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僕の惑星には月光、君の惑星には木漏れ日

人は必要な時、必要な人に出会うと言いますが

因果応報を信じている。というより、確信している。

その昔、といっても数年ほど前。理不尽がきっかけで居場所を追われた事がある。振り返ってみれば私自身に一切の問題が無かったわけではない。けれどそれ以上に強い理不尽が、まるで断頭台へ跪き民衆の前で嘲笑うような形を持って訪れた。

その時知ったのは人なんて所詮我が身が可愛くて仕方ないから、理不尽も不条理も悪意、嘘でさえ、自分が刺されるのであれば暴こうとはしない事。真実は民意によって歪められる事。どれだけ関係値を築いたとて、平然と手を切られ断頭台へ連れて行かれる事。

何より、人間は残酷で最低な生き物だから。自分が相手を傷つけた事などすぐ忘れ、平然とした顔であの時は大変だったねなんて言って話しかけてくる事。

世界はこんなので溢れ返っていて、どうしようもないほどに腐っていて。どいつもこいつも、我が身が一番可愛くて。本当の事なんてどうでもいいから見ない振りをする。それを、よく知った出来事でもあった。

ただ、悪い事があると良い事があると言ったように。その半年後、私は作家になるのだが、なるために払ったものだと考えれば、清算されたのだと考えれば少しはマシかもしれない。嘘、正直私の知らない所で地獄を見てどうしようもない人生を送っていて欲しい。私はそういう奴だ。

どれだけ幸せになろうが、時間が過ぎて薄れても。時効になんて一生ならない。全てにおいて、自分が起こした物事でもそうだ。幸か不幸か記憶力がいいせいで、引き出しの中にしまった過去は何故か閉まり切らず歩く度見えちゃうのが無念で仕方ない。

傷つけられた分の傷を、もしくはそれ以上を相手に負って欲しいと結構本気で思っている。それも、私が知らない所で泥水さえ啜れず指を差され、市中引き回しに遭うような、そういう自尊心を折られるような思いをしていて欲しいって、まじで思ってる。良くないけど本当に思ってる。ただ、私が知らない所でというのは、正直見る気も無いし、どっかで不幸になっててくださいと思いながらも、私の人生に二度と現れない人間がどうなっていようがどうでもいいと思ってるからだろう。

幸せになろうが不幸になろうが。私は関係ないしその辺でくたばっていた事を随分後に知ったら、へぇーと言って鼻で笑うくらい。ありがたい事に、私は多くの人に認められて、幸せを貰って、何より自分自身がかけがえのないものを追うようになったから、他人の人生なんぞ気にしてる時間がないのである。

ただ、傷つけた分の傷を、私は負うべきだと思う。果たしてきちんと負えたかは分からないけど、正直充分過ぎるほどの目に遭ってきたし今も時たま遭ってるので、清算は終わってるしむしろ超過じゃね?とも思ってるけど、これも人間我が身可愛さの思考回路なんだろうなと思いつつ口を閉じる。

話を戻そう。そんな居場所は、気づいた時に無くなっていた。それは私が作家になってほんの一ヵ月ほどだろうか。いつの間にか、気にも留めないうちに無くなっていた。ぽっかりと、空虚になったそこを母が潰れたんだってと教えてくれた。その時、私が思ったのはざまあみろでも鼻で笑う事でもない。

因果応報ってあるんだ、だった。

因果応報。行ってきた全ての悪事は必ず自身に返って来るという言葉。腹も立たず、ああ、因果応報だとしか思わなかった。その時の私は新作の構造を考えていて、居場所を追われた彼らの事なんて心底どうでも良かった。ただ不意に、散々色々やって来た人たちはあの場所でしかマウントを取れなかったから、他の場所に行ったんだろうけど多分反対にやられる立場になってるんだろうな。

だから言っただろ。わざわざ敵を作る必要もないし、自分に持っていない何かを持っている人に憧れ以外の何かを抱くのは馬鹿だって。さらに攻撃なんてするのは愚か者も愚か者。だっていつかどこかで返って来るんだから。

