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心は磨り切れる。身体は脈を打つ。


前髪を
上げたらPC
反応せず


美容院の予約を入れた。それまで髪は切らないでおこうと我慢している。しかし悲しい事に前髪を上げると顔認識が発動しなかった。

そんなに違う?上げたら、え?こいつこんな顔だったの?って意味?それとも寝過ぎてむくんでるから?ちょっと酷くないですかPCさんと思いながらも、一週間開いてなかったそれの上には埃が落ちていて、私は何故だか悲しい気持ちになった。


色んな所で再三言っているが、私はマイナス思考である。いや開き直る事じゃないんだけど。でも全てをマイナスに考えてしまう事が嫌で、なるべく落ち切った底から楽しい事を夢想するようにしている。自分で自分の思考回路を、少しずつ前向きにするために。

大袈裟に褒めてみたりとか、どこかに吐き出したり、達成感を得るべく何かを作ったり。毎日がそれの繰り返しである。救いだったのは生来の夢想癖と笑い上戸、面白いものや事が好きで摂取しようと勝手にしている所だろう。

しかしマイナス思考で世界の濁りを見たからこそ、私の作品は生まれるからそれを無視する事なんて出来ないけど、書いていない時間が長ければ長いほど思考は私の足を引っ張り落とし込んでいく。


先日、寝坊した。

夜から体調が悪くて、朝五時に起きてもしんどかった。薬を飲んで起きる時間まで寝ようと横になった。

出勤時間の5分前に目覚めた。

私は叫んだ。いくらしんどかろうが何だろうが、5分前は駄目だろうと。かけていたアラームは鳴らず急いで電話をかけた。理由を話すと「無理しないで休んでもいいよ」と言われたが、既に治りかけていたので「いえ、行きます。本当にすみませんでした」と返した。

結局1時間後くらいに出社して、多くの人に大丈夫か?と聞かれた。雨降ってるのに来るなんて、自分だったら来ないと言う人もいた。


私は、自分が酷く情けなかった。


もし本当に休んでいたらどうだろう。多分一日中情けなさに苛まれていたのではないだろうか。お前は何て奴だと、ずっと自分を責めていただろう。現にその気持ちが残っている。

学生の時、部活をサボった事が何度かある。

心が擦り切れて、向き合い切れなくて逃げた。けれどずっと、罪悪感に苛まれた。

私の世界は、逃げるのが許されるような世界ではなかった。

一度自分で始めたのなら、最後まで責任を持ってやりなさい。何度この言葉を聞いたのか分からない。辛い時も苦しい時も、向き合い続ける事で何かが生まれるだなんて馬鹿みたいだ。そうやって人は落ちていくのに。

ある種の強迫観念みたいなものだったのだろう。私はサボる事が酷く怖かった。初めてそれをした時、自分が情けなくて泣いた。サボった理由も、ちゃんとあったのだけれど。


今回、それを思い出して自分が情けなくなった。仕事は好きだし結構楽しい。だからこそ、ちゃんと向き合っていたいと思う。それを出来なかった自分が腹立たしくて、悲しくて、情けなくて。

帰り道、大変へこんだ。


いつから、完璧でなければならないと思っているのだろうか。
いつから、責任感が強くなったのだろうか。
人間が完璧でない事を、私は知っているのに。責任感なんて踏み潰されれば終わる事を、私は知っているのに。


ずっと、ちゃんとしなきゃという思いが生き続けている。


当たり前の事なんだけど、締切は絶対死守とか。落としたら次はないと思えとか。勿論死守だけど、落としても次がある人間にはあるし、守っても次なんてなかったりする。

頑張ったら頑張った分だけ報酬がもらえるのも嘘だ。社会は相当な努力が無い限り、愛されたもん勝ちである。その相当な努力ですらも、愛想で何とか出来てしまう人だっているのだ。同じ土俵にいたらキレてるだろうけれど、多くの人に愛される人って凄いと思う。才能だ。

真面目にやった分だけ救われる世界でないのは重々承知だし、それが本当なら世界から戦いは消えているだろう。嘘つきが一人残らず消えれば、少しはましになっているだろうか。でも世界は大きく変わるだろうな。


まあそんな感じで。
休まない理由はまだあって。その日結構忙しいという事を前日上司が話している時に聞こえたからだ。あーじゃあ明日頑張らなきゃなあと思ってのこれである。これである。

狭い部屋に帰ってきても、お疲れ様の声は届かない。おかえりも、何も聞こえない。別に構わないんだけど、数週間に一回、自分はここで何をしているのだろうと立ち尽くす時がある。


