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短編アーカイブ「太陽と葉っぱ」

「名前を交換しよう」

明日から夏休みがはじまるという日の、帰り道。陽子ちゃんに声をかけられた。陽子ちゃんは、その名前の通り太陽のように明るい子で、クラスに光を灯す存在だと私は本気で思っている。

私は彼女と同じ「ようこ」という名前だ。けれど私の「ようこ」は葉っぱの葉子。本当の葉っぱのように、私の存在はちっぽけだ。どちらかというと、暗いと思う。そんな暗く、ちっぽけ私に太陽が降り注ぐ。そう言ったら大袈裟に聞こえると思うけれど、それくらい私と陽子ちゃんの存在は格が違う。

そんな陽子ちゃんと私が、帰り道を歩いている。太陽の陽子ちゃんは、クラスのみんなに分け隔てなく振る舞うけれど、私とは長く話したことはなかった。それはそうだ、葉っぱなんだもの。今、こうして陽子ちゃんと歩いていることが、とても不思議だ。

その上、名前を交換しよう、と言われてなんと答えればいいか私はえらく戸惑っている。え、でも、私も「ようこ」なんだけど。ようやくそう言葉を返すと、陽子ちゃんは、わかってるって、と深くうなずいた。それからニコッと笑う。本当に太陽のような子だなぁ、私はそう思う。

「夏休みのあいだ葉子ちゃんが、太陽の陽子ね」

陽子ちゃんの言っていることがよくわからなくて、私は首を傾げた。

「わたし、太陽の陽子より、葉っぱの葉子のほうが、なんかいいなぁって思うんだよね。だから、交換」

屈託なのない笑顔は、太陽そのものだ。私は太陽のほうが羨ましい。葉っぱの何がいいのか、さっぱりわからない。

「葉っぱのほうがいいの? 私は太陽のほうがいいな」

「じゃぁ、話が早いね。私が葉っぱで、葉子ちゃんは、太陽。そういうことにしよう」

「それって、何か意味があるの?」

「ないよ。あ、でも宿題に名前書くとき、ちゃんと交換した名前、書くんだよ」

陽子ちゃんはそう言うけれど、それでは陽子ちゃんがあきらかにかわいそうだ。陽子ちゃんのほうが、はるかに成績がいいのだから。 そんなことを言うと、「いいのいいの、秘密を共有してるみたいで面白いじゃん」 と、陽子ちゃんは笑った。

「陽子ちゃんて、面白いね」

「あ、今、太陽のほうで呼んだでしょ」

「わかるの?」

「わかるよ、同じだったもん、今までと」

そう言われて、私は自分が陽子で彼女が葉子であることを意識してみることにした。

「葉子ちゃんて、面白いね」

私の言葉に彼女は「そうかな、陽子ちゃんこそ、面白いよ」と返した。不思議なことに、彼女が私のことを「陽子」と呼んでいることが、わかった。それが今までに味わったことのない、穏やかな感覚を呼び覚ました。

「それじゃ、陽子ちゃん」

「うん、またね、 葉子ちゃん」

そうやって夏休みは始まり、私は「陽子」になった。

さっそく宿題に「陽子」と書いてみると、問題がすらすらと解けた気分になった。実際はわからない問題はいつまでたってもわからないのだけど、そうやって考えていること自体が楽しい感覚になっていた。

図書館に行って「陽子」の名前で本を借りると、どんな本でも教養がつくような気がしたし、 お盆に祖父母の家に行ったときは「陽子です」 と名乗って、ずいぶんと明るくなったねと言われた。サザエさんとのジャンケンには毎週勝つし、毎日のように買うガリガリ君は、三日に一回当たりを引く。って、それは関係ないか。でもそんなことさえ「陽子」だからなんじゃなかと思えてきた。

夏祭りがあると、浴衣に着替えて出掛けた。 浴衣ある? 母にそう聞いたとき、母は目を丸くした。浴衣でお祭りに行くなんて本当に小さなときだけだった。小学校にあがり、中学二年生になった今の今まで、お祭りに行くことさえなかったのだ。母は嬉しそうに着付けをし、「気をつけてね」と私を送り出した。

