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週末の朝、卓上の花を慈しみ紅茶を嗜む、その向かいに愛があったなら


Wedgwood社のワイルドストロベリーシリーズに、Weekend Morningという紅茶がある。

週末の朝、いつもより少し遅い目覚めに微睡ながらも紅茶を口にして始まる一日へ思いを馳せる名前だと思う。素敵な名前だと思いながら、明日の朝、これを飲んで始められたらと思ったのが昨日の話。

よくよく考えたが、私の休日は終わっている。予定が無ければ昼過ぎに起き、ブランチには遅すぎる食事、買い物や掃除などの家事をひとしきり終えたら待っているのはPCと睨めっこする時間だ。

全く持って書けない時もあれば、すらすら綴れる物語もあって。何にせよ、そんな日々を過ごしている。

私が休日の朝起きるのは、何かしらの予定がない限り有り得ないのである。

そんなこんなでAM06:47。

目が覚めた私が最初に行うのは二度寝。さらに10、11、12。
時計の針が頂点に達さないと、ベッドから抜け出す気が起きないのだ。何でだろうと考えたのだけれど、単純に現実を見たくないのだろう。子供の頃からずっと、夢の中で生きる方が幸せだと思っているから。

おかげさまで永遠にWeekend Morningが飲めない。そのうち平日のド深夜に飲み始めるんだろうな。ごめんなWeekend Morning。こんな人間の元で。そんな私は今元気が欲しくてFine strawberryを飲んでいます。朝は来ません。お疲れ様でした。

先日、久しぶりに高校時代の友人とオンライン飲み会をした。一年に何回か行われるそれは、最後に行われたのはいつだったか忘れてしまうくらいだ。この時期の飲み会は年末の忘年会予定を合わせるためのものである。

長い付き合いの彼らは今も変わらず集まっては毎年似たような話をする。高校時代から話している事は変わらない。惚れた腫れたも何もない、しょうもない趣味の話ばかりだ。

いくつになっても内容が変わらないと思いながら私はそれに安堵していた。片手で数えられるくらいしかいない友人たちは皆、趣味ややりたい事を一番に生きている。  

友人が少ないのは他人にそこまで興味が無いと言うのも一つだが、単純に人間不信が強い。笑ってしまうくらいに生き方が下手くそで、人を傷つけては傷ついて、裏切られて、嫉妬しては嫉妬して、刃を向けられてきた。年一で何かしらのごたごたに巻き込まれてきたし、全く持って自分に非が無いのに断頭台にあげられたりもした。

人は簡単に裏切るものだとこの世に生を受けてから信じられないくらいの回数を得てそれを学んだ。こと恋愛においては尚更だ。男が絡んだ時の女がどんな手を使っても陥れようとしてきたり、才能に嫉妬して敵視されあらぬ噂を流されたり、生まれや育ち見た目など変わらぬ要素で文句を言って指を差されたり。

まあ何か、とんでもなく色んな目に遭ってきたのである。長年の友人から何もしてないのにあまりに可哀想すぎると言われるくらいには終わってるのだ。だからこそ社会人になってから仲良くなるのは自分より年の離れた女性陣しかいない。同年代になると嫌な目に遭う確率が跳ね上がるから、仕事の出来るお姉さんたちから可愛がられるのがベストである。

そんな感じだから恋愛は億劫になるし、
Q.お仕事は何をされてるんですか?
A.会社員です。
なんて適当に誤魔化すのである。間違いではないからね。

人を信用していないからこそ、付け入る隙を見せればやられると、結構本気で考えている。何か可哀想。文字に起こしててお前終わってんな、という気持ちとその思考回路持っちゃったの可哀想すぎない?と思ってきてしまった。やだ~。

幼い頃は単純に生き方が下手くそだった。強がって自分を大きく見せる事で、心の弱い部分を守り続けていた。蓋を開けてみれば劣等感に苛まれ膝を抱えた小さな子供がいるのに、見た目だけで悩みが無いと判断され、あなたには分からないと言われ続けた。その度に周りは膝を抱えた私に気づく事は無いんだからと嘆き、なるべく前向きでいようとして擬態上手い!天才!と自分で自分を褒めていた。

年々少しずつ上手くなっていった生き方は、外側に見せる面を変えただけで実際に中身は変わらない。ただ少し、自分でいいんだと思えるようになったから膝を抱えた子供は見えなくなっていったけれど。これ以上傷つけられたくないから適当に振舞って、幾重の線と壁を用い人を内側に入れないのだ。

