エイトシークエンスに代表はいらない
エイトシークエンスという会社を運営していて、つくづく思うことは、この会社には代表はいらないと思う。
誤解のないように伝えると、代表がすべての意思決定権を握る状態はいらないと考えている。
中心にあるのは「考え方」がメインであり、考え方に基づき、それぞれのメンバーが自分らしく表現していけばよいのだ。
代表というのは、一般的にはビジョン(目標)を指し示し、その山の頂を最短距離で目指すための舵取りをする役割で、どの組織図を見ても頂点に位置する。
そして、代表の指示が火山のようにてっぺんから麓に流れ降りてくるような縮図になっている。
これは経済合理性から言えばとても理に適っていると思う。
経営とは市場を創り占拠することである。
市場というイス取りゲームに勝つには、明確な戦略と力(資産)の集中が確実に効いてくる。
だから、いわゆる経済活動を行うためには、代表という船頭が方角と資産を集中し、競争に打ち勝っていくのが定石なのだと思う。
ただ、私はその競争を前提とした考えが好きではない。
競争は闘争と逃走しか生まない。
勝っても勝ってもまた敵が現れ、いつまで経っても心が穏やかではないし、
競争相手ばかりを見て、大切な顧客を見れなくなる危険性も十分にある。
経済合理からすれば、綺麗事をと言われるのがオチだが、私はそれでも、競争を前提とした経営はしたくないのだ。競争がなければ、戦略論は自然の理に基づいた意思決定に変わっていく。
それはまるで村が街に変わり、街が国に変わる時のように、大きくなったり小さくなったりしながら、必要な分だけ変化してその時に最適な状態をつくる。
私は形はどう変態してもよく、「考え方」は変わらず根付いている状態ができていれば良いと思っている。
エイトシークエンスでは今、競争環境に立っているが、この挑戦はいつまでも続けたいと思っている。