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バチェロレッテジャパンは、Amazonプライムから全人類への全力のエールだ。

2020年に私がドはまりして一気見したコンテンツと言えば、韓国ドラマ『愛の不時着』、同じく韓国ドラマ『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』、そして、Amazonプライム製作の婚活サバイバル番組『バチェロレッテ・ジャパン』だ。

前述の韓国ドラマ2作については今後改めて記事を投稿をしたいが、今日は『バチェロレッテ・ジャパン』について。

キラキラリア充を穿った角度から見ている私が、バチェラーシリーズを見続けている理由

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恋愛リアリティーショーとして『バチェラー・ジャパン』をシーズン3まで製作して来たAmazonプライム。ハイスペックなイケメン男性のバチェラー1人を20人の女性が血みどろの泥仕合を繰り広げて奪い合う番組(精神的な話)。

私はこのバチェラーシリーズを一通りチェックして来たが、最初から心底楽しんで見ていたわけではない。

むしろ、当初の私のスタンスはバチェラーというコンテンツに対して批判的で、「バチェラーもバチェラーに出る女も、パリピばっか。このキラキラ女子め」という、スクールカースト下位の地味め女子が眼鏡の奥から嫉妬心むき出しで睨んでいる、という視聴の仕方であった。

故に、シーズン1・シーズン2は最初の2~3回を見た後に最終回だけ目を通し、へえーこの子を選んだのね、と結果を一応把握するのみ。

しかし、シーズン3はしっかり見た。

何故2~3話で見ることを止めなかったのかと言えば、当時ニートの私には時間があり余っていたこと、世間の注目度がシーズンを追う毎に上昇していたことも要因ではあるが、どうにも見進めてしまった、PS4のコントローラーを手に取ってAmazonプライムの違う作品を漁ることが出来なかった、という部分が大きい。不覚ながら。

というのもですね、一人の男性を手に入れるために、健気に、一途に、時に大胆に行動を起こし、もがいて悩んで、涙を流している彼女達を見ているとね、どうにも情が湧いてしまう。

それに、最初は表面的な部分しか見えなかった女性達の、もっと違う一面や意外な素顔を見せられる度に、段々と一人一人の女の子を好きになっている自分がいる。もちろん、どの子も平等に好きなわけでもなくて、いわゆる「推し」まで自分の中で出来てしまっていて、でも皆に頑張って欲しいと願っていて。

これは完全に、バチェラーにしてやられました。Amazonプライムのヤツらの思うツボ。バチェラー沼。

バチェラーシリーズをどういうスタンスで眺めるのかは人それぞれだろう。バチェラーのハイスペックイケメン男性にうっとりする女子もいるかもしれないし、参加者達から恋愛テクを学び取ろうという向学心に溢れた方もいるかもしれない。見目麗しい女性達から好みの女子を見付けて妄想を膨らます男子もいるだろう。

だが、私の場合は、参加者の女性達に対する愛着心からラストまで見届けた、というところが一番フィットする気がする。

さて、そんなバチェラーシリーズだが、『バチェロレッテ』はその男女逆転版。才色兼備な1人の女性が、17人の男性から運命の1人を見付け出す。

今作、これまでのバチェラーとは全く違ったドラマを繰り広げて下さいました。

バチェラー(男性版)は、あくまで「恋愛リアリティーショー」であったと思うが、バチェロレッテ(女性版)は「婚活サバイバル番組」を通り越して「人間討論」に近かった。いや、的確な表現が浮かばないが、プール付きの大邸宅でありながら修行僧の宿坊生活の様な、沖縄の海で太陽燦燦の中のランニングでありながら片岡鶴太郎の深夜2時から4時間のヨガの様な。自身の内面を、自分と目の前の人間との関係を、今自分がここに在る意味を、否応もなく考えなければならない。そんな時間を映した内容となっていました。

バチェラーの場合、そこに集められた女性は、いわゆる男ウケしそうな(つまり私とは縁遠そうな)女子ばかりで、大胆なスキンシップやら色仕掛けやらハニートラップ的な云々やらで男の気を引くといった、「女を使って男を落とす」作戦が多用されていた。そして、20人の女性からちやほやされて鼻の下伸びっぱなしのバチェラー達。

3シーズン通してその構図は共通だった。

だが、男性が女性にアプローチする時、同じことは通用しない。水着姿の女子を寝かせてマッサージオイルでもみもみしたら完全にセクハラだし、とかく目も当てられない大惨事になる。