なんて思いながら心底どうでも良かったのは、そこにいた全ての人たちを自分の視線の中に入ってないと気づいたからだ。散々どっかで死んどけと思ってたくせに切り替えが早いのも事実で、一度切り捨てた人間がもう一回、自分の視線に入る事は無いと知ったのだ。

知ってはいたけど私薄情な奴だなと思ったそんな春の日。自分が存外他人に興味がないのを改めて気づき、こうやって一つ一つ切り捨てて自分のために幸せな世界を作るんだと思った。今もまだ、世界は作っている最中だけど、年々切り捨てが早くなり綺麗な世界を形成したりしている。

隣にいようが友人関係であろうが仕事の付き合いがあろうが。私は私の世界を作るために、自分に優しい環境を整えるために、そこに入れたいと思わない人間にはこれ以上踏み込むなの線引きをするようになった。ただでさえあったのにより酷くなってしまった。こうやって人間は自分だけのミクロコスモスを作るのである。そして、都合の悪い事から目を背けるのだ。

気分は太陽系。優衣羽星という一つの惑星があって、そこには私が美しいと思う景色だけが詰まっており、私が愛しいと思う言葉だけが聞こえ、酸素はたっぷり、人間は……もしかしたら一人しかいないのかもしれない。ただ私だけが惑星の中心で目を閉じ、息をする。ほのかな潮風は花を揺らす。開け放った窓、月光に照らされたシーツの上で身体を丸める。ふと思いついては顔を上げ紙に書いて物語を生み出す。そんな、私だけの惑星。

すぐ隣には仕事惑星、人間関係惑星、私を応援してくれる人たちが住む、木漏れ日に照らされた美しい惑星。月と太陽、地球と共にぐるぐる周り続ける。

太陽系から離れた惑星には私が切り捨てた全てがあって、もしかすると土星の輪のように固まっているのかもしれない。けれど、その惑星から私の惑星に来る事は叶わない。近づけば近づくほど遠くなり、いつしか宇宙のゴミとなって浮遊するだけの存在になるだろう。

私を応援してくれる人たち、愛してくれる人たちが住む惑星は多分、木漏れ日のように柔らかく温かな陽射しが降り注ぐ星だ。夕焼けが綺麗で、星が沢山輝いていて、月は夜より昼間の方が綺麗かもしれない。都市があって、生活が営まれていて。争いも何もなく、自由に好きな物を追えるような星。楽園のような星。

もし飽きたら地球に戻ればいいし、嫌になったら太陽系から離れればいい。でもきっと、私の惑星には来れなくて。衛星で遠目から見る事しか出来ないだろう。それくらいの距離感がお互い一番ベストだよね。

人は必要な時、必要な人に出会うらしい。私には分からない。人が始まりで生まれた何かより、自分が出した何かから繋いだ縁が必要な人と繋いだ意識の方が高いからだ。詰まる所、他人から与えられた何かが主導となる事がない。いつだって私の人生に突然落ちてくる幸運はなく、自分から掴みに行かない限りは誰とも繋がれないから。

それを、人は必要な時、必要な人と出会う事だと称されたら、まあそういう事なんだろうけど。必要な人と出会うというのは、いつだって後になって気づく事ばかりだ。

過去を否定する気が無くなったのは、それがあっての今だから。それでも振り返る気になれないのは、消化した振りをして色褪せる日を待っているから。引き出しの中から完全に消え失せるまで、見る気もないから。それ以上に今は、新しい物を見て、世界に触れ、輝くすべてに手を伸ばし、引き出しの中に詰めていっては過去の入る隙間を無くしている。

それが、人が生きていくという事だろうから。

それでもいつか、私だけの惑星を作るのだ。

月光に照らされたシーツの上で伸びをして、運命の恋なんて馬鹿げた空想をしてみては笑い、頭に浮かんでは消えようとする全てを忘れないよう書き留める。

いつか、安心して眠れる日が来る瞬間まで、それは続いていく。


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