貴方がやらなければならないのは書く事で。ゲームでも仕事でも何でもなくて。もっとそれだけに生きろよ。逃げるなよ。思いつかなかったら世界を見渡せよ。お前が足を止めている間に皆歩いているんだ。時間は簡単にお前を置いていくんだぞ。

と、脳の片隅で声が反響する。

そんなの分かってるよと、返事をしても身体はベッドに倒れ込む。無駄に3時過ぎまで起きてるくせに、何もしないまま息をひそめる。ああ、そういえば月が綺麗だったなあなんて思いながら。

自分が情けなくてどうしようもない時、必ず空に浮かぶ月が綺麗に見える。いつも綺麗なんだけど、楽しい時は前しか見ていないから足を止めて空を見上げる必要なんてない。だから気づかないだけで。

やけに綺麗な月を見て、ああなれたらいいなあと思った。あの淡い光に、何度恋焦がれた事か分からない。多分、恋をしている。憧れという名の、恋をしている。

人生は、思ったよりも時間がない。
沢山あると思っていたけれど、今は一瞬で過ぎ去っていく。
24時間過ぎれば1日が終わり、週5で働けば、いつの間にか休みになる。
それを繰り返していると、気づいた時には一ヶ月が終わっている。

この曜日にはこれをしようとか、一度ダウンしただけで全てが狂う。私は私の心を救う時間と、痛めつけるための時間を上手に使わなければならないのに、最近ずっと救う時間にばかり当てている。

痛めつけるってあれね、書く事ね。

書く事は楽しいんだけど、知的好奇心とマイナス思考から生み出されるからあれでもないこれでもないと無力さに嘆き、唸り声をあげ時には涙しながら書くから、まあ随分と心を磨り減らすのである。

しかし、磨り減らした分の心が返ってくるかと言われたら否だ。

最近の私は日々を生きるのに精いっぱいで、少しの楽しみに書く事を見出せなかったりする。スランプでも何でもない書きたい物は山ほどあるしノートに大量に書いている。文章に、起こしていないだけで。

でも何でだろうな。文章に起こさないと。世に出さないと。私の価値がどんどん消えていく気がしてならないのだ。もっと、自分の作品素晴らしい!世界で一番凄い!!とナルシストになれればいいんだけど、どうも客観視してしまうから、

「私は自分で素晴らしいのが出来たと思っているけれどそれが誰かにとって素晴らしいものかと言うのは受け取り手によるから、必ずしもそうとはいえない」

と、本気で思っている。心身注いだ作品だけれど。自分の中で今出せる一番を出したけど。それが一番素晴らしいかと言われれば、それは読む側に任されるものだ。私ではない。


今日もキーボードの上を踊るように指を滑らせながら、私は自分が何をしたいのか考えている。目先の快楽か叶えたい何かか、それとも全部捨ててどこかに行ってしまおうかとか。

アメリカの大学で開発された三択の心理テストを思い出す。
三つのうち解答が合えば、より思考回路が似ているので恋愛関係として発展しやすいというものだ。

その最後の質問に

「全てを捨てて船一つで旅に出たいと思う?」

という問いがある。

私は未だに、この問いの答えが合った人間と出会った例がない。

私は今持っている全てを捨てて、身一つでどこかに消えてみたいと思う。何の偏見もないまま、何の立場もないまま、ただ純粋に目に映った本当を知りに行きたいと思う。

でもこれに頷く人はいない。不思議な事に、一人もいない。
たかが三つの質問。けれど、これだけは頷かないのだ。

何でだろうと思っても根本的な思考回路が違うから、私に理由は分からない。でも人間は自分の持っているものを簡単に捨てられないんだと思った。家庭を持っているならまだ言いたい事は分かるけど、何も守るものがない状態だったとしても、人は今持っている環境を捨てたくないらしい。

私は今自分が持っているものが、簡単に崩れるのを知っている。信頼も努力も何もかも。崩れる時は一瞬で崩れる。どれだけ高みを目指してもそうだ。何一つ、残らない事を知っている。

だから全てを捨ててと言われても簡単に頷けるのだ。全部捨てよう、何もかも。いいよ、旅に出よう。私が一番幸せだと思える場所まで旅に出よう。って思ってしまうのを、何年も何年も考え続けている。


いつか、突然消えてどこかの遠い町で両手を広げているのだろうか。

案外ありそうだと思いながら、今日も必死に足掻いている。

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優衣羽(Yuiha)
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