『今ある自分』と『在りたい自分』の関係
トムさま(トムクルーズ)は変わらない、を立証したのがトップガンマーヴェリック。もうすぐ還暦を迎えるトムさま。なぜトムさまと呼ぶかというと、トムクルーズはどんな役をしてもトムクルーズ。気高いオーラを放つ俳優。歳を取らない。そして優れた能力と体力を維持し、磨き続けるのは本人の努力の成せる技、ということでトムさまです。
”夢を追い続けることができる幸せもの”、と笑顔の大俳優に御光が射しているように見えました。
さて、この映画のオリジナル(1986年)でトムさまと同じぐらい光ったアイスマン(ヴァルキルマー)について、述べたいと思います。
トップガンの伝説的なアイスマン、ドアーズの本物を上回る迫力の演技ジムモリスン、トゥームストーンのドグホリデーは新しいイメージを強く生んだ映画だと思います。心に響く言葉と声の温度、動作や空気間は芸術作品として私は記録します。彼の細やかで優れた焦点と表現力ははっと息を飲むものでした。それを観たくて、どんなちょい役でも愚作でも追って観に行きました。セイントやバットマンフォエバーは普通のエンターテイメント映画と位置付けていますが、デュランデュランの音楽がセイントのエンディングだったり、シールやマシッブアタックなどの音楽とタッグを組むバットマンフォエバーは違った形で盛り上がっておりました。
トップガン時代の映画(1986年−)は制作費も作り込みも贅沢だったし、大きな画面空間を大勢の観客と共有し、立体感ある音響と映像を体感で意識した映画鑑賞でした。私の携帯電話なき黄金時期、溢れる世界中の映画を存分楽しんでは、帰り道友人たちとほろ酔い、語り合いました。コロナ禍前の2020年まで、頻繁に映画館に通いました。ほとんどの映画が初上映作品や、映画祭の出品作で、渾身の力で作る監督やそれらを支える映画館の集まりがありました。丁寧に作られた映画は心を打ちます。どの分野においても物作りを応援する方々と協力に感謝しています。
私の理解する演技とは、”考えたこと”を言葉に記憶させて、理解しながら身体から出すこと。そしてそれを受けた相手が発する言葉や空気、感覚、動きを”感じて”、理解しながら身体に受けること。緻密な時間と、道具の操作、これらを正確に行うのが演技です。すごく難しいです。
そして、演技とは社会性を求める、すべての世界に共通する生活の技術だと思います。会社に所属することも、家族との生活でもあります。その人の動きやルールを理解し、その習慣を意識することで、相互関係をより安心にしてゆきます。演技はシナリオに基づいて行う行為だけでなく、シナリオがない日常社会であると思います。
ヴァルキルマーの最大の利点は何もないところから何かを作れる、そして百もの異なる声と百万もの異なる表現力を生む、未知数な創造力を持っていた人だったと思います。しかし日本のスタニスラフスキーと呼ばれる演出家、鈴木忠志からの仕事の誘いを断ったり、様々な言動から、自らの表現の場を離れる原因を作ったようです。
自意識が強い人、全般ですが、他の人よりよくできる、賢いなど上手くいっている時は良いですが、そうでないときがあります。
” 今ある自分” (現在の自分)から” ありたい自分” (願望)が離れてしまうことがあります。そして” ありたい自分” の願望の攻撃が激しくなって自分を直接いじめてしまいます。攻撃を乗り越える方法は、自分ではなく目の前の人間に接する。自分自身を攻撃しないよう、他人に晒す。そして他人との関係を求めながら役を演じ生きていくのは、地道に挑戦続ける姿勢の鍵、今ある自分と在りたい自分の関係との安定性なのかとトップガンに教わりました。
写真のシルクスカーフは6月のニューズレターより、『私の心と紫陽花』です。