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私の介護歴(義父)

義母が倒れて2年。
救急車で運ばれた大学病院から2箇所のリハビリ病院を経て、自宅へ帰ってくることが決まった頃。
当時同居していたマンションにはエレベーターがなかったので義母の帰宅前に引越ししなくてはなりません。
最初の大学病院の退院時には首も座ってなかった義母でしたが、2年の間に室内なら杖をついて歩けるところまでリハビリが進み、やっと退院の見通しがたちバリアフリーとまでは行かなかったけれど、家族5人が暮らしやすい1階の家を見つけて引越しの日、荷物を見送って空っぽになった家の電話がなったのです。

北海道に住む夫の叔母からでした。
義父母は夫の学生時代に離婚していて、その後は絶縁状態で消息もわかってなかったのですが、その義父が危篤で見つかったと…。
私も子供たちも面識がないおじいちゃんが突然浮上。
夫は兄弟がいないので、義父の見送りは自分がしなくては、最後に孫を会わせてあげられないか、そんな気持ちで引越しの荷物を無理やり新居に押し込んで、喪服だけを引っ張り出して家族で飛行機に乗りましま。

まさか、その後奇跡の生還をして、私たち家族に嵐を呼ぶ存在になるとは…
あの時病院に行かなければ良かったのか、引き取らず施設などにお願いすればよかったのか。
何度も繰り返し考えたけれど、義父の介護は私に家族とは?血縁とは?と大きな命題を与えてくれることになりました。

私たち夫婦がまだ若く、体力があって介護がこんなに長く続くものとは思ってなくて、やはり知識がなかったからの選択をしてしまった私たち家族。
義母の介護と合わせて義父の介護も始まってしまったのです。

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