僕の話
足を止めたくて仕方なくて
才能って何だろうと考えた時、それは運と少しのずる賢さが含まれているのかと思う。勿論、圧倒的な光に人は集まるがその光も誰かが手を伸ばさなければ蝋燭の灯が消える。
パトリシア・ハイスミス「サスペンス小説の書き方」で
と述べられていたように、全くその通りなのである。
笑える話だが、この世界に何一つ被らないオリジナルは存在しないのだ。皆何かを模倣している。というより、影響を受けている。今まで作り出した作品の全ては、生きてきた中で触れたものに影響されている。それは仕方のない事である。
でも、この文章を読んだ時、何故だか涙が止まらなかった。
ずっと、考えてきた事がある。足を止めたかった事がある。それをすれば、全てが楽になるとも分かっている。
でもしたくなくて、茨の道を素足で歩いた結果が今だ。後悔はしてないけど、やり切れない事ばかりである。
正直な話をすると、世の中に生まれ続ける作品の三分の一以上が、その時のトレンドや売れた作品を真似た、模倣である。そして、それは意図して生み出されているものだ。ただ売れたい、名を馳せたい。それだけのために。
そうやって有名になった人間を何人も見てきた。中には有名作品のプロットをもろパクりましたと言って、笑う人間もいた。
吐き気がした。
崇高な芸術って何だろうと、今も変わらず足りない力で考えている。
本当に伝えたい事は何だろうと、日々自問自答を繰り返している。
そして気づく。あ、多分これ、パトリシア・ハイスミスが言った前者の書き手になれないんだ自分。と。
プライドなんてものじゃなくて。ただ、その在り方が分からないだけで。
勿論、その時の流行でどんなものがウケているのかを調査するのは大事だ。どんな事柄でも、市場調査は超大事である。やってるかは別として。
そして市場調査で得た結果を、自分の作品にひとつまみのエッセンスとして入れるのもありだ。それが賢いやり方だと思う。8のオリジナリティと2の流行、これが恐らく一番美しいあるべき姿ではないのだろうか。
でもさ。
10の流行で生み出された作品が、売れるのは当たり前のことなのだ。プライドを捨て、それでもいいや、有名になれさえすれば、だって皆分からない、騙されてるって気づいていない、馬鹿みたいだと、それを作った誰かは私に言った。
私は耐えられなくなって、口を開く事を止めた。ああ、多分。これは何を言っても分かり合えないのだと。この人はこういう考え方だから、どうしようもないのだと。それなら別に、小説じゃなくてもいいじゃんって。
けれど少し前にイラストレーターさんとお話した際に、自分が描いた作品と全く同じ構図の作品がある。それが評価されている。どうしようもなく不快で悔しい。と、その人は言った。
ああ、私これが言いたかったんだと、心から思ったのだ。
真似されるのは光栄だと思えと誰かは言う。そんなもん嘘だ。後ろから全く同じ格好の、同じ顔の誰かがいつも歩いてきたら嫌だろうが。気持ち悪いって思うだろうが。
それが、作品なら尚更。
時間をかけて世に産み落とした一つの物語が、ほんの一瞬の隙に真似されて相手が利益を得るなんて最悪じゃないか。
リスペクトの欠片すらありはしない。
まあ、そんな事するタイプの人はリスペクトなんてせず、ただ偽物の名声に酔いしれるのだけれど、パトリシア・ハイスミスの言葉が、私にはとても深く突き刺さったのだ。
ええ、そうです。独創的かはさておき、私は私の作品に真剣に向き合ってます。一つ出す度に、これが最後になるかもしれないから最高傑作をと思っております。
決められた大枠の中で、読んだ事のない物語を届けるために、いつも頭を悩ませて。
もう無理だと机に突っ伏しては逃げようとした事もあって。
眠らなくなっていつの間にか朝が来て、仕事に行ってボロボロになりながらパソコンに向き合って。
どうしたら私が、そして皆が楽しめるような物語を書けるか日夜悩み続けて。
それを繰り返していたらいつの間にか虚無が襲ってきて。
ぼーっと部屋を眺め口を開け、死んでしまえたらいいのにと。
それでも生み出して届いて、ああ、良かった。まだ生きていける。とその繰り返しで。
そんな思いが詰まった物語は、ある種子供のようなもので。
その子供を一瞬にして攫う輩を、私はどうしても許せないでいる。
ねえ何のために書いてるの?
書きたいから書いてるんじゃないの?
有名になりたいから書いてるの?
嘘の衣を身にまとっても、表に出たいの?
自分の中の曲げられない軸はなに?
