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ケンブリッジでの研究生活で感じたこと

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2021年10月から一年間、慶應義塾大学からケンブリッジ大学にVisiting Scholarとして滞在する時間の中で感じたこと、考えたことなどの雑感を綴っていきます。なかなか外…
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年の瀬に激動の2022年を振り返って

コロナ禍でオミクロン株が広がる中で、さらに2月にはウクライナでの戦争が勃発したこの1年間。 1年前の私は、イギリスのケンブリッジ大学で在外研究中。この1年間で、アイルランド、ギリシャ、アメリカ(ワシントンDC)、ポーランド、スペイン、チェコ、アメリカ(ロサンゼルス)、ブリュッセル、そしてアラブ首長国連合と、コロナで様々な制約や、戦争および原油価格高騰、労働者不足などからの、航空会社と空港の混乱を経験しながらも、数多くの海外出張と、対面での国際会議への参加がありました。世界で

ケンブリッジの最後の日

いよいよケンブリッジ、最終日。何だか寂しいです。ちょうど昨年10月初頭に来たので、約11ヶ月。普段は東京で慌ただしい生活をしていたので、ケンブリッジの田舎で、特に義務もなく、単身で生活するというのも、四半世紀前の大学院生時代を思い出します。 おそらくは私の研究者人生で、定年退職するまでで、これだけゆっくりと時間を使えるのは今回が最後ではないかということで、悲壮で切実な思いで、停滞していた外交史研究を何とか進めなければならないという気持ちで昨年10月にやってきました。 とこ

ヨーロッパで時代を変えた事件

先週に滞在したプラハでは、二日連続で外務省を訪問しました。その中でも、二日目の訪問は私にとって貴重な機会となりました。 こちらの美しい中庭は、歴史あるチェコ外務省の庁舎の中にあるものです。こちらの上階には、外務大臣が宿泊する部屋があり、ベッドやバスルームがあります。ここはぜひとも、長い時間、一度訪れてみたいと思っていたところでした。 私の博士論文を基にした『戦後国際秩序とイギリス外交』をお読みいただいた方もおられるかもしれませんが、戦後初期の大国間協調の英米仏ソの四大国に

「先生、ツイッターやりすぎじゃないですか?」

私のゼミ生たちが伝統的に有する美徳の一つが、他の人が言いにくい厳しい言葉を、率直に私に言ってくれる学生がいること。学部生も院生も。それで、バーミンガムで夜にゼミ生たちと集まってお酒を飲みながらおしゃべりしているときに、ふとこんなことを言われました。予期していたとおりですが。 「先生、ちょっとツイッターやり過ぎじゃないかって、ゼミ生みんな心配してますよ。せっかくイギリスに一年いるのだから、専門の外交史の執筆にもっと時間を使った方がいいんじゃないですか。」正論過ぎて、ぐうの音も

優雅な邸宅での、優雅な会議

オクスフォードの郊外に、ディッチレー・パークという広大な敷地を擁するマナーハウスがあります。もともと、18世紀初頭に第二代リッチフィールド伯爵が建てたカントリー・ハウスでしたが、その後、幾人かの手に渡ってから、第二次世界大戦中にはウィンストン・チャーチル首相が、週末の静養のために利用していた邸宅です。チャーチルは、そもそも、ここから近いウッドストックにあるブレナム宮殿で生まれ、そこが生家だったので、いわゆる広い意味での「地元」ですから、寛いだ時間を過ごせたのかも知れませんね。

ヘミングフォード・グレイのマナーハウス

ケンブリッジから車で30分ぐらい田園の道をドライブすると、ヘミングフォード・グレイという小さな村に到着します。 このイギリスの片田舎にある、辺鄙な小さな村。日本ではかなり知られた有名な場所。そうです。『イギリスはおいしい』で有名な、あの作家の林望先生がケンブリッジ大学客員教授時代に住んでいたルーシー・ボストン邸です。 あの1991年に刊行された優れたエッセイ、『イギリスはおいしい』を通じて、ボストン夫人の不思議な、そして温かみのあるあの邸宅に想いを寄せ、頭の中で想像した読

ミッション・アコンプリッシュト?!

