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焼き菓子の香りに目を細め、幼少期の私が顔を出す

チョコレートが焼けた香りに、思い出は助長される


幼馴染と言われるような関係性の子がいた。誕生日は二日違い。近所の公園で出会ったその子は、瞬く間に一番の友達となった。

同じ幼稚園、何度も遊んで当時の私にとって彼女は最初の友人だった。

違う小学校に行き、それでも低学年の間は何度か遊んでいた。中学生に上がり私たちは別の世界を歩くようになった。用があれば話すけど、関わりはまるで他人のよう。そういうものだと思いつつ、当時のようには戻れないと少しの寂しさがあった。

ともかく、彼女と私の人生は別のものとなった。二度と交わる事のない道筋は大人になってからも変わらない。彼女が今何をしているのか、私は全く分からない。大学の頃は時折母から聞いたりした事もあったけど、正直自分には関係ないと思っていたので聞き流していた。

永遠に続くものはないと0歳からの知り合いがそれを教えてくれていたのかもしれない。気づいたのは、随分後だったけど。

オーブンの中からチョコレートが焼けた香りが漂い、狭い部屋に充満する。幸福の匂いに、私はふと、彼女の事を思い出した。

リスとかウサギみたいな子だったと思う。小さくて目がぱっちりしていて、細くて活発、日に焼けていて元気な子。ここで言う小さいは私より小さいという事なので、ある程度の身長はあったはず。

彼女の両親はとても顔が整っていた。格好いいお父さんに小さくて可愛らしい、彼女にそっくりの母親。自宅は母親の趣味であろうカントリー調に整えられていて、ハムスターが滑車で走り、綺麗な自室がある。

当時の私からは、羨ましいほどの環境だった。

未だにそうだが我が家に統一された空気はない。階段に花や緑の絵が飾られているくらいだ。先週久々に実家に帰ったらびっくりするくらい汚くて(ごみ屋敷ではないが自宅とは大違い)まじ?と問うたくらいである。

まあこれに関しては母がどうにかしようにも、汚部屋の主である弟と面倒くさがりで整理整頓をしない父のせいで乱雑なままなんだと思ってる。可哀想……。

ただ彼女の家は綺麗だったのだ。物が多かろうが統一感があり、センスのいい家で生きている彼女。私はあの家の空気がとても好きだった。

不意にチョコレートの焼けた匂いがして、テーブルクロスが敷かれた綺麗な机の上に必ず現れるのが、林檎入りのブラウニーだった。

林檎が入っているにも拘らず水分でべちゃっとしていなかったブラウニーは、外はサクッ、中はしっとりとした食感でとても美味しかったそのブラウニーを、私は死ぬほど愛していた。当時の私にはあのブラウニーが一番美味いブラウニーだったのだ。

さすがに食べ過ぎだと思う事も多かったのだが、めちゃくちゃ美味しいと彼女の母親によく伝えていた気がする。高頻度で食べていた彼女は興味なさげだったが、私にはとても珍しく美味しい物であったのである。

というのも、当時の我が家にブラウニーを焼く人間なんぞいなかったからである。お金もなくて、そのくせ三兄弟、一番下は赤子。専業主婦に仕事でほとんど帰って来ない父。外に遊びに行ってくれるなら、それに越した事はないくらいの状態だった。

そんな環境でブラウニーを焼いてくれるかと言ったら有り得ないに尽きる。そもそも友人が家に遊びに来て手作りお菓子を焼くなんて無かったのだ。そんなお家ではなかったのである。

手作りケーキを作るのは誕生日くらい。クッキーやブラウニーなどの焼き菓子は買ったり貰ったりするものだ。買ったお菓子がほとんどの状態で、手作りのお菓子を焼いてくれる母がいる事、それも自分好みの美味しい物というのが私の心を撃ち抜いていた。

詰まる所、私は、綺麗な家で自分と向き合ってくれる暴言吐かない親がいて大切にされているのが目に見える環境が羨ましかったのだと思う。そこに、最高に好みのブラウニーが追加されていたから尚更。


さて、今の私はどうだろう。

チョコレートの香りが充満するこの部屋で、大人になって当時を客観視出来るようになった私は目を細める。

あの頃感じていた孤独や自尊心の喪失は、歳を重ねながら埋めていく事が出来た。辛い時も悲しい心も、今の私が拾い集めて埋められるようになったから、過去は消えないけど今は生きてて良かったと思える。

当時感じた気持ちは、無かった方が良かったのは確かだけど。

ブラウニー、食べたいな。

あのブラウニーのレシピを、どこかで聞いておくべきだったと思いつつ、オーブンの音に顔を上げる。

中から出てきたのは、茶色い綺麗な焼き菓子。

「まあ焼いたのガトーショコラなんだけどね」

匂いは記憶を彷彿とさせ、思い出を助長させる一番の演出道具だ。

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