魔王様は死んだ
―ある四天王の手記
魔王様が死んだ。
勇者一行との戦いに敗れ、魔法使いは自身の身体ごと時間の狭間へ魔王様を連れ込み亡き者にした。
灰のように散りゆく魔王様を、崩れた魔王城の片隅、瓦礫の隙間から眺める事しか出来なかった。
声はとうに枯れた。
重なる数多の死体。
閉じる狭間。
泣き崩れる勇者。
立ち尽くす一行。
魔王城に、朝日が差し込んだ。
『今日からお前は四天王として我の軍勢を従え共に未来を紡いでもらう』
遠い昔の記憶。先代の魔王が悪逆の限りを尽くし、人間はおろか同胞までもを殺していた魔の時代は、若き王の手で終わりを告げた。魔族が支配する多くの土地でも、自分が生まれた村は最低だったと言っても過言ではないだろう。
枯れた土地に作物は実らず、生まれたばかりの子供は大人たちに食い殺される。人間に近い形を保っていればいるほど、魔族は知能が高く力が強いのが特徴だ。幸いだったのは、自分が人間によく似た姿であった事。ただそれだけだ。
母は食われ、父は殺され、混沌を極めた世界の空はいつもどんよりとしていた。死ぬのも時間の問題である中、ただ、痛い思いをして死ぬのだけは避けたいと思った。どうせなら食われる前に一思いに殺して欲しい。けれど魔族は残酷だ。生きたまま逃げ惑わせて食う。それが同胞であってもまかり通る時代だった。
食われる前に死のう。なるべく、痛い思いをしないように。そんなどうしようもない考えから始めた学問が合っていたようで、どんどん頭角を現していつの間にか、自分を狙っていた連中を指揮し戦わせる立場まで上り詰めた。
しかし悪逆非道の魔王は死なない。多くの同胞が魔王に逆らい殺されていくのをただ黙って見ぬ振りをする日々が続いたある日の事、世界は一変した。
年若い魔族だった。艶やかな黒髪、真っ赤な瞳、整った端正な顔立ちと立ち姿は貴族を思わせる。ねじれた角が二本、とんがった耳の上から伸びていた。彼は魔王の前に現れたかと思うと、一刀両断。その身体を真っ二つにした。
あまりの衝撃にその場にいた誰もが目を見開き口をあんぐりさせ言葉を失った。年若い魔族は魔王の死体を蹴り飛ばした後、玉座に座りこう言った。
『これで圧政は終わりだ』
背後のステンドグラスから差し込んだ朝日が、彼の決意に満ち溢れた表情を照らした。その日、長きに渡る圧政は終わり新たな時代が始まった。
『我はまだ王となって日が浅い。お前の意見を教えてくれ』
年若き魔王は非常に聡明で冷静、そして魔族の事を想う王としての器を兼ね備えた人物であった。力で地位が入れ替わる魔族の世界を作り変え、制度を決め法を生み、多くの魔族に役割を与えた。
枯れた地には支援を、飢えた人々には施しを。魔王城から出て各地を回り魔王本人が視察し同胞たちの声を聞き続けた。私はその隣で若き王を支え続けた。彼の目は希望で満ち溢れていて、幸福な世界を願っているのが誰の目から見ても明白だった。
長い、長い時間が経った。魔族が所有する土地は豊かになり手を取り合って生きる未来が繰り返されるようになった。もう、幼き頃の自分のような存在が生まれる事もない。魔王は嬉しそうだった。
『親のいない子が一人でも生まれぬ時代になれたぞ』
魔王はワイングラスを片手に執務机に広げた報告書を見て私の肩を抱いた。
『やった、やっとだ。ようやく、同胞同士が争う事も飢えに苦しみ嘆く事も起きない未来が来た』
それを聞いた時、私は何だか鼻の奥がツンときて、魔王の前で大号泣をしてしまった。
『素面だろ?先に飲んだのかお前』
若干引き気味の魔王に、私はようやく輝かしい未来の始まりが訪れた事への喜びと、過ぎ去った魔の時代に安堵した。彼が隠していたワインを執務室でたった二人、何本も開け一気飲みをし二日酔いで他の四天王に魔王共々怒られた日もあった。
長い時間の中、魔族が住んでいた土地の多くが人間に侵されその命は奪われた。どちらが先に刃を向けたのか今となっては分からない。何せ私が生まれるずっと前の話だから。
けれど人間は魔族を敵対視し、魔族もまた人間を敵として見た。
魔族にとって一番のご馳走は人である。彼らが牛や豚、鶏などを殺し食すように我々もまた、人を食らい生きるのだ。しかし人間の数は限られている。だから魔族は人と同じように家畜を飼い、地をならし生きてきた。
魔王は人間を殺す事に積極的ではなかった。死んでいった同胞の数だけ、我々もまた彼らを殺しているからだ。言葉があるのなら、解決する事は出来ないのかとも考えた。しかし、それはあくまで我々のような知能を持った魔族の考えである。
ほとんどの魔族は人間をご馳走としてしか考えていない。我々もまた、心の奥底、根っこの部分では彼らは家畜である。ただ言葉を話すだけの家畜だ。
遠い昔、世界に生み出されたのは魔族だった。魔族しかいないこの地に魔力を持たない子が生まれた。その子供は魔法も使えず、貧弱であったが知性があった。やがて魔力を持たぬ子が生まれ集まり一つの集合体を形成した。
それが人間だ。
元を正せば人間も魔族で、魔法使いなどはより我々の血を継いでいる存在である。
人間はいつしか土地の所有権を主張し、魔族と真っ向から対立した。広い大陸は半分に割れ、人と魔族が住む世界へと変わった。しかし、現在では魔族の住まう土地は人間に侵略され均衡は崩れ去った。
