人生が一冊の本だとしたら、君の本の、たった一文に存在したい
君の人生が一冊の本になるとして
ここ数年ずっと考えている事がある。人生が一冊の本だったとして。
よく一本の映画だったとしてと言われているのを目にした事がある。長くて3時間半、走馬灯にすれば一瞬。人生が一つの映画だったとしたら、自分の映画にはどのくらいの価値がつくだろう。
幼少期に気づいてしまった事がある。それは、この先どれだけ頑張ろうと自分の人生はスポットライトの下を歩く人々のような物にはならない事だ。ほとんどの人間がスポットライトを浴びぬまま死んでいく。けれど自分の人生もそうなると気づいてしまったのが早すぎた。
脚光は浴びられず、惜しみのない愛は降り注がず、称賛も名誉もどこにもない。照らしてくれるのは街灯くらいなもので、そんな人生を歩き続けて死ぬのだろうと、子供ながらに理解した。
私の人生の映画は酷くつまらない物になるだろうと思った。淡々と過行く日々の中、人を傷つけては傷つけられて、汚い言葉を発して人生を恨み、何も変えられない事を嘆き燻ぶる日々の様子を見たい人間なんて多分相当病んでるか勝手に同情して自分より下を見つけて安心してるかの二択だろう。
だいぶ腐った発言をしたけれど。
ふと。気づいた事がある。
スポットライトはきっと、この先も当たらないだろう。もし当たったとしても、それは永遠ではなく一瞬で過ぎ去るものだ。スポットライトよりも月明かりの方が好きだという事に気づいてしまった。そして私の人生の映画は想像よりも収益が見込めそうだと思った。
よくよく考えたら。私の人生の映画は最初の15年間を回想10分で飛ばせばめちゃくちゃ面白くなる。間違いない。10分後から多くの人が心情を揺さぶられて共感し、才能を見つけ、最後には拍手を送るようなそんな物になるだろうと気づいた。
私は私が思っていたよりもずっと、映画のワンシーンのような人生を歩んでいた。
ワンシーンだけを抜粋すれば確実に面白いと言われるだろう。これはナルシズムでも何でもなく、客観的に見た分析である。子供の頃にこれからを嘆いた私へ。散々だけど思ってたより人生は楽しかったりするよ。
後FFな、今が16だよ。お前が生まれた年に7が発売されたらしいけど、そのリメイクに世界が喜んでるよ。お前が初めて認識したゲームがFF10-2だったけどな。タイトル作品16だよ。全然進んでないよ。驚くよ。
狭いアパートのリビングを今でも憶えている。私が一番幸福だった時間がどこかと言われたら、多分あのアパートで過ごした時間に集約されるだろう。たった6年しか過ごしていない場所。
それでも間違いなく、優衣羽という人間が何も知らず、何も考えず、幸福だったと言える一瞬はいつだってあそこに集約されているのだ。
振り返った時、一番古い記憶として残っているのが雲一つない空の色だ。ベビーカーのサンシェードが視界を僅かに遮る。兄の顔が現れる。名前を呼ばれる。アパート前の短い坂、生垣にスピード減速のためデザインされた丸の凹凸、真っ白な太陽。空。
これを話すと絶対に嘘だとか、憶えてないだろなんて言われるのだけれど。兄が歩いていたから自分は1歳かそこらだろうか。私は空の色に目を奪われた。あの時見た色彩は今でも頭の中で鮮明に刻み込まれている。
ベランダで空を眺めていた時、左目の網膜に傷があるのに気づいた。飛蚊症だといって取り入ってもらえなかったけど、未だに黒い斑点がいくつか見えるから多分傷なんだろう。それか、生まれながらにあるものか。
何だっていいけど空に見えた黒い糸のような点に、驚いたのもあの場所だった。
初めてゲームを認識したのもあの場所だった。
休日の昼間、テレビを独占した父の右側に座ってひたすら話しかけた。反対には兄がいて同じように話しかけている。コントローラーを奪おうとする兄とは違い、私はテレビの中に映し出された映像に夢中になった。
プレイしたいと願う兄とは違い、早く進めて映像を見せてくれと言う私。物語に、目を奪われた初めての瞬間だった。
ストーリーが見れないと目を離した私を夢中にさせたのが攻略本だった。
そう、FF10-2のアルティマニアである。
※説明しよう、アルティマニアとは辞書か?と錯覚するほどの厚さを持った完全攻略本であり、ありとあらゆる情報がそこに集約されているのである。
アルティマニアに釘付けになった子供は、攻略本を寄こせと言う父を無視しひたすらページをめくった。ストーリーに衣装、ジョブ、キャラクター、モンスター。楽しくて仕方なかった。アルティマニアは私を物語の世界に引きずり込んだのだ。
その後、アルティマニアはリメイク版を兄がやる際に引っ張り出されたものの、役目を終え捨てられそうになっていた所を私が勝手に奪い去り実家のベッドの下、引き出しの中に眠っている。
よくエロ本をベッドの下に隠すというネタがあるが、私のベッドの下にはアルティマニアが隠されている。笑っちゃう。