故に、バチェロレッテでは色仕掛けは通用せず、内面へのフォーカスが最重要事項となった。これまでの、対男女としてではなく、対人間としての向き合い方が問われることとなったのだ。

男性版バチェラーを見ていた時、参加女性達には応援の気持ちが湧き上がっていた私だが、バチェラーの男性に対しては、そこまでの情が生まれなかった。というのも、確かに彼らは文武両道・ハイスペック・イケメン3高の男性だけれど、どこか表面的であり、バチェラーという企画に対してのスタンスのぬるさ(彼女でも見付けられれば良いか)が感じられたのだ。

しかし、今回のバチェロレッテ、福田萌子はそこが違う。

セレブでモデルでスポーツトラベラーで他にも肩書いっぱい持ってます、というオールマイティーな萌子さんだが、年齢は32歳。真剣に結婚を考える年齢の女性であるからこそ、結婚相手を選ぶという企画に対しての腰の据わり方が、やはりどうしてもこれまでの男性達とはレベルが違う。一時の感情に流されることなく、「結婚相手として相応しいか」という尺度を一貫して持ち続けた点は、あまりにも格好良く、勇ましかった。

だが、萌子さんは、婚活だから本気になったわけじゃない。じゃないってことでもないけれど、彼女はいつだって何事に対しても本気で向き合う女性なのだ。そのことを、私達はこの8時間を通じて見せ続けられることになる。

なんというのかな、こちらが一瞬でも気を緩めようものなら、寸止めの正拳が飛んで来るというか(萌子さんは暴力など行使しません)。本質をつく様な質問を、ストレートのど直球をばんばん投げて来る。

それで、男たじろぐ。

このやり取りが幾度あったことだろうか。

あの、人を射る様な強い眼光で見つめられたら、大抵の男は目を合わせられないはず。余りにも真っ直ぐで、嘘がなくて、いつだって本気。本気と書いてマジ。

バチェロレッテは、萌子さんの一人一人を見る目が本気であった。ちなみに、バチェラー3に関しては、バチェラーが一人の女性に向ける恋心から初っ端から本気だった。だから、私を惹き付けたのだと思う。

人類愛の境地にまで至らしめたバチェロレッテ

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バチェロレッテの初回、私は思った。「ろくな男がいねえな」と。だが、これもバチェラーシーズン3と同じく、その後覆されることになる。

例えば、最初のカクテルパーティーでファーストローズを貰った料理研究家のちゃみこと北原一希。口元に締まりがなくてだらしないなあ、へらへらしやがって、という第一印象だったが、あららら、その屈託のない笑顔にきゅんとしている自分がいる。どんな時だって、ああやって馬鹿みたいに笑ってくれたら、ああ、いいなあ。

例えば、當間ローズ。登場から自作の歌をぶちかまして距離が近過ぎて怖いわ、と勝手に慄いていたが、彼の博愛思想は周囲を温かく包み込んでいたし、彫りの深くて圧の強い顔立ちも段々と柔らかく見えて来た。

例えば、榿澤涼太。私の中では「山P崩れ」というキャッチコピーを付け、小学生の作文みたいな語彙力しかねえなと毒づいていたが、途中からジャンプのヒーローになっていた。馬鹿が付く程の大真面目で、真っ直ぐにしか走れないタイプ。自分に正直。もうね、可愛いわ。

そうして気付くのです。どの男性も、どの人間も、本当は一人一人とっても魅力的なんだよな、ということに。

完全に悟ってしまった。ガンジーの様に数か月間穴の中に閉じこもって断食していたわけでもなく、修行僧の様に滝に打たれ般若心経を唱え精進料理を食べていたわけでもなく、今川焼を食べながらリビングでテレビを見続けていただけなのに。すっかり菩薩と化してしまった。悟りの境地にまで連れて行かれた。それがバチェロレッテジャパン。

多分、私が初めに感じた「ろくな男がいねえな」という第一印象によって男を切り捨ててしまうことが、一番もったいなくて残念なこと。

マイナスな感情を抱くのは、相手をまだ知らないから。相手のたった一面しか知らないから。

だから、私達は知り合う。知り合って、もっともっと互いを知って行く。それは相手を好きになりたいからだし、好きになるためには、価値観や考えや時間を共有することがどうしたって必要になる。

