【番外編】本当に「年収=幸福」なのか?~ついに出てしまった残酷な結論!?について考えてみよう~
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ふだんはスポーツ科学やトレーニング関連の話題を提供していますが、今回どうしても気になったトピックがあったので発信しています。
「あれ?なんかいつもと違うぞ」と思われたあなた、どうもすいません。
でも、興味があったら読んでみてくださいね。
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ダニエル・カーネマンという研究者をご存じでしょうか。
イスラエル出身のアメリカ人で(両方の国籍をお持ちのようです)、行動経済学という研究分野を確立させるのに多大な功績のあった方です。
長らく、プリンストン大で教授を務めていました(2007年以降は名誉教授)。
2002年には、「プロスペクト理論」などによりノーベル経済学賞を受賞。
ご本人が書いた、一般向けの著作もつとに有名です。
2024年3月に、90歳で亡くなっています。
行動経済学というのは、端的にいうと「経済活動における実際の人間の行動」に注目した研究分野です。
従来の経済学では、人間はつねに「合理的選択」をするはず、というのが大前提でした。
つまり、いついかなる時でも、自分の利益が最大になるように行動するはずだと思われていたのです。
まあ普通に考えれば、そんな気もしますよね。
誰だって損をするのは嫌いですから。
しかし、カーネマンら行動経済学者たちは、人間がときには合理的選択をしない生き物であることを、心理学的な実験の手法などによって明らかにしていったのです。
たとえば上記の「プロスペクト理論」をかいつまんで説明するために、以下のような状況について考えてみます。
100万円もらえる
コインを投げて、表なら200万円もらえるが、裏なら何ももらえない
2つの選択肢は、確率論的な「期待値」という観点からはどちらも同じ100万円の価値があります。
つまり、合理的に考えれば全く同じ価値をもつ選択肢です。
が、多くの人は「1」を選ぶといいます。
実際、自分もそうするでしょう。
不確かな200万円よりも、確実な100万円を高く評価する。
人間は、「非合理的」に「確実性」を重んじる動物なのです。
まあ、死んだり、大けがしたりしたら元も子もないので、リスクを極端に嫌うというのは分かります。
そういう性格の方が、進化の過程でより生き残りそうですよね。
しかし面白いのは、もしこの時「200万円」の負債を抱えていると仮定すると、「2」を選ぶ人が多くなるというのです。
「借金を帳消しにしたい」という強い気持ちが生じるのでしょうか。
普段なら採らないような選択肢を選ぶ可能性が高まるのです。
どうやら、人間にとっては「負債がある」というのもかなり「嫌なこと」のようですね。
先ほどの「確実性を(非合理的に)重視する」という傾向が、状況によって変動することも分かります。
これがプロスペクト理論の一つである「損失回避の法則」ですが、人間の行動や選択には、つねにこうした「バイアス」がかかっていることが、行動経済学によって明らかになってきました。
年収=幸福は頭打ちになる、という発見
他にも興味深い研究を数多く発表したカーネマン氏ですが、彼が発表したものの一つに、
年収が増えるほど幸福度は増すが、それはある程度の額で「頭打ち」になる
という知見があります。
2010年の研究です(アンガス・ディートン氏との共著)。
https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.1011492107
これによると、年収が増えるほど幸福度は増すが、その効果はだいたい年収75,000ドルで頭打ちになる、ということでした。
下の図をごらんください。
グラフの横軸が年収です。
(目盛りが対数、つまり10,000、20,000、40,000、80,000と倍々になってる点にはご注意ください)
縦軸のうちの、
「Positive Affect」が「好ましい感情」
「Not blue」 が「憂鬱でない」
という項目です。
人生の幸福と関連する感情の「向上」が、年収が75,000ドルの辺りからグッとおだやかになり、その後は「ほぼ」なだらかになります。
(ただし、完全な「水平」にはなりません)
現在(2024年9月初旬)の日本円に換算すると、約1070万円ですね。
それ以上お金を稼いでも、人生の幸福度は(ほぼ)上がらないことが示唆されました。
ただしこの研究は2010年のものであり、その後アメリカなど先進諸国では激しいインフレが起きています。
また、円とドルの為替レートも変動しているので、現在の状況と単純な比較はできません。
ともかく、この研究はかなり有名になり、論文を引用した言説も、ネット上や書籍などでは溢れかえりました。
だいたいみな「ある程度のお金は必要だけど、幸福は収入だけじゃ決まらない!人生はお金じゃない!」という論調だったと思います。
あなたも、読んだことがあるんじゃないでしょうか。
強力な反証、現る
しかし、このカーネマンの研究を覆す、衝撃的な論文が発表されました。
マシュー・キリングスワースというペンシルベニア大の研究者が、2021年に発表したものです。
https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.2016976118
奇しくも、というかおそらく意図的にでしょう。
カーネマン(2010年)の研究と同じ雑誌に掲載されました。
これによると、年収75,000ドルを超えても、幸福度は上昇し続けたのです。
下の図をごらんください。
やはり年収と幸福度の関係をグラフ化したものです。
横軸が年収で
(これもカーネマンの研究同様、対数ですのでご注意を)
縦軸の
「Experienced Well-Being」が「実感した幸福感」
「Life Satisfaction」 が「人生の満足感」
という項目です。
一直線、というにはちょっとカクついてますが、どちらも年収が上がるほど右肩上がりに伸び続けていますね。
カーネマン氏の研究とは、真っ向から対立するような結果になってしまいました。
ただし、この結論があてはまるのは年収500,000ドルまでとのこと。
それ以上の収入については、データが不足しているようです。
対立から夢のコラボ、実現
こうなると、とうぜん気になるのは「どちらの研究が正しかったのか」という疑問ですよね。
両者の研究では、そもそも調査の方法や時期が違っているので、集まったデータは違うものです。
(どちらもアメリカ人を対象にしていますが)
しかしそれ以上に、両者の間には何か根底から相容れないものがあるようにも感じられます。
そして、そもそもカーネマンはノーベル経済学賞を受賞したほどの著名な研究者です。
その研究に大きな瑕疵があったとすれば、それもまた大変なことです。
どうやら科学といっても、いわゆる心理学系の研究は、追試してもなかなか同じ結果にならない、つまり再現性が乏しいものが少なくないとも言われています。
さあ、それでこの「論争」はいったいどうなったのか?
その後の展開は、ちょっと意外なものでした。
最近の科学研究はなかなかすごいというか「奥深い」ようで、
どちらかが正しくてどちらかが間違っている
と短絡的に二者択一で考えるのではなく、
どちらもある程度は正しく、またある程度は間違っていて、そしてまだ分かっていないこともあるだろう
と謙虚に想定し、
異なる結論を出した両者で、同じ研究をやり直すことにした
のです。
つまり、カーネマンとキリングスワースの両者で、調停者(arbiter)の仲介のもとに同じテーマで共同研究を行いました。
どうやら、このような展開のことを
adversarial collaboration = 敵対的協同(研究)
というようです。
研究上の論敵同士が、タッグを組んで共同研究する。
両者に遺恨やわだかまりのようなものが一切ないとは思いませんが。
かつての敵が味方になるという、まるで王道のバトル漫画のような展開ですね。
ということで、2023年にまた新たな論文が発表されました。
カーネマン氏が亡くなる、すぐ直前のことですね。
(論文が提出・採択されたのは2022年ですが)
発表された雑誌も、これまでと同じです。
タイトルの一部には「A conflict resolved」、つまり「論争は解決した」とあります。
なかなかキャッチーというか、かなり強気なタイトルですね。
さて、それでは再研究の分析結果はどうなったか?
下の図をごらんください。
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