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石を穿った雨垂れが、涙だと他人は気づかない

削れるのはどちらか

雨垂れのような小さな滴でも、長い時間をかけて落ち続ければ岩にも穴があく。例え小さな事でも根気よく努力し続ければいつかは成功する事を言うことわざだ。

逆を言えば、どんな物事も突然落ちてくるラッキーは無く、小さくとも人から気づかれずとも続けない限りは成功しないという意味でもある。

そんな事は当たり前で、努力は続けない限り身にならず、続けた所で成功するわけでもない。人生は物語ではないから、必ず訪れるハッピーエンドなど存在せず、無駄撃ちするような日々が続く事も当たり前にある。

不意に、このことわざが目に入った。どこで目に入ったのか、思い出せないほどどうでもいい日々の中で、 ただ一文、それだけが脳に焼き付く。

そして思う。落ちた雨垂れが涙でも同じ事を言えるのだろうかと。

雨の滴が落ちていつか削れる岩は、波に攫われ長い年月をかけて角が取れたシーグラスと同じようなもんだと思っている。

でもそれが涙だったら?必死に努力し、ここで止めたら全てが無かった事になると分かっているから続けて、けれど心は磨り減り頬を滑る雫が、岩を削ろうとしているのが涙だったら同じ事を言えるのだろうか。

雨垂れで石を穿とうとした時間がある。穿てない石に全てを止めて終わらせようとした日々がある。あの時間で落とした滴は間違いなく涙の雫だった。何もかもが絡まって、噎せ返る暑い夏の空気を吸って生きているような気分。息を吸いたいのに、吸っても吸っても喉にまとわりついて脳は正常な判断を止めた。

机に突っ伏した。頬にひんやりとした冷気が伝わり、視線の先は窓の外。空はずっと鈍色だった。ぽつりと熱を持った雨が降る。滑り落ちる間に消えた熱は机に落ちていくけれど穴はあかない。

後何回。何十回、何百回。続けたら穴はあくだろうか。生涯あかないままなんじゃないだろうか。この脳が作り出す空想は、この指が書き出す物語は、どこにも届かず何にもならず、ただゴミ捨て場に捨てられて回収される事もなく積み上がり腐臭を出すだけなのか。

美しい外観だけを見せ、笑っておどけて何ともない振りをした。内に秘めた憎悪と嫌悪、悔しさに空虚感、絶望さえも見せず、曲がり角を曲がって路地に入った先にある積み上がった掃き溜めを隠すような生き様。

人に見せるものではない汚い部分は、増えれば増えるほど悪臭を漂わせるように感情へと滲み出た。ただでさえ低い自己肯定感は限界値まで下がり、呆然と、虚無だけを見つめ穿つ事も出来ない雨を降らす。

もう"辞めよう"と思うくせに、変換はいつも"止めよう"で。結局止める事しか出来なくて、絶望の淵にいながらも月に手を伸ばして届くと信じている馬鹿げた理想を抱いた幼子が、まだ終わらせないと歯を食いしばるからで。それでも止めたら石を穿てなくなると分かっているから、どうしようもないほど愚かな日々を続けるしかない。

悔しさに歯を食いしばり足掻く心持ちが無かったら、とうの昔に折れて終わらせていた物語。


誰かはきっと笑うだろう。愚かだ、くだらない、馬鹿げている。沢山の言葉が飛び交った人生の中、お前には出来ないと言われ続けた。何をしても、どんな理想を描いても、才能がない。出来るわけがない。身の程を知るべきだ。鼻で笑われ、距離を置かれ、仮面を被り平然と笑う日々。

けれどいざ穿った時、人々は手のひらを返した。ほら、最初から言ったでしょ。貴方は素晴らしい、才能があるなんて戯言を吐いた。若くして成し遂げるなんて才能だ、大した努力もしていない。はて、そうだろうか。少なくとも私は何も成し遂げていない。

石を穿つような雨垂れが涙で出来ていたのを、誰かは知らない。

人間なんぞ酷いもので。そう言えるのはきっと、私もその一人だから。そしてその酷さを一身に受けてきた人生でもあったから。見た目で年齢で立場で、パッと見て知れる情報で相手を判断する。これまでどんな事があって、どんな人生を生きてきたかなんて知る気もない。ただ笑っていたら悩み事がないと言われ、小綺麗にしていたら何も困っていないと言う。

その笑顔も外見も、どうやって作られたのか知らないくせに。


笑えるくらい沢山食らった言葉は毒になり身体中を回っていつしか心を蝕むようになった。それでも自分だけは、なるべく誰かに言わないようにしようと思えるのは唯一の良心が生きているからである。これが死んだら片っ端から同じ言葉を返して相手を精神的に殺しにかかっていただろう。


石を穿つ。這いつくばって月に手を伸ばすように、涙で汗で終わらない絶望の中抱いた一縷の希望で石を穿つ。

穿つその時まで見向きされずとも。穿つために、コンクリートを爪で引っ掻いて血だらけになったような時間が今の私を作っているから。例え穿った事に称賛を得ようとも、自分だけはそれまでの時間へ称賛をあげたい。

花束みたいに色とりどりの幸せで愛の詰まった言葉を、貰えないのなら私が私にあげるのだ。君はそれが出来る人間だと、頭上から花弁を降らせて言いたい。

誰にも言われないのなら、自分で言えばいいだけの話なのだから。

それでも少しは誰かに言ってもらいたくて、唯一無二の誰かがいればいいななんて、夢想しては結局石を穿つ日々に戻る。

石には一つの穴があいている。それは小さく傷と言われればそれまでかもしれない。触るとザラザラして白い粉がつく。舐めるとしょっぱい小さな穴。

その横にまた雨垂れを落とす。けれどきっと、この雨垂れは涙だけではない。

希望を込めた慈雨のような滴だろうから。

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