そうして知り合うことが出来れば、深いところで理解しようと歩み寄ることが出来れば、そこまでの時間を割ければ、きっと好きになれるはずなのです。

無知ほど怖いものはないですね。

それに、「活動的な人がタイプ」「話が面白い人が良い」「身長は178以上でないと」といくら口で言っていようが、人間だもの。結局は「条件的にいい男か否か」よりも、「相手に対する親しみが芽生えるか否か」という点に帰結すると思うのです。バチェロレッテを一気見した私は、回を重ねる毎に、確かな親しみ・愛着を育てながら彼らを追い続けたというわけ。

ちなみに、私の推しメンは、最初から最後まで中国人実業家の黄皓(コウコウ)一強でしたね。(結局第一印象やないかい)

衝撃の結末は、令和のアラサー女性の婚活のリアルを映し出した

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ここからは結末に言及するネタバレを含みますので、どうか悪しからず。

バチェロレッテはラストで1人の運命の相手を選ばねばならないのだが、萌子さんは誰も選ばないという、企画倒れも甚だしい結論を下した。それに対しては賛否両論吹き荒れることになるのだが、うん、仕方ない、萌子さんらしい、と参加者に倣って言いたい。

最終回まで残った男性は、私の推しメン・黄皓と、すぎちゃんこと画家の杉田陽平の2人。

黄さんは、私の推しとだけあって、大方の予想通り最後まで残った。彼だったらバチェラーとして出られるのに、というレベルの、文句なしの男前っぷり。

一方のすぎちゃん。最初のカクテルパーティーで萌子さんに声を掛けられずうじうじしていたすぎちゃん。あの時半べそをかいて他の男性達から励まされていたすぎちゃん。早々に(むしろ初回で)脱落すると思われたにも関わらず、ここまで残った。奇跡。ミラクルハプン。

すぎちゃんは、私達に夢を見させてくれた。失礼かもしれないが、恐らくそこまで女性にモテて来たタイプではないだろうすぎちゃん。その彼がこんなにも大健闘の活躍ぶりを見せてくれた。本人としたら迷惑な話かもしれないが、すぎちゃんがあんなに頑張っていたのだから、私もまだまだ頑張ろうと、背中を押された気分だ。

すぎちゃんは、誰よりも不器用で、素直で、正直だった。「好き」という言葉も、そのままに萌子さんに投げ掛け続けた。「たまらなく好きです」って、いやはや、泣けるレベルで嬉しいよね(「好き」という一言には、とんでもない価値がある)。芸術家らしいロマンチストな面もあり、萌子さんの絵をバチェロレッテの旅の期間をかけて完成させたり、実家の庭に林檎の樹を植えたりする(ルターの名言より)。

そして、どこか自信なげで控え目な様は、女子の母性本能をくすぐるものでもある。

他の男性達が自己主張や自意識が強い男性ばかりだったので、すぎちゃんの存在は萌子さんの中で唯一無二の、かけがえのないものになっていたのではないかな。

だが、だがばっとしかし、世の中そんなに上手くは行かない。然うは問屋が卸さない。

すぎちゃんは「男性として見ることが出来なかった」という理由で、最後の最後で振られてしまうのである。

この、ラストまで残しておきながら「男として見られない」から落とした点に、32歳の女性のリアルがある気がした。

もう32だし、そろそろ結婚したい。結婚するなら、恋人に求める条件とは違う観点が必要なはず。きっと、ときめきや刺激よりも、安らぎや安定が必要なのよね。よし、それだったら、すぎちゃんが良さそう。ドキドキは無いけど、高揚感も無いけど、でも、私のことちゃんと見てくれるし、一緒にいて素でいられるし、楽だし。

あれ、でも、これでいいの?ほんっとーーーうに大好きな人と一緒になるのが結婚じゃないの?一番好きな人と一生の誓いを交わすのが結婚じゃないの?

そして、萌子さんもここに行き着いたのではないかと。

わたし、恋愛を飛ばして結婚なんて出来ない。

結婚相手として、すぎちゃんをリアルにイメージしていたことは確かだろう。結婚相手としては打って付けだと考えたのだろう。だから、最後まで残した。本気で考えた。でも、恋なくしての結婚など違うだろって。だったら、そんなに無理して結婚することない。もう少し1人で生きてみよう。

現実を頭では理解しつつ、心には逆らうことが出来なかった。

それが、1人でも十分に生き抜くことの出来る、逞しい現代女性のリアルであり、萌子さんが見せた人間らしさ、かもしれない。

一方の黄さん。知的で賢くてスマートで、女の扱い方を心得ていて、顔も金回りも良い。育ちの良さも萌子さんと似通っていて、価値観も合う。萌子さんも「男性として惹かれていた」。だが、選ばれなかった。

