもなく人生が辛い人に言いたい。

多分、今辛いのは多くの物事に縛られているからだ。
それはすぐ脱却できるものもあれば、環境で抜け出せない可能性もある。

でも、今が永遠に続くわけじゃない。

適当で面倒くさがりで、作品にのみ完璧主義で、空想的で、だいぶいかれてて、変なやつだけれど。

私は最近、ようやく私自身の事を嫌いじゃなくなってきた。

ああ、出来る事があるんだって。しょうもない一日を、こんなにも面白く出来るなんて才能だろって。だから、大丈夫って。

多分君もさ、いくらでも自分の人生を面白く出来るし、つまらなくも出来るんだ。

今、その手札を持っているか否か。それだけの事なんだって。


夏が嫌いだったのに、今年の夏はとても楽しく過ごしている。遠くに行けずとも、長い休みがなくとも、自分次第でどうにでも出来るって知った。

毎年このシーズンは異常なほど物事が上手くいかず世界から刃物を向けられていたのに、今年はまだ来ない。このまま来ないでいてくれ。


今を変えたいのにすぐに動き出せないのであれば。
いつかのためにお金を貯めておこう。銀行の口座を見てにやけるくらい。これ超楽しい。
努力は裏切るが、お金と自分は裏切らないから。一生懸命働いて貯めたそれは、いつか必ず自由を買うから。

そしていつか。

今だと思った時に外に出よう。

多くの人から非難されても、過去が足を掴んできても。
歩みを止めず走り去ってしまえ。

全てを置き去りにする勢いで、前だけを見て面白い方へ飛び込んでやれ。

振り返った時に酷い言葉や辛い過去が、まだこちらに手を伸ばしていたらこう言ってやれ。

「ざまあみろ」

って。


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優衣羽(Yuiha)
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