セブンティーンアゲインを見た今日この頃
戻りたい一瞬はあるか。
つい数年前まで、どうしても戻りたい一瞬があった。言ってしまった一言、踏み出さなかった一歩は確実にそれからの人生を変えた。
私の人生を振り返る度、産まれた瞬間が15歳の時だと思ってしまうのだ。それまでの時間は正直思い出したくもないような、長く苦痛の時間だった。
二度目の生を受けたのは18歳の時。
全てが変わったと気づいたのは大学生活が始まって数ヶ月が経ってからだ。キラキラ輝く記憶は思い出となり、その全てがここにないと悟った。輝きを与えてくれた人を苦しめた結果が今だと知った。
作家の世界に片足を突っ込んだ時、今の自分になる事はある程度予想がついていた。
書く事にシフトしていこうと決めた人生だった。給料なんて笑っちゃうくらいで、この生活をあとどのくらい続けるのだろうと怖くなる日々は、足元から茨を伸ばし前へ進めなくさせる。
報われない努力をいつまで続けるのか、こんな事になるならあの日君の手を取ればよかったなんて思っちゃうくらいには孤独の日々が息をしている。
週末二日間の休みに眠るか書くか、酒を飲むか溜まった家事をする。それだけで全てが終わる。こんな事がしたかったんだっけ、こんな色彩のない日々を繰り返したかったんだっけ、書いている瞬間でしか色彩を感じられなくなったのは18歳の時からだった。
どれほど楽しい事があっても、遊びに行っても誰かと会っても、一瞬で灰色になる世界だ。渋谷のスクランブル交差点が色彩のない何の面白みもない物に見えたのは一度や二度じゃない。
二度目の生を受けた時から変わらず生きている。
『セブンティーンアゲイン』はそんな大人の心情を書き綴ったような物語だった。
主演はザック・エフロン。高校三年生、バスケ部のキャプテンだったマイクは美人な彼女、スカーレットと交際中。スカウトが来る大事な試合でスカーレットが告げたのは、彼との子供が出来た事だった。
マイクは試合を放棄。バスケで大学に行けるはずだったのに赤ん坊と彼女を取った。
それから20年、彼は奥さんとなった彼女に追い出され、勤め続けていた会社では上司に媚を売った入社二ヶ月の子が自分を差し置いて昇進、あまりの理不尽に腹を立てたら会社をクビになり、過去の栄光に縋る事しか出来なくなったマイクは母校へ。
あの日、彼女に子供が出来たと告げられる数十分前に撮った写真を眺めていると用務員のおじいさんが声をかけてくる。彼に導かれたようにマイクは17歳の姿に戻る。
ここで重要なのは17歳の当時に戻るのではなく、今の時間で身体だけが17歳に戻る事だ。
つまりあの日に戻って選択をし直せるのではなく、今を変えるために高校生になったのである。
マイクは娘や息子が抱えている問題に気づきもしなかったが、高校生になり彼らと接する事で今までどれほど自分が子供たちを見て来なかったのかを知る。
また、彼女にずっと当たり続けていた事、あの時大学に行けばよかったと長年続いていた彼の後悔は彼女を苦しめ離婚まで追いやったのだと気づく。
マイクは自分自身の未来を変えるのではなく、変えるのは家族との関係性だと気づき奔走していく。
そんな本作なのだが、見終えた時私は考えた。
これはこれ、一つの良い作品として見て。
私はいつから、戻りたいと思わなくなったのだろうと。
どうしても戻りたい一瞬があった。あの瞬間さえやり直せたら、その後の未来はどうなってもいいと思えるほどの後悔は、はたから見ればちっぽけでくだらない物だろう。
でもそれで作家になった。
歳を重ねる度に一年が速くなっていく。思い出が、馬鹿みたいな速度で遠ざかっていく。声も、顔も思い出せる。でも本当にそうだろうか。脚色されただけではないのか。本当は、きらめいていなかったのではないか。
戻りたいと思わなくなったのは多分、戻っても変わらないと気づいたからだ。
あの日に戻ってやり直せたとしても、記憶があるなら私はこの道に辿り着くだろう。