あの時あの瞬間、私は確かに世界に引きずり込まれ物語を愛するようになったのだ。次に漫画という領域でBLEACHに出会うのだけれど、これはまた別の機会に話そう。
あの時夢中にならなかったら。私は多分、創作なんてしなかっただろう。あの瞬間感動しなければ。物語になんて触れなかっただろう。僅か5、6歳。
間違いなく私をこの世界に引きずり込んだ、最初のきっかけだった。
人は感動する生き物だ。どうしてこの世に作品が溢れ返っているのか。現実逃避がしたいからだ。平凡な人生に眩い閃光を感じ取りたいからだ。有り得ない話に心惹かれ、一瞬でもその世界で息をしたいからだ。
沢山、沢山触れてきて。知らぬ間に自分ならこうすると考えていて。いつの間にかここまで来た。
私は知っている。人は物語に救われる事を。感動する事を。初めて365を書き終えた後に貰った言葉が忘れられない。『この作品に出会えてよかった。』私はいつの間にか、感動を届ける立場になっていた。
自分が救われてきたから、感動してきたから。今度はこちら側で誰かの心を動かしたいと思うようになった。ある種の恩返しだ。私を救ってくれた沢山の創作への、恩返し。まだまだ先は長く、道のりは険しくていつ消えてしまうかも分からない光。
けれど、眩いほどの閃光だ。
人生が一冊の本だったとしたら。あの日のアルティマニアを思い出す。あれだけ分厚く出来るだろうか。一年ずつ書いたら出来るんだろうけど、それじゃあ物語としての面白みがない。
私の人生はアルティマニアか、単行本か、文庫サイズか、はたまた同人小説か。文章量なんて、きっと誰にも分からない。けれどどのサイズになっても、これが最高の大きさだと言えるだろう。人生ってそんなもんだ。
私の作品に出会ってくれた、全ての人たちに対して願う事がある。
もっと有名にしてくれとか、沢山買えとか感想くれとか。そんな小手先の願いではなく、長い長い未来へ向けた願いだ。
今の私は、この願いを主軸に創作を続けている。
君の人生が一冊の本だとして。
長さはどうなるかなんて分からない。でもきっと、どんな文章であってもそれが最高で最善だったと言えるだろう。
君が死んだとして、本が残された時。
たった一行、一文、一言でも。
私の物語の形跡が存在するなら、それほど幸せな事はないんじゃないかと思っている。
それほど、作家冥利に尽きる事はない。
一文字でもいいのだ。これから先、長い長い人生を送る君の中に一ミリでも私の作品が生きていてくれたのなら。私の願いは叶えられてしまう。
だって人間って忘れる生き物だから。
新しい物を得るにあたり、古い記憶を消し去っていく。これはどうしようもない事で、どれだけ忘れたくないと願っていても脳はどんどん削除していってしまう。君の声が思い出せなくなっていくのも同じ理論だ。
でもさ、そんな中で一文でも憶えていてくれるなら。出会えた意味はあったんだって思うんだよ。
私は別に、誰かの人生を変えたいだとか、愛する人の物語の中心人物になりたいだとか、そんな大それた事は思っていない。ていうかいないし。いないし。(止めようよこの話は)
ただ人生が一冊の本になるのだとしたら。そこに少しでも私の生み出した作品が生きていてくれたのなら。
きっとそれは誰かの人生を変えるより、愛する人の物語の中心人物になるよりもずっと難しい事で。けれどとても幸せで崇高な願いの成就だと思っている。
私自身を憶えていて欲しいなんて思った事もなくて。ただ君の人生を彩る、ほんの一瞬になれたなら。
そんな願いを持って書き続けている。
この願いが生まれたのは絶対、ソネット18番のせいだ。間違いない。
人生には変わるきっかけがいくつもあるけれど、21歳の時に出会ったきっかけもまた、今の私を作っているのだ。
シェイクスピアのソネットNo.18を読んでからずっと、私の作家人生はこれを体現するものだと思っている。この先どんな形で物語を書き綴ろうと、根幹は間違いなく、一瞬を永遠に閉じ込めて、ページを開く度に生を受ける物語を世に遺す事。
誰かの人生に遺す事だ。
私の人生が一冊の本になるのだとしたら。
始まりはきっと、あの青空で。
序章は多分、子供の頃によく行った公園、狭いアパート、たった一言で壊された夢、アルティマニア。
そこから一瞬で高校時代に飛んで、人生における二度目の始まりを書き綴るのだろう。そして作家人生を描くのだろう。
ここからはどうなるだろうか。何を書くだろう。どんな物語を生み出すのだろう。誰かと出会って創る楽しみを共有出来たなら、それに越した事はない。
けれど、終わりの一文は決まっているのだ。
『報われない事に嘆き、努力はくそだなんて言いながら。
馬鹿みたいに笑って早々に目尻に笑い皺を作って。月に手を伸ばし。
生まれ変わってもきっと、どこかで創作をしているだろう』と。
もしよろしければサポートお願いいたします! いただいたものは作品、資料、皆様へ還元出来るような物事に使わせていただきます!