子の心、親知らず。
昨年古希を迎えた父は、小学校の少年サッカーチームのコーチをかれこれ25年近く続けている。
途中、母を看病して看取り、続いて祖母も看病して看取った。その時仕事も早めに引退している。それでも途切れ途切れになりながら少年サッカーとつながりはたもっていた。
実家には卒団していった子供達からの寄せ書きが置いてある。やや恐れられつつもそれなりに尊敬され、感謝をされているようだ。今はもう実際動いて指導はできないから顔役みたいなことをしていて肩書きは偉そうだった。
僕自身サッカーを観ることは楽しくてもやる気にはならない。元々、弟が入っていたサッカーチームだから僕は全く縁がない。
父は実家で一人で暮らしている。
帰れば一時間くらいの距離に僕は住んでいる。弟は自転車で十五分くらいのところに住んでいる。
正月と盆。その2回とあと1,2回あるかないかくらいしか今は一緒に過ごしていない。
月に一度、仕事のことや僕や妻のことを気にかけて連絡がくる。
さっき、いつもと違うタイミングでLINEが送られてきた。
4年ぶりにチームが、大きな大会で無失点で優勝したらしい。
一枚の集合写真も一緒に送られてきた。
優勝した子供達はもちろん、その後ろに写っている保護者、コーチであるおじさんたちも、皆満面の笑顔だった。
集合写真は、たいてい良い表情で写る人は少なく、そこにいない人があとから見るために撮られることが多いらしい。
でも、送られてきた写真は、写っているみんながこの時嬉しかった気持ちを後から思い起こせるように撮られたいい集合写真だった。
父は横の人を向いて笑っていた。
楽しそうに笑っている写真の父親をみて、僕も嬉しくなった。
知らないところで知らない人たちと笑っていて良かった。
父は子供に心配をかけない、いい親だ。
親はずっと子供を気にかけている。
程度の差はあれど、これはきっと死ぬまで変わらない気がする。
でもある時から子も親を心配するようになる。
うちの場合一人で暮らしているからなおさらだ。
心配してると言いつつも、たまに来た連絡を返すだけで、年に数回しか顔を合わせにいってないわけだから、僕はまだまだやってることが子供だ。
いつなにがあるかわからない。
あと数えるほどしか一緒に食事をしないかもしれない。それだけは日々忘れずいようと思った。
その後少しLINEのやり取りをした。
おじさんたちは打ち上げで盛り上がりすぎて帰宅したのは夜中だったらしい。
しかも翌日は病院の検査の日で、ちょっとびびっていた。
「親の心子知らず」さながら、子の心親知らずだ。
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