物事の判断基準
みなさんにとって物事の判断の基準はなにか。
これに関しては個人差はとても出るような気がする。また時期によって、自分の心身のバランスによって、はたまた環境によって、日々左右されるものでもある。晴れの日にはいい決断ができるのに、雨の日にはいい決断ができない。睡眠がしっかりとれているときはいい決断ができるのに、睡眠不足だといい決断ができない。考えて判断する気力がないという人もいるかもしれない。選択したり決断することは意外と大変。そしてそういう感情や環境に任せているとどうしても自分の軸(基準)はブレてしまうことがある。
僕自身、そういった判断をする時に大切にしていることは、好きか嫌いかで判断するのではなくて、良いか悪いかでの判断方法をとること。好きか嫌いかで判断をした時に、自分が世界の中心であればそれで通用するけれど、残念ながら自分が世界の中心になることはない。そうなると言わずもがな答えは見えてくる。
良いか悪いかでの判断をすると、好きな人であれ、それは間違ってるんじゃないか?と疑問に思う局面は生まれるし、嫌いな人・苦手な人であれ、9割は間違ってるけど、1割は合ってるんじゃね?という考え方ができる。これは人間関係の悩みの克服にもつながると思った。嫌いな人・苦手な人でも、良いか悪いかで判断すると、いいところが見つかる。それは嫌いな人・苦手な人から自分の成長につながる部分である。分かり合えないと思っていた人から自分が成長できると考えることは正直な話僕自身もなかった。これはいろいろな本を読む中で得られた知見である。
(ふと陰口を言わない人のことを考えてみると、陰口を言わない人は陰口を言わない努力をしているというより嫌いな人や苦手な人から自分に落とし込むことがあることを知っている人なのではないのかと思う。それを知っていれば陰口をいうことを忘れるから。)
話を戻し、良いか悪いかで決断することが全て良いのかと言われるとそこには少し落とし穴もある。そこで、注意しなければならないことは自分自身が知識ベースで良いか悪いかの話をしてしまうことである。それは価値観の押し付けになりかねないので、知識はあくまでも周りに説明をするときに分かりやすく伝えるためのただの補足であることは忘れないでおきたい。その補足の土台が太ければ周りに最善の策を伝えられるし、その補足の土台が細ければ悲しいことに自分の思いは伝わらない。今僕にとってその知識をつける時期であり、土台を太くする時期であることを忘れずに過ごしていくとともに、良いか悪いかの判断、そしてもっともっと広い視野を持つ必要があることを忘れてはいけないと思う。時には良いか悪いかの判断ではなくて、直感での物事の判断が必要な時も間違いなくある。そういった時に直感に頼れるメンタルと自分を信じる力は今後必要不可欠。そして明確な物事の判断ができるように成長できれば、もっともっといい感性が培われる気がする。