感じたものが、本当。
このあいだ旦那さんに言われた「仕事に熱中しすぎると、小さな幸せに気が付けないよ」という言葉が、ずっと昇華せずにモヤモヤしていた今日この頃。
日頃から「0」か「100」しか選べなくて、「やるか・やらないか」「好きか・嫌いか」みたいに、0と100の間の選択肢を考えるのが苦手。
大学受験のときは、1日10時間勉強するのを目標に、学校前に勉強、学校終わりは塾が終わる22時まで勉強、その後も余力があったら勉強、みたいな生活を休まず行なっていた。土日はもちろん、お盆休みも正月休みも。休みという概念がなくなるくらい、とにかく決めた目標に突っ走るのが楽しくて仕方なかった。
だから、休んでいるほうが苦痛だし、時間を持て余すのがめちゃくちゃ苦手だった。
それが、仕事にも表れているらしい。「やる」と決めたものが一つあると、それだけに夢中になって他のものはどうでもよくなる。
今でいうと、「ホッとする時間」とか「友達とたわいもない話をする時間」を確保するのが苦痛に感じてしまう。
でも確かに「本当の幸せ」は仕事からは生まれないと自分でも思ってた気がするぞ…?ってことも思い出した。
普段から感覚的に生きているから、自分のことを全然わかってないなあとつくづく思うけど、考えれば考えるほど、「まあ、分からないことは分からなくてもいいのでは?!」という結論に至ってしまうのであった…
たぶん直感で生きてる人って、考えれば考えるほど「こうしたほうがいいかな」とか「こうすべき」とか「こうしたら旦那さんが喜んでくれるかな?!」とか、他人の思考が入ってきてしまって、結局自分がどうしたいのか分からなくなってしまうんだと思う。(私だけかもしれないけど)
だから、「今これしたいのー!!!」っていう明確な自分の気持ちを信じればいいんじゃないかなと。
考えることを放棄してるみたいだけど、考えたって1番いい結論は出ないんだし、進むべき道がなぜか急に見えてくる瞬間が絶対にあるんだよなあと。
「本当の幸せ」は人それぞれ違うし、定義できないし、自分でも分からない。だから、自分が感じるがままに生きていけば良いかなーと今は思いました。
そんな結論にたどり着いたのも、家や仕事から離れているからで。普段の生活から離れないと、見えないものってたくさんあるなあと。
こんなモヤモヤ期には名古屋に来る予定が入っていることが多く、今日も名古屋に滞在中です。
お昼はおじいちゃんと鰻を食べ、夕方はお友達のお家にお邪魔しました。
すこーしずつ弱っていくおじいちゃんの、一時的(?)な元気な姿を見て、なんだか切なくなりました。
これからも定期的にうな重奢ってもらおーっと。
こちらは、友達が住む古民家のお家。
あたたかい紅茶を飲みながら、お互いの話をして。
ゆっくり流れているように感じていた時間が、いつのまにか帰る時刻になっていて。
日々、自分の中で流れているのとは違う時間の流れ方をする空間で、ほっと一息つきながら、これからやっていきたいこと、ワクワクすることを、2人で笑いながら話して。めちゃくちゃ素敵な時間だった。
これも、私にとっては幸せだなあ。
いろんな幸せがあって、種類や充足感は違うかもしれないけど、感じたことが本物。
引き続き、色々考えながらも、感じることも大切にして生きていきたいな〜と思った1日でした。
おやすみなさい〜〜!