そして、人間は魔王を悪とし勇者という善を生み出した。
勇者とその一行は多くの同胞を殺した。人を救うという名目で村は破壊、一人も残らず掃討、その行いは善だと説いた。
魔王は戦う事を決めた。これは戦争だ。勇者を殺し人間を家畜とする。魔王は失った多くの同胞のために剣を取った。あの日、先代を倒した時と重なった。
結果として、魔王は負けた。四天王は自分を残し全員が殺された。魔王は勇者を追い詰めたが、魔法使いに道連れにされた。
瓦礫の隙間から変わり果てた魔王城を見て言葉を失う事しか出来なかった。ステンドグラスは破壊され天井も壁も崩れ去った。朝日が粉々になった玉座に差す。そこに座る彼は、もういない。
どこにも、いない。
勇者は最愛の人を失い世界を善に染めると決めたようだ。あれから十年。魔族の住む地はほとんど無くなり我々は辺境に追われた。いくら逃げようとこの地上に楽園はない。
新たな魔王は生まれなかった。彼があまりにも優秀で素晴らしい王だったから、それに次ぐだけの人材は現れなかった。
私はただ、狭いボロ家でこの文章を書いている。
生き延びた私は片腕を失い、部下も仲間も全て失くした。ここに住んでいる者は私以外いない。つい先日、人間にこの場所がばれ他の魔族を逃がしたばかりだ。逃げた中には子供もいた。どうか彼らが生きている事だけを願う。
足も満足に動かせず、文字を書くしか出来ない私は彼の事を書いている。そう、あの輝くルビーの瞳を持った希望に溢れていた友の事だ。
人は死んだら天国か地獄に行くらしい。魔族にそういった考えはないが、我々は等しく地獄に落ちるだろうと人間は言った。
さて、善とは何だろう。悪とは何をもって証明するのだろう。私にとって悪とは数多の同胞を殺した人間に思える。彼こそが善で、彼こそが報われるべき存在だったと思う。
結局善悪なんてどこにもない。戦争など始めた時点でどちらも悪だ。我々は手を取り合わなかった。否、取り合えなかった。どこまでいっても我々は相容れない存在だ。
彼らは我々を掃討しこの世界から消すだろう。けれど人間が生きている限り魔族もまた生まれてくるに違いない。魔族の腹から出てきたのが人であればその逆だって有り得るからだ。きっと、この連鎖は終わらないだろう。
募った憎しみが消える事はない。いつかどこかで、人は憎しみにより殺されるだろう。
そして次は、人同士で殺し合うのだろう。
これが答えだ。我々を殺しても対象が変わるだけで戦いは終わらず命は地上から消えていくだろう。連鎖した憎しみがありとあらゆる命を終わらせるだろう。
絶滅への、第一歩を踏み出しただけに過ぎない。
彼は沢山の事を考えていたが同胞同士で傷つけ合わない事を一番気を付けていた。我々で争っても何も解決しないからだ。彼は早くから、憎しみの連鎖が消える事はないと理解していた。
思い出す。赤ワインが好きでよく飲んでいたが酒には弱くすぐ酔っぱらっていた。酔うと決まって話すのが、理想の国に対してだ。もっとこうすれば上手くやれるだろうか、皆が苦しまないか、より良い環境を、今民は幸せだろうか。自分の事など二の次で魔族の事を誰よりも考えていた。
私はいつもこう返す。貴方ほど我々の事を考えてくれる慈愛に満ちた人はいません、と。どれだけの民が救われたと思っているのか、感謝されているのか、尊敬されているのか。魔族の中に魔王様を嫌う者はいませんと断言していた。
彼はいつもこう言う。
『我一人では何も出来なかった。お前と、四天王面々、皆のおかげだ』
赤らめた頬で、眠そうにとろけた眼はステンドグラスの間から民の住む地上を見つめていた。愛おしそうに、もっと頑張ろうと口にした。
『じゃあ私も頑張らないとですね』
『そうだなお前がいないと我は駄目だ』
『政治はまだまだですか?』
『うむ。やはり一人一人の声を直接聞いて全て反映したいと思ってしまうからな』
『優しすぎるが故ですね』
『お前のおかげで全てとはいかないが、魔族の声を反映出来ている。我一人では出来んよ。他の四天王に対してもそうだ。皆が力以外にも優秀なものを持っているから、それを合わせて今がある』
一人じゃ出来なかった。彼はそう言うが、忘れてはならない。彼だからこそ我々は集まったのだ。彼だからこそ、我々は同じ未来を見たいと願ったのだ。
『――』
私の名を呼んだ魔王はいつものように肩を抱く。
『より良い未来のために、頑張らねばな』
そして屈託のない笑みを浮かべるのだ。
魔王はあまりに魅力的過ぎる人物だった。我々魔族にとって、彼こそ真の王で彼こそ正義、彼こそ光だったのだ。
徹夜で議論し消えなくなった隈、村々を回り魔族に伸ばし続けた手、剣を振るっている背中、二人でこっそり隠れて飲むワインに屈託のない笑みを浮かべる彼。
『お前は我の一番の友だ』
一つ、彼の期待を裏切る事を言うとするならば。
私は彼の事が――
ドアを叩く音が響いた。ペンを置き本を閉じる。震える足で立ち上がり蹴破られたドアの先で皺の増えた勇者が立っていた。
「貴様で最後か」
ただ一つ、絶対的な結論を言おう。
「死ね」
私もお前も魔法使いも。
あの魔族を愛した彼でさえ。
皆、等しく、悪だった。
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