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書くこと

学校は、子供に書くことを強制する。特に国語や英語など言葉や言語を扱う教科はなおさらだ。

もちろん、言葉を操ることが出来るようにするためには書く作業は必須である。だけど自分の子供時代を振り返ってみてほしい。自分自身が書くことを純粋に楽しんでいたかということを。

ここにいる方の大体は書くことが好きであると思うが、そうでない人もいる。これは私の体験談だが、グループワークで話し合いをするためにzoomというアプリのチャットを使い、それぞれの意見をそのチャットに書いてもらおうとした。すると、グループメンバーの一人がチャットに何も書かないでただ画面を見見つめている状態だった。後から話を聞くと、その方はADHDであり書くことが苦手であるということが分かった。

これ以外にも、文章を書くことが苦手…と思う人は少なくないだろう。その原因の1つには、やはり学校での書く活動に課題があるからなのではないかと私は思うのである。

例えば国語。ある説明文を読んで感想を200文字で書けと簡単に教員は言うが、子供からしたらその説明文に深く関心がない限りは感想を書くのに意外と労力を使う。ましてや書きたくもない読書感想文など、よりよいものになるわけがない。

こんなことを言うと、国語の教員を目指していながら何を言ってるのだと反論がくるかもしれないが、私は書くこと自体を強制する訳では無い。

大学が全てオンラインで授業を行うことが決まり、少々不安を感じていた。初めてのオンライン授業は、Slackというアプリを使い文字でコミュニケーションを取るようなものであった。その授業を終えて気づいたことがある。私は元々自分の意見を上手に言葉にし相手に伝えることが苦手である。つまり、話すことが苦手なのである。Slackでの授業は文字を通して相手に意見を伝えるので、いつもよりは自分が本当に伝えたいことを伝えられたという達成感を得ることができた。大袈裟に言うと、私は書くことに救われたのだ。

学校は、環境問題や登場人物の特徴、感想など子供が本当に書きたいテーマではないものを書かせようとする。もちろんそれも大切だが、まずは純粋に自分が好きなことや誰かに伝えたいことなどをあてもなく書いてみてはどうだろうか。物語を作ってみてもいい、誰かに手紙を書いてみてもいい。書くことは本来、自分が本当に書きたいことを書くことだと私は思っている。

あなたにとって、〝書くこと〟とはどんなものであるのか。これを機に考えて欲しい。

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