僕らは金木犀の奴隷なのかもしれない
金木犀が増えるのは魅了された人間が堕ちていくからだ
隣町にかかりつけの歯医者がある。歩いて向かうのは電車代を浮かせたいからという理由ではなく、純粋に運動不足解消のためだ。信じられないくらい運動をしていないので、人間は程々に歩いた方が良い。そのうち一歩踏み出すだけで悲鳴を上げる身体になるかもしれないから。
道中金木犀の生垣がある。良く晴れた、秋晴れの空だった。淡い青が空高く、雲は薄っすらキャンバスの上に広がった絵筆のように伸びている。顔を上げれば木漏れ日の隙間から覗く青に、何だか夏の色を感じた。数週間前まであんなに暑かったのにね。
顔を下げれば金木犀が葉の隙間に密集した橙の花を咲かせている。甘い、石鹸のような匂い。最近知ったんだけど石鹸って匂いがないらしい。いや、ある事にはあるけれど脂肪酸の匂いらしい。古来は獣脂で作られていたから匂いも酷かったんだとか。
我々が石鹸の匂いと感じている物はイメージつけられた匂いなのだ。つまり、本来の石鹸の匂いを我々は知らない。石鹸の匂いと名高い香水も、『石鹸をイメージしてつくられた匂いの香水』ってわけだ。何だかややこしい。
そう考えると、自然に石鹸のような匂いを発する金木犀は秋になると日本人の心を奪う理由がよく分かる。親しみ深い匂いだからだ。ついでに、作りやすいのかもしれない。
見ながらそういえば、と思い出す。去年も同じように金木犀の生垣を眺めた。綺麗だと楽しんだ次の週、生垣が切られていて無残な事になっていた記憶がある。
無くなった生垣の場所には新たな金木犀が植えられていた。時間と共に大きくなって、いずれは記憶の中のそびえ立つ金木犀のサイズになったらまた切られるのだろう。よく考えたら2メートルはあったと思う。いや、それ以上か。とりあえず、有り得んくらいのサイズだったのは憶えている。
金木犀は自生しないらしい。江戸時代、中国から遥々渡って来た金木犀は、人の手によって増やされ今に至る。一応、雌雄株あるらしいんだけど、日本にあるのはほとんどが雄株なんだとか。
自生しない植物がなぜここまで愛され増えたのか。多分、金木犀が多くの人を魅了し、広めるよう惑わせて堕としたのではないかという考察を見て何だか納得してしまった。
確かに、あの香りは唯一無二の物だ。日本の代表的な花は桜などがあるけれど匂いがあるわけではない。あるんだろうが、花の下に立ちその匂いを感じる事は少ないだろう。
反対に金木犀は匂いの強い花だからそこにいるだけで嗅覚が刺激される。桜が視覚を刺激するのなら、金木犀は嗅覚。秋の訪れを人々は気温の低下と繊細な風の移り変わりで感じ取る。そこに、絶妙にマッチしたのが金木犀なわけだ。
歩きながら、思えば私は橙色が好きではないのに金木犀は嫌いじゃないと気づく。個人的な話だが嫌いな色は人参のカラーだ。あのオレンジと葉の真緑が好きじゃない。人参は嫌いじゃないけど、色彩としてバリバリなあの秋色が好きじゃない。ついでに言うと絶望的に似合わない。
パーソナルカラーというものが世に出て数年経つが、間違いなく私のカラーではないのだろう。美容院に行くと「うーん、これはブルべ冬ですね!」と結構な確率で言われるのでそうなんだろう。知らんけど。
とにかく、暖色系が似合わないから好きでもないのだ。特にその二色はよく分からないけど本当に好きじゃない。
しかし金木犀は橙色だというのにしつこくない気がした。淡い、というよりは白が混じっているだろうか。オレンジの絵の具に乳白色を混ぜたような色味だからかもしれない。何となく、柔らかな印象を与える。
花も可愛らしいのが日本人にウケるのかもしれないとも思った。花弁は小さく丸っこい。密集している。桜と同じだ。欧州では薔薇や百合、チューリップなど一輪で花があるような物がウケるけど、日本では逆だなあ国民性かとしみじみしていた。
人は五感に記憶を結び付ける生き物だと思っている。金木犀が香れば秋を感じ、白い息とツンとする鼻に冬を知り、桜が散れば春が来て、ぬるま湯のような夜で夏に気づく。
ある一時に聞き続けていた曲が流れると当時を思い出すのもそれだ。懐かしさに唇を緩め、僅かに微笑む日々が増えていくほどに時が過ぎていく。一瞬で一年が経ち変わらぬ自分に嘆きながらも、変わらなかった世界に安堵する今日がある。
馬鹿みたいな話だが作家としてより活躍するために頑張った一年の先、手元に何も残らなかった事がどうしようもなく虚しくて、何かこれずっとやってるなもう辞めてしまおうかな。そんな日々を繰り返してるくせに、時折こんな悩みが脳を占めている事に安堵しているのだ。
だって自分の世界が平和な証拠だから。勿論心情的にはズタボロ雑巾を縫い合わせる日々なのだが、明日死ぬかもしれないとか、仕事をクビになった、一人で暮らせない、病気で立てなくなる、そういうどうしようもない理不尽に晒されていないから。まだ、幸せなんじゃないかと思う。
お金が沢山あるわけじゃないけど一人で生きていけるだけの稼ぎはあるし、貯蓄もあるし、自由に物語を書けるくらいの余裕はある。まぁ書く事に関してはどれだけどん底に落ちていても、そこに紙とペン、なければ地に、脳で作り続けるだろうけど。これは私が私を救うための物語だから。
そんな事を考えながら、やっぱ宝くじは当たって欲しいしそれ以上に自分の創作で稼いだお金で自由にしたいと、思い続けるのである。
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