先週の金曜日、ようやくケンブリッジに到着以来の目標であり懸案であった、人生初となるカレッジでの「フォーマル・ディナー」に参加してきました。 すでにこちらでもご案内したように、オクスブリッジのカレッジとは、一つの独自のコミュニティを形成しており、そのカラーはカレッジにより、そしてオクスフォードとケンブリッジにより、色々と異なります。とはいえ、これは大学史の悠久の時の流れの中で、ある意味ではシーラカンスのような「生きた化石」となり、ある意味では時代とともに進化をし続ける、独特な

禍福はあざなえる縄のごとし

イギリスに来て1ヶ月。予想以上に順調に生活が立ち上がっていると感じるときど、どうしてこう、うまく物事が進まないのだろうと焦るときとが、交互にやってきます。 「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉があります。 これは、慶應義塾の石川忠雄元塾長が書かれた著書のタイトルにもなっていますが、「禍い(わざわい)」と、「幸福」が、まるでよりあわせた「縄」のように交互にやってくる、という意味のようです。まさに、小さな禍いと、小さな幸福が、交互にやってくるという感じでしょうか。 たと

二つのライブラリー

新しく大学に所属するようになる場合に、学生の場合は大学側が効率的に大量に新入生を受け入れるためにも、通常は窓口や担当者をつけて新年度が始まる9月にまとめて対応する場合が多いのではないでしょうか。 四半世紀前ですが、私がバーミンガム大学大学院に入学したときにも、学生証の発行や、銀行口座の開設方法、大学の施設の利用や、コンピューターの利用方法など、9月に毎日のように、印刷物をもらって説明を聞いたり、説明会のようなものがあったり、ベルトコンベアに乗せられたように処理をしていきまし

バイロンズ・プールからブルームズベリーへ

先週の土曜日は、二度目のグランチェスターへの長い距離の散策。 その前の週末に来たときには16時を過ぎて到着しましたので、あいにく目的のオーチャード・ティーガーデンで紅茶を飲むことがかないませんでした。今週末は少し早い時間に家を出て、無事に開いている時間に到着! 先週末とは異なり、ちょっと小雨が降ったり曇っていたので、かなり人が少なかったです。 (なんとも可愛い小鳥が遊びに来てくれました。英語名でrobinというようで、日本語だとコマドリのようです) 1897年にオープ

ディナーまでの遠い道のり

ちょうどこちらに到着して、十日ほどが経過してだいぶ生活も落ち着いてきました。なにしろ一年半ぶりの海外への渡航ということもあり、海外に行くこと自体の感覚がなまってしまっておりまして、今自分が日本を離れてイギリスで生活しているというのも不思議な感じがします。 昨日は、コーパス・クリスティ・カレッジというかなり古い名門のカレッジのフェローである、近代東アジア史が専門の旧知のバラク・クシュナーさんとお会いして、そちらのカレッジのダイニング・ホールでランチをいただいてきました。ハリー

自分の足元を見つめ直すということ

毎日同じ小径を歩いていると、少しずつ葉の色が変わっていくことに気がつきます。なかなか、日本にいてそのようなことを感じる機会はありませんでしたが、こちら、ケンブリッジでは毎日、1時間から2時間、街中を散策しており、そのような時間の経過を実感することができます。 コロナ禍で日本にいらっしゃる方々は、ななかなか海外に出ることができない状況であるかと察します。またこの間に、本来は在外研究に出るはずがそれを諦めざるを得なかった教員の方、あるいは留学予定だったのを断念した学生の方も多く

湿地帯を抜けて隣の村へ

週末の土曜日となった今日は、いつもよりも少し足を伸ばして、グランチェスター・メドウという隣村まで散歩に行ってきました。片道、50分程度。 ところで、池田潔『自由と規律』(岩波新書)という本をご存じでしょうか。慶應義塾大学文学部教授であった池田潔氏が、イギリスのパブリック・スクールのリース校での日々を綴った美しい叙情的な回想であり、またイギリス教育論でもあります。1949年に書かれた著作ですがいまでも長く読み継がれ、私のゼミでもだいたい毎年、3年生のみなさんに一冊目のテキスト

小さな事件が発生

ケンブリッジでの滞在も、今日が5日目。まだユニバーシティー・カードも、メールのアカウントも、WIFIに接続するログイン情報も入手していませんが、少しずつ生活が整ってきました。 ところで、私が大学院生時代にバーミンガム大学大学に留学したとき、何人かのイギリス人の友人で、大学入学に必要なAレベルの試験でオクスブリッジに行く水準に到達しながらも(これはかなり高いレベル)、それほど裕福な家庭でもなくまた親戚にオクスブリッジ卒業生がいないので、あえてロンドン大学やマンチェスター大学、