見出し画像

卒業note002_執着記事の補足

noteでは、書こうと思ってから
何を書くか考えることが、たまにあります。
今回は書きながら考えます。


さて、どなたか宣伝してくれているのか、
新しく相談したいと言ってくれる人がいて嬉しいです。
どんな謎を抱えているのか、お話を聴くのが楽しみです。
まだまだ、相談募集中です!



前回”卒業note”として「執着からの卒業」という話を書きました。
その中で、「現状に執着するな」と書いた部分について補足した方がいいかなと思ったので、書いてみます。


過去から現在までの自分を捨てる


なかなか捨てられないというか、本当に捨てるわけじゃないですからね。
切り分けて考えるということ。
自分がしてきたことや努力したこと(=過去)を重視する考え方を止めた方がいいということ。

いわゆる過去の栄光にすがるなよということです。

誰一人として過去に向かって生きている人は居ない。
全員が未来に向かって進んでいるよね。
でも、いますよね、後ろ向きに歩いている人。

他人の武勇伝ほどつまらないものはないです。
オリラジの武勇伝は、あの皮肉がオモシロイ訳で、ガチの普通のおっさんの武勇伝はメッセージによっては本当に時間の無駄です。
武勇伝では、その過去の経験から何を今後に活かすのか教訓として教えてくれているのか?が重要だということ。


武勇伝を教訓として話をするには、
客観性(メタ認知、高次元的認知)が必要となってきます。
つまらない武勇伝は過去の人そのもので、現在のその人と過去のその人の分離が出来ていません
過去の自分を違う人だと認識していないと、教訓としては語れません。


客観性を持たせる”お笑い力”


客観性、メタ認知を得るためのコツは、
自分の武勇伝をオチのあるエピソードトークに変換することです。

あったことをそのまま話す素人武勇伝や自慢話は、
時間の無駄と表現したように、
聴くメリットがないような話になっている。
少なくとも、オチや教訓があるものであってほしい。

オチや教訓は、必ず経験をメタ認知している。

自分の経験を「おもしろいなぁ」と捉える事自体がメタ認知高い行為です。
日常の事象、他人の狙っていない奇妙な行動だったり、
非日常的な事象を、日常という無意識に進む時間の中で切り取る行為は結構難しい。

あったことをそのまま話しても、正直面白くはない。
そこに面白さを加えるには、自分の心情と現実のギャップを意図的に作り出し、現実を主観的/客観的に分離させ、聞き手の予想を裏切っていくと興味深い話になる。一般常識を理解している人ほど、噺家の話は面白く感じるだろう。

実際にあったこと(実は”ありそうなこと”でいいのだが)を
メタ認知によって現実と心情と空想を用いて立体的に組み立て、
聞き手の常識的予測を上回った展開を構築することで笑いや感動が発生する。

喜怒哀楽って全部そうだろ?
サプライズ(期待していないなか、良いことがある)で喜ぶ
期待通りに物事が進まなくて怒る
物事、これまで”あったもの”を失うことで(悲しさ)だし
いろんな苦しみから逃れてってことだろ

感情を動かすには、相手のどんなギャップをつくかによるということだ。

話がお笑いや感動のメカニズムの話になってしまったので話を戻そう。


過去と現在を切り離すためには


過去、現在、未来という推測できるものから、
聞き手のその推測を如何に裏切るかが重要だ。

つまり、オチが予想できてしまう話は面白くないだろ?

その中でも、現在を如何に客観的に切り取れるか、特に過去との関連を切り離して現在というものを客観視できるかだ。

過去と現在が分離できていないと、
その間にある、過去から現在までのエピソードを客観的に表現することが出来ない。
面白くない武勇伝は、過去のことを現在のように話すのではないだろうか。
最近つまらない武勇伝を聴いていないもので、サンプルが少なくて申し訳ない。おそらくそうなんじゃないかという話だ。

その方法は”現在という自分自身”を因数分解することだろう。
今と未来以外はずーっと過去だ。
ずーっとある”過去”の”何か”を分析することは難しい。
だが、今は一瞬だ。常に今を認識し、更新していけばよい。

今現在は状態(事実)と過去から紐づく感情を切り分けるためには客観性を持たなければならない。
しかし、他者にはその人の過去から紐づく感情はわからないから。
如何に、今現在、他人から見えている自分自身を感じられるかが客観性だ。

もちろん、”あなたの想像する客観的”ということは、主観的客観という意味不明なものになるが、「相手の立場に立って考えろ」みたいな指摘も同様だろう。
相手は私自身じゃないので、あくまで想像になる。その想像は主観的だ。

私がその立場だったら嫌じゃないことだってあるよな。

過去に、僕は言ったことがあると思う。記憶は定かではないが、
「相手の立場に立って考えろ」って言われて、
「俺がその相手の立場だったら?別に嫌じゃない」って答えて、
キレられたことは無いとは言えない。

だから、「相手の立場に立って考えろ」という言葉には、
自我の分離がないとよいアドバイスにはならない。

”相手の立場”とはいろいろな人がいるから、お前がその立場に立った場合だけじゃなく、いろんな人が立ったと想定して、彼らの感情や行動を予測して、彼らが不快にならないよう自分の立ち振る舞いを考えろ」が正しいのではないかと思う。


まとめ

執着から卒業するためには、

自身の取り巻く環境を主観と客観の両側面から観察し、
過去・現在・未来の時間軸の考慮を加えて
物事の立体的(高次元的)な理解が必要であろうということだ。

…わかりにくいかな?


最後に


ドラマを高次元のメタ認知で見ると面白いですが、お笑いは素直に一般常識人として愉しむものだよ。(メタに高次元の意味が有るので言葉が重複していますね。)
あとから考察する時にメタ認知でするとより楽しいけどね。同じ噺家で、変えている部分があったとか、当時の時代背景と今現在を上手く考慮されていて、今回の「〇〇の話」は面白かったなぁ…とかね。基本噺家は、客が聴いたことある前提で話している。もちろん、初めて聞く人にも面白いように話す。前回との違いや、他の噺家との違いで客を裏切っていくんだ。
だから、同じ内容の話でも毎回面白く聴けるんだよ。

卒業001では、テーマが執着ということで諸法無我の話を入れるか迷っていた。入れると、これだけの補足が必要だったので、今は居れなくてよかったと思っています。

noteは書こうと思ってから
何を書くか考えることが、たまにあります。

冒頭にも書いたように、こんな話になるとは思ってもいなくて、まさかお笑いの話や感情のメカニズムの話をするとは思っていなかったです。

こうやって、序盤に自然と使われている言葉、客観的に”既に忘れていそうなこと”を、後に思い出させ感情を揺さぶることを「伏線回収」と言いますが、なんとも解説すると本当につまらないですね。


…オチになってんのか?
しーらない!😁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?