やり直せて幸せな未来が待ち受けていたとしても、きっと長くは続かない。
だって、ただ好きで一緒にいるだけじゃ、もう無理だと気づいたから。
少し前、高校時代の友人と食事に行った。三人で下らない話をしながらも今の生活になり、考え方が変わったとも話した。
その時一人の子が言った。
「ただ好きだからだけじゃ、この先一緒にいれる気がしない」
聞いた時、私は苦笑した。嘲笑に近かったと思う。それは、彼女にではなく自分たちに対してだ。
そうだ、大人になるってそういう事だ。
17歳の時だったら青臭い選択を取れただろう。ただ好きだから、それだけの理由で一緒にいようとした。いくつになっても隣に居ると豪語できたかもしれない。
でも現実を知った。
安月給じゃ暮らしていくのは心許なく、いくつになっても理想を追い求める恋人がいたら正直止めてくれとも思うかもしれない。稼いでるならまだしも何もしていないなら無理だ。
いつの間にか、心突き動かされる衝動より安定した地盤を求めるようになった。
いけない事ではないと思う。私は思う。結婚したいなら早い方が良い。ていうか、いつでもいいけど馬鹿でいられるうちが良い。浮かれている時じゃないと出来ない選択がある。取り返しがつかなくなってようやく、そこにいる事を認めるくらいがいいのかもしれない。
だって現実は酷だ。
出生率は下降、税金は上昇、給料事情は変わらない。その子は言う。
「こんな状態の日本で産んでも、苦労させるだけだと思ってしまう」
若者がこんなこと言っちゃう状態なのだ。洒落にならんだろう。これに関しては大いに同意した。だから馬鹿になってないと無理なんだって。
将来を考えている相手がいるなら尚更、相手との子供が欲しいと思うだろう。でももし出来た時、果たしてその子に苦労させないと言えるだろうか。産まれてしまえば何とでもなると言うが、悩みなんて尽きはしない。
私の周りの友人は全員彼女と同じ事を言う。
「子供を持ちたくても、こんな社会なら無理だよ」
産まれてくる子を思うなら尚更そう思っちゃう。
その時私は思った。あー、そうだ。そういうことだ。
あの頃と違うのは私たちが大人になったからだ。一ヶ月いくら稼ぐか、どのくらい頑張れば社会で生きられるのか、心身共々磨り減った先、子供を持つ余裕なんて無いと言えちゃう世界なのだここは。
勿論、全ての人間がそうではないけれど普通に働いている人間の大半が同じ事を思っているだろう。
そんな我々がもし戻れたら、めちゃくちゃ勉強して今よりずっといい大学に行き、良い就職先に巡り合うという選択肢か無くなりそうで何か悲しいと思った。
もう、駆け抜けるような恋愛は出来ないだろう。ホースから飛び散った水が乱反射して、相手の顔を、髪を輝かせるような一瞬に永遠を感じられなくなってしまったんだ。
本当はずっと、そんな日々を過ごしていたかったのに。
身長差を気にしたり、アイス片手に駆けまわって、自動販売機の陰で寄り添い合い、部活姿に目を奪われ、教室で頬杖をつきながら暇だなんて笑い合う。
そんな日々が永遠であれば良かった。
そんな恋心が、いつまでも生き続けてくれればよかった。
現実を知っても、全ての大人がそう思える世界であれば良かった。
青臭さを忘れずに歩いて行ける世界であれば、きっとこの虚しさは無かったのだろう。
映画でマイクは自分自身の選択をするけれど、私はいつまで歩き続けられるだろうか。
青臭い一瞬を忘れず、書き続けていけるだろうか。
若い振りをする日が、そう遠くない日にやって来るのだろう。
そんな事を思いながら飲んだチャミスル炭酸はやっぱりジュースみたいだったし、東京は居心地のいい場所でもなかったと知る。
作家一本になれたら、関西に住むのもいいかもしれないと結構前から思っているけれど、どこかで経験しに行こうと考えながら私は今日もあの頃に感じた輝きを文章に閉じ込めるのだ。
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