毎日超短話75「あちらのお客様からです」
私は「BER-たくさんの想い出-」に立ち寄った。目的はマスターに会うためである。
ここのマスター、「あちらのお客様からです」界のカリスマと言われていて、毎日のように「あちらのお客様からです」をやっているのだという。
私もまた小さなバーのマスターをやっているだが、恥ずかしながらまだ一度も「あちらのお客様からです」をやったことがない。いったいどんな奥義があるのか知りたい。そう思って今、店に入った。
いらっしゃいませ、こちらへどうぞとカウンターに通される。そして、座るなりマスターは伝家の宝刀を出してきた。
「あちらのお客様からです」
いきなりか! と思いつつ、「あちら」のほうへ目をやると、そこには亡くなった私の愛犬がいた。私は目を点にし、マスターのほうを向く。マスターは冷静に「たくさんの想い出」でございます、とカクテルの名前を告げた。
それを口にすると、愛犬との想い出がよみがえり、涙があふれた。
「あちら」にはもう愛犬はいない。
「お代はあちらのお客様から頂いております」
すべてが完璧だった。
私はバーを閉め、この店の常連になろうと決めた(決してタダでお酒を飲みたいわけではない)。