忘れることができるから、人間はコンピューターよりも優秀 #BookandMe 外山滋比古の「思考の整理学」
COOなんて立場にいると、しっかり者と思われることがたまにある。
特に社内では、しっかり、整理整頓うまい、管理にうるさい。
そんな風に思われているし、実際に、スケジュールや時間、ものごとの整理にはかなりうるさい人間だと、自分でも思う。
じゃあ、私がずっと整理のできる人間だったかというと、全くそうではない。
むしろ、下手くそだった。
忘れ物は多い、遅刻はよくする、机の上はいつもぐちゃぐちゃ。そんな人間だった。小学校の時には、だいたい毎日何かを忘れていたし、整理整頓したはずの机の中が気がつけば、ぐちゃぐちゃになっていたし、大人になってからも、財布や携帯を忘れるなんてことは、しょっちゅうだった。
今だって、油断するとその本質が顔を出してきて、アタマの中がぐちゃぐちゃになりそうになる。それをどうにかこうにか、うまくごまかしているだけなのだ。
大学生の時だったか、留学を将来的に考えていた私は、英検の試験を受けた。そのために、単語を覚えて、問題集を繰り返しといて、それはそれは学生にしては頑張ったものだった。
その努力の甲斐もあって、無事に1次試験を突破。あとは、2次試験を終えるのみだった。
1次試験までの疲れもあって、ふっと息を抜いていたある土曜日のお昼に、友人から電話がかかってきた。
彼は、私が電話を出るなり、居ても立っても居られない様子で、こう聞いてきた。
「試験どうだった?」
1次試験を突破したところの私にしてみたら、意味がわからず、
「何の試験?」
と聞き返した。
その返答に驚いた彼は、
「今日、英検の2次試験でしょ?」
と。
その瞬間、私は意味がわかり、青ざめた。
そして、またやってしまったと。
私は、これくらい忘れっぽいのである。そして、それを誰よりも自分が思い知っているから、忘れることの恐怖も、罪深さもわかっている。
そのために、仕事では、共有カレンダー、トドイスト、ライン、スラック、メモ帳をフル活用して、とにかく大事なことを忘れないように努力している。この努力のおかげで、仕事上での忘れ物はかなり少ない方だと思う。
外山滋比古さんの「思考の整理学」には、様々な刺激的なエッセイが掲載されているが、個人的には、「整理」の話が一番救われた。
簡単に言ってしまえば、忘れていいんだよ、という話である。
もっと言えば、忘れなければいけない、である。
筆者はコンピューターの出現によって、人間に求められる能力が大きく変わってきている、というのである。(30年以上も前に書かれた文章にもかかわらず。)
これまでの教育では、人間の頭脳を、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさんのものが詰まっていればいるほど結構だとなる。
(中略)
倉庫としての頭にとっては、忘却は敵である。博識は学問のある証拠であった。ところが、こういう人間頭脳にとって恐るべき敵があらわれた。コンピューターである。
(中略)
コンピューターの出現、普及に伴って、人間の頭を倉庫として使うことに、疑問がわいてきた。コンピューター人間をこしらえていたのでは、本物のコンピューターにかなうわけがない。そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、というのである。
覚えることは、コンピューターに任せてしまえばいい。人間は、コンピューターのできないことをやりましょう、というのである。
忘れっぽい私にしてみれば、よくぞ言ってくれた!である。
それはそれとして、さて、コンピューターのできないこととはなんなのか。
それが新しいことを考えることであり、そのためには、どんどんと不必要なものを忘れていかなければいけないというのである。
そして、忘れれば忘れるほどに、どうしたって忘れられない、自分の価値観の中で大切なものが残っていく。
それをしっかりと考えることが重要である、と。
つまり、忘れるということを1つの人間の重要な能力と考えて、それによって、逆に、忘れられないものにフォーカスを与えて、新しいものをつくっていこうというのである。
忘れてはいけないものは、コンピューターに覚えてもらって、それ以外の創造的仕事を、人間がすればいい。
そうだ、私が忘れっぽいのはそのためだったのだ、
なんて自分勝手な考え方をしながら、安心させてもらった一冊である。