"理解される喜びを分かち合う"を考える
エイトシークエンスのパーパス、ミッション、存在価値などの"言葉"そのものは進化を前提としています。
その時、その場所、そこにいる人たちの解釈によって、
エネルギーの湧く言葉に生まれ変わるものだと思っています。
理解される喜びを分かち合うという言葉は、
もともとは「世界一の理解者」という言葉でしたが、名刺による断定的な表現よりも動的な表現のほうがしっくりくるのではないかと、この言葉にしてみました。
そして皆さんとこの言葉を味わいながら、私自身もじっくりと味わっています。
わたしはエイトシークエンスの存在価値を
"自分よりも自分のことを理解してくれる存在"
もしくは
"自分よりも自分のことを信頼してくれる存在"
と解釈するのがとてもすっきりとしています。この言葉は、谷川祐一さんが先日のセミナーの際に麻美さんの存在を説明するときに口にされた言葉です。
わたしは、人は皆、心の奥底にある”内なる声”に従って生きていると思っています。
そしてそこには"良心"や"愛"に溢れた世界が広がっています。
誰かを傷つけるために生まれる生物はいません。
しかし、内なる声はいつも耳元でささやいてくれるものではなく、
無意識なものがとても多く、時に自分でも気づかない間に、良心や愛と真逆の行動に出てしまうこともたくさんあります。
例えば、
"自分は人生を通して、何を大切に生きていたいと思うのか"という問いの答えは、実は一人ひとりが持ち得ており、これまでの行いや態度にすべて現れているのに、自分では気づくことができないことが多いように思います。
また、別の観点では、
これまで他人を傷つけてしまったと思う人も、
その背景にある不安や恐れに気づくことができなことも、たくさんあるのでないでしょうか?
自分は愛されていないと思うから不安
自分はひとりぼっちと思うから不安
自分は価値がないと思うから不安
自分はこの世に存在してはいけないと思うから不安
etc..
不安や恐れの存在に気づくことができれば、向き合うことができます。
そして、それが思い込みであることを知り、眼鏡がかけ変わる瞬間が生まれるのだと思います。
これらの気づきを得るためにわたしたちがいるとすればどうでしょうか?
わたしたちはすべての人が"良心"や"愛"を持ち、価値のある存在であることを知っています。
その前提のもとに向き合うことで、人は自然に自分の"良心"や"愛"の存在に気づき、恐れをなくし、心穏やかで豊かに生きられるようになるのではないかと思います。
わたしが菩薩様やシシガミ様、アバターのエイワなどで表現しているのは、
私自身が「圧倒的に守られている感」を感じているからです。
だからといって、日々、気持ちが常に穏やかで豊かであるわけではありません。
ただ、「安心して、大丈夫」といつも内なる声がわたしにささやいてくれるように感じます。
だから、商談や面談のお相手のお話を聴くときも、
いつも「大丈夫ですよ。あなたがとても素敵な人なのを知っています」と思って聴くようにしています。
そうすると、素敵な部分を探すようになり、不安や恐れを感じた時にはその奥底にあるものを見にいこうとするようになります。
「好きにしたらいいんじゃない」
という言葉が頭の中に常にあるのも、接頭語に"大丈夫、守られているから"という言葉がついているのだと思います。
世界は”個の自由”へと向かっています。
ただ、自由が故に孤独になることもあるでしょう。
人との違いという言葉に、孤立を感じる人もいるでしょう。
でも、そういうことではなく、
大前提として、
"守られているから大丈夫"
”信頼されているから大丈夫"
”愛されているから大丈夫”
"価値があるから大丈夫"
という
守り神がついていることを、わたしたちが伝え、わたしたちから感じることができれば、
個の自由が温かみを帯びた素晴らしい世界に変わるのではと信じています。
それがわたしたちの世界観を"陽だまり"と表現した背景だと、これを書いていて接続しました(笑)