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変わらぬ景色は記憶の中にしかいない
年明け早々体調を崩した。久し振りの発熱だと感じたのはそれまでも体調不良で寝込むことがあったが現実を見たくなくて体温計を使わず気のせいにして生きていたからだろう。あるよね、そういうこと。
よくある話。気づいた瞬間に現実が押し寄せてくるから見なければいいと思っている。体調不良は特にそうだ。ただ残念ながら今回は誤魔化しようがないほど身体にダメージが出ていたのと実家に帰っていた影響で隔離生活が始まった。
何かよく分からないけど姪っ子と仲良くなって遊び回っていた矢先がこれである。人体ってもう少し強くならないのだろうか。いや、私がもっと強くなれないのだろうか。初期ステータスの振り方が明らかに間違っていると常々思う。
歳を重ねるにつれ、周りを見て、自分を顧みて。結局一番幸福なのは心身ともに健康なことであると悟った。特別な才能が無くても、馬鹿みたいに稼げなくても、心が貧しくて身体がガタガタだったら喜ぶものも喜べないのだ。
まあでも、そうじゃないからここにいるんですけどね。
脳内にはいくつもの物語が動き連載を始めている。映像が流れ、誰かが死に、結ばれ、別れ、生まれ、繰り返し、そんな物語がずっと動いている世界が当たり前だった。
それでも学生時代は強制的に普通の生活を送る人々と接する機会があるので、その連載は止まってくれたのだけれど、最近は機会が減ったのでとにかくいつでも映像は流れ続ける。
嫌でも、苦しくても、私の脳みそは自分を救う術がそれしかないと言わんばかりにプログラミングされているようで。動き続ける物語を自分で作っているくせに、一視聴者として心を動かされている時もあって。それが私にとっての普通なのだが、時折人間界の普通に触れると自分のやばさに気づくのである。
いい歳して、って。
それでも幸いなのは私の周りは私がこの仕事をしているのを基本応援してくれている。分かりやすく応援をされずともそういうものだと思ってくれているのだ。というより、薄く滲み出るやばさに気づいた人間は離れていくので、残された人々が非常におおらかで優秀なのだろう。
よくある恋人はいないのか、仕事はちゃんとしてるのか、結婚は、子供は、そんな人の人生に責任も持てない奴らがこぞって口にする価値観の押し付けをしてくる人間は私の周りにはいない。
それは本当にありがたい事で、誰かと一緒になったらもしかして言われるのかもしれないけど、総じて言えるのはお前が私の人生に責任持てるわけじゃねぇだろ口出ししてくんなせめて金出せや、である。多分このマインドで生きているので言われない説もある。こいつには何言っても無駄だと思われてるのは強い。
何にせよ、私はこの仕事をしているおかげでそういう煩わしい言葉から逃れることが出来るのだ。ああ、あの子は作家活動に勤しんでるから自分がやりたいことに夢中なのよ、何かを成し遂げようとしているのよなんて、皆が下地に薄っすらその感覚を持っているから言われないのだろう。
多分何もせず会社員してたら言われてただろうし、むしろ何も書いてなかったら暇すぎて恋愛してたと思う。やる気のベクトルの違いだね!
とりあえず、余計なことを言ってくる人々は放っておこう。だって自分の人生に責任を取ってくれるわけじゃないんだから。無責任な人間ほど余計なことを言ってくると分かれば、あ、こいつ無責任人だ!無責任ちゅだ!って指差せるので。
実家にいた時間はやることが無さ過ぎて、とにかく姪っ子と遊びまくるしかなく、空いた時間でスマホゲームをしたり、PCを持っていったのにつける気も起きずぼーっとしていた。頭の中ではずっと、物語が流れていた。
地元を歩きながら変わらない道だと思いつつ、全体像が変わっていないだけで建物の並びも老朽化も色味も世界もちゃんと変わっていることに気づいた。キャリーケースを引きながら思う。
懐かしさなんてどこにもなかった。
それは割とよく帰ってるからなどという問題ではなくて、単純に私が今見ているこの街は記憶の中の街ではあるものの、全くの別物だと思ってしまったからだ。
空の色、電線の垂れ具合、建物の風化、道の凹凸、走る車に鳴り響く音。どれもどれも違うのだ。記憶の中とは別、タイムスリップしたみたいな感覚にもならなかった。
そこでふと思う。変わらぬ景色なんてどこにもないのだと。どれだけ懐かしさを感じようが、変わらないと思っていようが、時が止まらない限り景色はずっと動き続ける。植物の成長は止まらない。建物の劣化は進んでいく。技術は進歩し聞こえていた音も変わっていく。
変わらぬ景色は記憶の中にしかいない。
膝に座ってきた姪っ子と遊びながら思う。
この子が見る世界には新鮮なものばかりだろう。猫に驚いて「ないない」なんて言いながら逃げるくらいだ、もしかすると恐怖も強いのかもしれない。
それでもいつか、その世界の新鮮味が無くなり懐かしさを感じる日が来るのだろうか。その頃の私はいい叔母さんなので考えたくはないが、きっとすぐに来てしまうだろう。
でも今の私がまだ世界に転がる鮮やかさに気づき、目を細め笑っているから多分そんな早くには来ないのかなと思いつつも、記憶の中に住んでいた変わらぬ景色が少しずつ薄れていくのを感じ目を閉じる。
最期の瞬間まで世界が鮮やかで美しいままであることを願いながら、そうするための時間を積み重ねていくのが人生の醍醐味のひとつかもしれないと思うくらいには老けたと感じる、そんな瞬間だった。
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![優衣羽(Yuiha)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/72562197/profile_e54491ccb68ce05a148717f2e8a06c56.jpg?width=600&crop=1:1,smart)