その物語は、誰を幸せにするものなの?
名声も称賛も、一時の泡沫で消えるものだ。
いくら欲しい物を手に入れても、翌年にはそれがない事だってざらにある。
そして、嘘は必ず、どこかでバレる。
ここまで話しておきながら、私は結局の所、模倣犯たちよりもずっと、自分の事が許せなかったりするのだ。
初めて物語を世に産み落とした時、私の考えた事は
「早く次を書かせてくれ」
だった。
出した喜びに浸る事さえしなかった。いや、浸れなかったの間違いだったと思う。理由はそれほど歓迎されなかったから。
産み落とした物語は最初にしては存外に遠くへと届いた。届く度に言葉が返ってきて、少しずつ、書く楽しみを知った。自分の文章の何が読み手を喜ばせたのか、返事で初めて知った。
じゃあ次は、好きだと言ってもらえた所をもっと伸ばそう。駄目だった文章を整えられるようにしよう。新しい観点で、届けられるようにしようと、笑いながら書いた。
決して楽ではない旅路だったと思う。当時は大学四年生。学校に行く時間は少なかったが、レポートや卒業論文、就職活動に追われた。面接を受ける度に、私は何をしているのだろうと思った。
こんな事する時間があれば、早く帰って一文字でも多く書くのに。
けれど現実は残酷である。たかが一冊出した所で、その後の生活が保障されるなんて事はない。自分の人生は自分が責任を取らなければならない。生きるためにはお金が必要で、お金は労働により生み出される。
時間と体力、心を引き換えに金銭を得る。それが世界のシステムで、紀元前から変わらぬ事実だ。
でも本当は、ただ書けるだけで良かった。
小さな部屋で構わない。最低限の暮らしでいい。
ただ、私が私として書き続けられる日々を。
それすら叶えられないのが現実で。結局仕事を手にし、二刀流で頑張った。
けれど二刀流は存外ハードであった。職種もあったが、毎日10000歩以上歩き回って、帰ってきたら泥のように眠る事もなくパソコンに向き合う。新しい作品を書く。いつの間にか空が白んでくる。そこでようやくベッドに潜り、数時間の睡眠後再び仕事に行く。
休みはいつまで寝てるのかとどやされ、少ない睡眠時間でポヤポヤしながら綺麗な自分でいるためにメンテナンスをして。そんな日々を繰り返していた時。
何かが、壊れた音がした。
気づいた時にはもう止まらなくて、毒ばかり吐き、ただ、ただ、書きたいだけなのにと泣いた。月明かりが差し込む濃紺の部屋で、ギシギシと軋む心を必死に元に戻そうと躍起になった。
涙がずっと、止まらなかった。23歳の誕生日、全部が上手くいかなくて帰り道、ようやく座れた満員電車で一人、目を閉じた。誕生日なのに一番に祝ってもらいたい人には無下に扱われ(これに関しては期待していた乙女の優衣羽ちゃんが馬鹿だった)、何故かこの日だけ出張で、次の日も朝から仕事で。
朝から晩まで。次の日もおめでとうなんて届かなかった。
締切に追われそんな言葉をふざけて要求する事も出来ず、目を閉じ耳元で鳴り響く音楽に身を任せ鞄を抱きしめた。
すると何故か、目が潤んだ。
気づいた時には止まらなくて、大きなマスクが目元にかかっていたせいで不織布が濡れていった。
駄目だ、止まれ。こんな所で泣くなよ。ダサいだろ。しょうもない、自分を傷つけるだけの人間たちのために、事象のために、泣くな。それでも止まらず、10分ほど、寝た振りをしながら静かに泣いた。
その時EVERGLOWのNO GOOD REASONを聞いていたのだけれど、あれを聞く度金木犀の匂いが香った23歳の誕生日の帰り道を思い出して、お前よく頑張ったよと言いそうになる。
後何年。
これを耐えれば人生が素晴らしいものだと思えるだろうか。
後何年。
我慢すれば死ねるだろうか。
後何年。
後何年。
後何年。
乱暴に目元を擦り曇り空を見上げる事も出来なかった。雨が降った後の匂いと金木犀が混じって噎せ返りそうだった。
いつの間にか、理不尽な事に慣れていた。
馬鹿にされるのは生まれてからずっと、もうどうでもいいやと悲しいと感じる事すらしなくなった。
他人に助けてと、ずっと言えないままだ。本当は喉から手が出るほど、誰かの手が伸びる瞬間を待ち侘びていた。けれど、それはもうこれまでの人生で起きる事がない事象だと決めつけた。