あまり友達のいない私は誰も誘うことなく、お祭りに向かった。葉子ちゃんが来ているかもしれない、それだけの理由だった。けれども、葉子ちゃんは来ていなくて、その代わり、密かに想いを寄せていた横倉くんを見つけた。

「え? 迫田さん?」

横倉くんは私の名字を口にして、驚いた顔をした。私は、うん、とちいさくうなずいた。

「迫田さんて、下の名前、なんて言うの?」

私は、一瞬迷ったあと、「陽子だよ」と太陽を意識して言った。

「あ、田中さんと同じなんだね」

やっぱり葉子ちゃん(本当は陽子ちゃん)は名前を知られてるんだ。私が陽子を名乗るなんて、なんだかやっぱりおこがましい。私はなぜか変な罪悪感を覚えた。そうして、「ごめんなさい」とうつむいたまま言った。

え? という横倉くんの声が聞こえた。ほんとは、ほんとはね…… 私は、くちびるを一度噛んでから顔を上げて、横倉くんを見た。

「陽子じゃなくて、葉子なんだ」

横倉くんは一度首をかしげる。 それからそれを戻して言う。

「うん、聞こえたよ」

「えっと、だから太陽の陽子じゃなくて、葉っぱの葉子なんだ。私って、葉っぱみたいにちっぽけなの。陽子ちゃんみたいに、光じゃないの」

なんとかわかるように言葉にしているとき、横倉くんは、ちいさく笑っていた。やっぱり私は人に笑われるくらいなんだと、心がざわざわと揺らいだ。そんな私に横倉くんは、 「迫田さんって、面白いなぁ」と言った。「面白くないよ」と私は胸がぎゅっとなりながら口にする。横倉くんはひとつ息を吸ってから言った。

「葉っぱが重なりあって、風に揺れるときの音とか、ひらひらと舞って落ちていくときの落ち方とか、笹舟になって流れていく様とか、そういうの、俺、好きなんだよね。だから、まったくもって葉っぱはちっぽけじゃないよ。それに、その浴衣姿もすごく似合ってるしね」

それじゃ、と言って横倉くんは行ってしまった。私は全身を真っ赤に染めながら、その場 に立ち尽くして、横倉くんの背中をずっと追っていた。立ち尽くす私の肩に、ポンと手が置かれたのは、どれくらい経ったときだったか、感覚がなくなっている。

「やぁ、陽子ちゃん」

本当は陽子ちゃんの葉子ちゃんが、ニコッと笑っている。浴衣姿の彼女は、どこからどう みたって太陽みたいにキラキラとしている。私は、「ねぇ」とつぶやく。 それからゆっくり言葉を続けた。

「陽子ちゃんは、やっぱり太陽みたいだよ。私の名前は、ちっぽけだったでしょ?」

「葉子ちゃんの名前、わたし、好き。でも横倉くんのほうが、葉子ちゃんの名前、好きそ うだね」

私はたぶん、太陽と縁日のライトに照らされて、真っ赤をとうに通り越えている気がする。

名前、もとに戻ったね。

うん、戻ったね。

どちらからともなくそう言って、私は葉子になっていた。

「ところで、宿題はできた?」

陽子ちゃんがいたずらっぽく聞いてくる。

「私にしてはできたほうだよ」

私の返事も、いたずらっぽくした。

「宿題の名前も、戻さないと」

「うーん、どうしようかなぁ」

陽子ちゃんは私の浴衣の帯に手をかけて、「よいではないか」とささやいた。「おぬしも悪よのう」そう答える。 陽子ちゃんは、何も悪くないというのに。

「あっ」

ふざけあう途中でも、私の視界にはそれが映りこんだ。 ひらひらと近くの木の枝から、葉っぱが落ちる。

横倉くんの好きな落ち方かなって、考えると、葉子という名前が愛しく思えた。


(2012)

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