黄さんに関しては、「切実さの欠如」が敗因ではないかと推測する。

黄さんの場合、本人は実業家だし、あのルックスだし、いくらでも周りに素敵な女性がわんさか居るだろう。これからいくらでも萌子さんの様な立派な女性に知り合う機会もあるだろう。故に、萌子さんに対する執着が薄かった。実際、途中までは好きという気持ちを持っていなかったそうな。

すぎちゃんは、最後のローズセレモニーでフラれた後、もう一度萌子さんに告白するという漢気を見せた(だが、やはりフラれる)。黄さんがすぎちゃんばりの熱烈な情熱を持ってアプローチをし続けたのなら、この前代未聞のエンディングとは相成らなかったかもしれない。

バチェロレッテを見習って、前向きに、いざ、飛び込もう

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バチェロレッテを全て鑑賞し終えて変わったことは、「婚活を始めよう」という気になったことだ。

これまでの私は、28歳という妙齢ながら、マッチングアプリなんて、合コンなんて、ナンパなんて、と、なんてなんてのオンパレードで言い訳しては、その現実から目を背けて来た。恥ずかしながら、婚活に躍起になっている人間をどこか見下す節もあったのかもしれない。

だが、彼らは結婚したいという夢に向かって努力をしている。目的実現のために実際の行動に移している。立派だ。勇敢だ。

バチェロレッテも参加者の男性達も、自身の醜態を全世界に晒すかもしれないという怯えの中、とんでもない覚悟を持って参加したはず。参加すべきか否か、この冒険に飛び込むべきか否か、めっっっっっちゃくちゃ悩んだはず。

だが、彼らに共通しているのは、「恋愛だって仕事だって、迷っている暇があるなら、どうせだったらやっちゃえば良いじゃん。だって、もったいなくない?」というスタンスだ。

彼らの職業を見ても分かる様に、会社員と思われる参加者はごく数名。安定よりも、自分の好きなことを仕事にしたい!という願いを実現してしまっている、自信と度胸とエネルギーや行動力、そして前向きさのある者ばかり。

物事をポジティブに捉え、他者をしなやかに受け止め、常に前進を止めない、そんなバチェロレッテから、バチェロレッテの参加者から、私は多くのことを教わった気がする。

よし、婚活を始めよう。まずはマッチングアプリの登録から。

ただ、単純な「アラサー婚活女子」だと思うとやはり淋しさが込み上げて来そうなので、「🌹バチェロレッテ・唯🌹 婚活中」と自称の肩書を付けて、婚活市場に乗り込みたい。

自信が人を美しくし、悔しさが人を逞しくする

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最後に、1周回ってもう一度、バチェロレッテ・福田萌子について綴らせて欲しい。

彼女は、最後まで1人も選ばないという暴挙に出ながらも、参加男性17人のあげまんとして役割を全うしたと思う。

彼女の、いつだって本気で世界を捉える姿勢、一つ一つの言葉を真摯に丁寧に紡ぎ出す態度、相手の長所を見出そうと真っ直ぐに人を見つめる眼差し。

それらが男性達を本気にさせ、努力させ、ぶつからせた。

完璧さが全てではなく、人間臭さや格好悪さが愛おしいものであると教えてくれた。

そして、それぞれの魅力をきちんと言語化して伝え続けることで、人を肯定することの尊さを示してくれた。

すぎちゃんを見よ。萌子さんに受け容れられる度に、ローズを受け取る度に、めきめきと自信を付けて、初回とラストとでは見違える程の成長・変化を遂げた。めちゃくちゃ格好良くなったじゃん!自信が、人を美しくするのである。

すぎちゃんだけじゃない。萌子さんと出逢い、挑戦して、ぶつかって、玉砕して、失敗して、また立ち上がったことで、彼らは一回りも二回りも大きい男になった。これから先、ずっとずっと、もっともっと、前に進むことが出来るはず。

モヤモヤを抱えながら、向き合いたいと願いながら、でも上手く生きられないながら、それでも私達は一生懸命今日を生きている。頑張る・ぶつかることにこそ、意義がある。きっと大丈夫。なんとかなる。

そう言いたかったのですよね、Amazonプライムさん。

心に刺さったすぎちゃんの言葉を最後に。

「萌子さんのことを考えると成長できる。変われる。びっくりする明日になる。今の自分がすごく好き」

萌子さんが、そう思える相手といつか巡り逢えます様に(それって一体どんな男なんだろう。気になる)。

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