一人で立たなければと、震える足を叩き続けた。ずっと、歩いていればいつか。良い事があるって。少なくとも昨日よりは幸せだと言えるはずだから。それだけを信じ続けた。
恋も愛も、この先手に入らないと勝手に思い込んだ。事実、八割以上の確率でその通りになると思っている。何故なら作家としてのめり込んでいる時の私は酷く精神不安定で、心をパルミジャーノみたいにがりがりと削りまくっているからだ。
男女問わず、精神が不安定になるやつを傍に置きたがるもの好きは少ない。少なくとも、私が好きになるタイプの人間は置きたがらない。
何より、ずっと。
私の中の崇高な何かを作り出したくて。
それさえ出来れば死んでもいいやなんて、ずっとずっと思い続けている。例え他人に理解されなくても構わないから。自分が納得の出来る作品を生み出せたら。
それで終わりにしよう。
けれど生きていく中で、書く事だけを考える事が出来なくて、情けなくて誘惑に弱くて本当に駄目だなあといつも自分に文句を言っている。
ゲームは好きだし、綺麗にするのも好きだし、料理も結構好きで、寝るのは現実逃避、仕事は転職してようやく気が楽になって、いつの間にか酷い言葉を聞く機会が減って。
安心して。
逃げた。
真面目な話をするが、私は書いている時の私が一番病んじゃってて面倒で精神不安定。酷い時は鬱ですか?と言える状態になる事を知っている。良いものを追究するため、昼夜問わず本当に命を懸けるから。寿命をすり減らしていくから。書ききれない自分が悔しくて、理想に届かないのが情けなくて、ピーピー泣きながら書いている。
これが、正直死ぬほどきつい。
こうならないようにいようと、いつもいつも考えているのだけれど残念ながら毎回こうなる。もう癖。これは治らん。
だから、普通の暮らしをと考えた。
後は胡坐をかいていたのもある。多くの人から素敵な言葉を貰って、調子に乗って、自分は市場でそこまで必要とされていないのを理解していたくせに、次が簡単にもたらされると勘違いした。そんなわけないのに。
パトリシア・ハイスミスが言っただろ。私は明らかに思考も書き方も、後者の方だから決して楽に仕事を手に入れられないって。
おかげさまで、いつも歩かなくちゃいけなくなった。4年をかけて得た土台を、もう一度やらなくてはならない状態まで持ってこられた気分である。ああ、だからプライドを捨てて適当に似たような作品を書いて儲ければよかったのにと頭の中で声が聞こえるが、それは絶対にこれからもしないだろう。そんなダサい事するくらいなら死んだ方がマシである。
応援してくれる人たちにいつも感謝しているが、同時に申し訳なさもずっと抱いているのだ。何か、面倒な奴を推させてごめんねと。君の推しは、これからも本当の意味で幸せだ!と心から笑い泣きする事はないかもしれない。脚光を浴びる事も、無いかもしれない。青臭い事ばかり言って、何一つ叶えられないかもしれない。相変わらず毒を吐くし、マイナス思考でブンブンしている。
でも、言える事は、歩いてきたからこそ今があるっていう事。
正直者が馬鹿を見る理論に、いつもはまり続けているけれど、見えない道の先にドン引きするくらい美しい景色が待っているかもしれないから。
それを見る権利は、必ずあるはずだから歩き続ける事。
泥臭くあるがままの姿でこれからも言葉を紡いでいくけれど。
死にたいと思って、救われなかったからこそ。今足を止めている誰かの気持ちが分かる事。
欲しい言葉が分かる事。だからこそ、これ以上私みたいに面倒な大人を生産しないために手を伸ばそうと思っている事。
いつか、私が私のままで史上最高で、代わりなんていないと言えるように。
それまで歩いていく。
あー、でも。
エーゲ海の見える海街高台、レモンの木が植わるこじんまりとした一軒家の庭先。
午後一時すぎ、昼食後麻のハンモックに寝そべるのだ。
手元には鉄製のガーデニングテーブルの上に置かれたアイスティー。
猫の鳴き声が聞こえて外壁を上り去っていく。
左手を見れば遠くに輝く海と白い帆が張られたヨットが数台浮かんでいる。
百日紅のように鮮やかな花が咲いていて、木漏れ日がハンモックに降り注ぐ。
読みかけの小説を閉じ、胸の上に置く。柔らかなブランケットを適当に身体にかけ、世界の音に耳を傾ける。
「あー、いい人生だったな」
そう言って目を閉じ、二度と起きないような。
そんな終わり方がいい。