と、話しながら思った。うーん、これは難儀。だって外から見た私の印象は全然違うわけだし。でも私が本当に外面通りの人間であったなら、作家になんてなってないし皆が好きな文体を書けてないよ。これは私の中にあるどうしようもないほどに脆い、繊細な感性から生み出されているんだから。

そんなこんなで、相も変わらず人と深く関わらないのだが。先日、学生時代の知人が結婚ラッシュをしていた事を知った。
女性は27歳頃で第一次結婚ラッシュが来るらしい。マジじゃんと遠巻きに眺めていたのだが、何となく、これまでの自分を思い返しては少しへこんだ。

私が理想を追い求めている間に周りはどんどん成果を出していく。私は走って走って、何一つ手に出来ないのにまた馬鹿みたいに足を動かしているというのに、周りはその時間で誰かと恋に落ち、成果を出しているのだ。

自分が納得する成果を得ていたらこうは思わなかっただろうと考えベッドに潜る。あれ、何したかったんだっけ。いつまで報われない事を続けるんだろう。可哀想なくらいの人間関係を諦めて、平凡な幸せを望まず走る事を決めたくせに。

人は結局、ないものねだりなのだと思い知らされた。

そりゃあ公私共にハッピーであるのがベストである。ただ走る日々と、立ち止まった時に休憩しようかと笑う誰かがいるのとでは精神の安定が全く違う。私はずっと、悔しくて仕方ないから何かを手にしたくて走ってるだけなのだ。根性が無ければもうとっくの昔に終わっていた物語である。

蔓延るマウント合戦。自分の幸せと他人の幸せを比較するのは誰だってやる事だろうが、それを以て相手を傷つけるのは話が違う。幸せなのは素晴らしい。一生脳内お花畑の状態で生きていたいくらいだ。それなりの生活が一番幸福だという事を、人は成熟してから気づくのである。

でもマウント合戦をする時、私はいつも、やるなら自分の事でやりたいと思う。恋人がいるから幸せじゃなくて、結婚するからしてない人を馬鹿にするんじゃなくて、自分の価値を人に委ねるのが嫌なのだろう。だって相手がいなくなったら何も無くなってしまうじゃないか、そのマウントは。

私自身に絶対的な価値が欲しいと思いながら日々を生きている。他人に左右されない、誰かと付き合って別れても、一人ぼっちになったとしても、私はこれがあるから大丈夫だと言い続けたい。

つまらない物差しで見る世界はきっと色褪せているだろう。だから絶対的に変わらぬものを持ちながら、時に伸ばしては縮め、角度を測ってみたりして生きていたいと思う。じゃなきゃつまらなさ過ぎて辞めてしまうだろうから。

当時、同じような熱量を持ち歩いていた。何だったら私の方が何も持っていなくて、自分にある才能の欠片にすら気づけないまま、熱量を持ち輝いている人たちを素敵だと思いながら見ていた。

でも今は、輝いていたその熱を持つ人はほとんど消えてしまい自分だけが持ち続けている。古臭い、まだそんな事やってるの、子供じゃないんだし。馬鹿にした視線を受けながらも手放せずにいるのは、これしかないと本能的に理解しているからなのだろう。

だからこそ消えてしまった事に気づき、少し悲しくなった。でもよく考えたらそれが恋愛という方向にシフトしただけで熱量は変わらないのかもしれない。ただ輝き方が変わってしまい気づけなかっただけで。

多分、周りは私をいくつになっても変わらないと思うのだろう。そうして人生楽しそうでいいね、羨ましい、など自分の持っているものを一切考えず口にしてくるのだろう。いつもの事である。

さて、私はいつまでこの航海を続けるのだろうか。先の見えない深海、浮上し真っ暗な夜を走り、羽があるかも分からないのに助走を続けている。それでも深海から顔を出せたのだから、きっと状況は好転していくのだろう。

私が私を諦めない限り、幸福はいつか必ず顔を出すから。

まずは週末の朝にしか飲めない紅茶を口に出来る人生を送るかと思いつつ、卓上に飾った淡いピンクの薔薇を見て、花束片手に紅茶を嗜むその瞬間、向かいに誰かがいてくれればと考えてしまうくらいには、そろそろ色んな事が報われて欲しいと声を大にして言っておこう。

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優衣羽(Yuiha)
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