僕と君の366日の嘘
世界は色で溢れている。
それを知れたのは、灰色だった世界に君が現れたから。
失う色以上の想いを与えられ、
最期まで強がりなその小さな手は、共に幸せになる事を望んでくれた。
僕と君の366日の嘘
桜流しと初恋の君
出会いは八歳。春の温かな午後、ピアノ教室の帰り道で迎えに来てくれるはずの父から遅れると連絡が入っている事に気付いた私は、ピアノ教室の先生に迷惑をかけるわけにもいかず、その連絡に短い了承の言葉だけを返した。
時間になっても迎えに来ない父に気付き、先生は私に問いかけたが首を横に振り嘘をついた。
『今日は待ち合わせしてるので』
思い返せば私は可愛げがなく嘘つきな子供だったと思う。父が遅れる事を話し教室で待たせてもらえばよかったのだが、どうにも迷惑をかけたくなくて嘘をついた。敬意を込めて話す敬語は、大人と距離を置くために話すようになっただけのものだ。
張り付けた薄っぺらい笑みに人は皆騙された。物心ついた時から、子供らしい子供の生活を送ってはこなかった。
課された事をこなし、与えられたものを受け入れる、親の期待に応えるための人形のような物だった。同学年の友人は少なく、多くの習い事をこなしているせいで友達付き合いも悪く、裏ではよく陰口を言われていた。
最初こそ不快に思ったが、繰り返される似たような言動に心が動く事もなくなり次第に陰口は止み、人から距離を取られるようになった。
友人と遊ぶ事に憧れはあったものの、時間はなく、また人に好かれるような立ち回りが出来るはずもなく。私の幼少時代はいつだって一人だった。友人と遊んだと言えるような思い出は片手で数えるくらいしかなかった。
桜が咲いて季節が変わったが、私の世界は変わる事のない灰色のままだった。
弱冠八歳。世界に諦めを抱いていた三月の終わり、吹き荒れた桜吹雪の世界が私を変えるとは思いもしなかったのだ。
『水縹(みはなだ)公園にいます』
父にメールを送りブランコに座りながら空を仰いだ。雲一つない快晴だ。
昨夜の雨は満開に咲いた桜を散らし地面に絨毯を作っていた。淡い薄桃色が大嫌いだった。春になれば桜は必ず人々に愛されるのだ。人々はそれに浮かれ空を仰ぐ。ワンシーズンと言えど国中の人間から愛される花を好きになれなかったのは、嫉妬心からだろう。
『立波(たちなみ)さんはいいよね。お家はお金持ちだし可愛いし』
『何でも出来るしねーあーあずるいな』
不意に、先日言われた言葉を思い出して頭を振った。医者の父、美しい母、愛される妹。そして自分。人はないものねだりだから妬み嫉みを買うのは多かった。言われても私は何も返せない。
生まれてくる家は選べない、顔だって選べない、何でも出来るように見えるのは、何でも出来るように努力してきたからだ。しかし、人付き合いだけは致命的だった。
イライラしながら足元に溜まった桜の花びらを蹴り飛ばす。大体私だってピアノがやりたかったわけではないのだ。同じ音楽をやるのならヴァイオリンがしたかった。しかし、母の望みを叶えなければと思ってしまった私は差し出されたピアノ教室のチラシを笑顔で受け取ってしまった。ちなみに妹は我儘を言ってヴァイオリンを習っていた。
自分が悪いと言えばその通りなのだけれど、期待に応えたかった故の行動だった。しかし始めて見ればどうだ。可もなく不可もなく、褒められる事もなかった。こんな事になるなら、ヴァイオリンがしたいと駄々をこねればよかった。現に、妹は大して上手でもないのに褒められていた。
勉強も習い事も、出来て当たり前だと言われ続けてきた。その言葉は確実に私の精神を削っていた。出来なかったら駄目、しかし出来ても当たり前。
これ以上は何もなかった。ただ一言褒めてくれるのならそれで良かったのだが、それが無理だという事はこの短い人生で身に染みてしまっていた。
溜息を吐きながら遠くを見る。遅れるという事は妹のヴァイオリン教室のお迎えだろう。同じ時間に違う場所で音楽を習っているのだが基本私は後回しだ。今更文句を言うつもりもないが、この胸のしこりは消えてはくれなかった。
叶う事なら桜の木になりたかったと思う。一年に一回必ず皆に愛される大嫌いな桜の木になれたのならどれだけ良かっただろうか。そんなくだらない事を考えていれば、視界にサッカーをやっている同い年くらいの子供達が目に入った。皆笑って楽しそうにボールを蹴っていた。
「いいなあ」
零れた本音は風が攫っていく。私には永遠に関係のない事だった。
ボールがこちらに転がって来たので拾おうとして立ち上がるが止まってしまった。拾って何と言えばいいのだろう。私も入れてなど言える訳がない。
サッカーなんて出来ない。泥だらけの服を見られたなら確実に怒られてしまうだろう。
悩んだ末ボールを拾う事を諦めた私は再び元いたブランコに座る。一人の男の子が走ってこちらに向かってきた。その子はボールを拾い去っていくと思っていたのだが、私に声をかけてきた。
「お前何してるの?」
お前という言葉に私は自分を指差す。その子は首を縦に振った。ぶっきらぼうな声だった。色素の薄い髪が陽の光を集めてキラキラと輝いていた。子供達の中でリーダー的な存在なのだろうか。妙にしっかりした雰囲気を纏っていた。
「お迎えを待っているの」
視線を外しその声に答える。
「でも一時間くらいずっとここにいるだろ」
そんなに時間が経っていたのか。私は時計を見る。男の子が言った通り、ピアノ教室が終わってから約一時間が経ってしまっていた。
「お父さん、お仕事忙しいから」
嘘だ。多分妹が駄々をこねて時間がかかっているのだろう。しかし、目の前にいる男の子と話をしたくはなくて目を逸らした。第一印象は苦手なタイプだった。
ふーん、という声が聞こえた後足音が聞こえたので去ったのだろう。私は息を吐いて顔をあげた。その時だった。突然。地面から足が離れた。驚いてブランコの鎖を握り、膝の上に乗せていた手提げ袋を抱える。座っていたはずのブランコの両端に靴が見えて着ていたワンピースを思わず引っ張る。
「いきなり何するの!」
声を荒げて頭上を見れば、立乗りで私のブランコを漕ぐ男の子と目が合った。
「やっとこっち見た」
笑った男の子の頭上に桜の花びらが降り注いで木々の間から色素の薄い髪を輝かせた。一瞬で世界が色付いた。まるで絵画のように切り取られた一瞬は私の脳に焼き付いた。
「新藤蒼也(しんどうそうや)。お前は?」
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僕と君の366日の嘘
僕と君の365日のアナザー版です。Webサイトに投稿していたものを加筆・大幅修正し同人小説として出した作品です。※本にはあとがきが収録され…
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