キャパキャパしようぜ!
久々にビジネスの話です。
日曜日、ワイドナショーだったかな、プールの水出しっぱなしのニュースが報じられた。
多分、このニュースだろう。
話題は、「市が教師と校長に約95万円の損害賠償を求める事態」という部分に賛否が分かれているということだった。
他人の中に原因を探す奴(他責)は三流
自分の中に原因を探す奴(自責)は二流
これは僕が考えた言葉なんですが、他の人も使っているかもしれません。
人のせいにするな!の人には自分も他人も含むと思う。
人を疑わない!となると「性善説」を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、正しい理解や活用が出来ているでしょうか。
性善説と性悪説
よく使われる言葉だが、結論としてはどちらも教育の重要性を説いている。
孟子と荀子ですが、彼らがなんと思って説を唱えようが、
大事なのは現代社会の役に立っているかどうかです。
彼等が説いた"説"の本質にはあまり興味はありません。
"性善説"と"性悪説"が持つ言葉の強さには興味があり、活用できると思っています。
僕が考える性善説と性悪説
性善説
「人はその人の善意による行動をする(が、結果的に他人にとっては悪事になりえる)」
基本的に人は善だから、疑うのを辞めよう!?
悪人だって本当はいい奴だから手を差し伸べよう?
さすがに、簡易的にとらえ過ぎじゃないかな。
心理的安全性の背景にあるのが性善説だ。
心理的安全性の文脈にある通り、
ネガティブにとらえたり、相手を疑うことをせず、
その肯定的意図に耳を傾け、勘違いを払拭し、
物事をチームで進めていくこと。
つまり、初めから悪事を働こうと思ってやったのではなく、
その人にとっては良かれと思ってやったこと(肯定的意図)が、
他人にとっては悪事になってしまうことがある。
だから性善説に基づき、人を疑うことを辞め、
会話・対話により、その人の肯定的意図を汲み取り、
より良い行動は何だったのかを検討し、
生産性の高いチーム運営を進めていくために必要な考え方だ。
チームメンバーに対し、性善説で接するマネジメントを心がけることで心理的安全性は高まり、チームの生産性が高まるだろう。
性悪説
「人はどんなに一生懸命やっていても、どうしたってミスすることはある」
悪い心を教育によって抑え込んでいるけれど、どうやったって悪事が減らないんだから、根本的に悪い心を持っているとしか思えないよね。荀子
当時の人の暮らしぶりを知らないから、
悪事ってのはどんなもので、
誰でもする可能性があるものなのかはわからない。
まぁ、それはそうとして、
あんまりそれって役に立たないよね。
悪ってのが、”とんでもないこと”の印象が強い。
犯罪とか、意地悪とか、そういうものをイメージしてしまうけど、仕事上そんなに悪事は出てこないので、役には立たないし、疑うばかりでは心理的安全性が下がるだろう。
活用するならば、「悪」というのを「ミス」に置き換えてみるとよいだろう。
「どうやったって人はミスをする」と性悪説として考えると、
人のせいにしたって意味がないし、解決にはならないでしょ?
じゃあどうするか、仕組みでカバーするしかないよね!
つまり、このプールの水の件は、
性悪説的に、教員に罪を擦り付けても構わないけど、
一向にプールの水出しっぱなし事件は無くならない。
そう、その教員が悪いわけではない。
たまたまその人だっただけで、全員がそのミスを犯す可能性が高い。
責任の取り方がどうのこうのと議論している暇はない。
これは、毎年、全国で起こっている事じゃないか。。。
こんなことをいつまでやっているのか、日本は平和だなぁ。
CAPAを回す
CAPA(Corrective Action; Preventive Action)
音にするなら"キャパ"です。
メーカーの設計部門(開発、製造あたり)に居れば当然知っている言葉で、
日本語では、「是正処置、予防処置」です。
当たり前のことだけど、
本当にそれがアタリマエだとするならば、
なぜ、毎年プールの水出しっぱなし事件は起こるのか?
答えられる人はいますか?
アタリマエの事なので、
どんな事例でも当たり前のはずですね。
CAPA:プールの水はなぜ止め忘れるか
なぜ人はミスをするのか
性善説的に考えて、
今回水を止め忘れた教員が、"わざと"やったかというと、
そんなくだらない悪戯で95万円も、子供に勉強を教える教員がするというのであれば、それはそれで結構。毎年起こるとするのであれば、よほどストレスが溜まる職場なんだという、くだらない話。
性悪説的に考えて、
どうしたってミスするんだから、人のせいにしたって他の人がミスすることを止めることはできない。実際にミスを犯した教員が猛烈に反省したとしても、他の人のミスを防ぐことは無く、何の意味もない。ましてや、異動のある職なので、その人が居なくなって事件が風化されるとまた発生する事例であろう。
ミスはするものだから仕方がない、ではなく
どうやったらミスを防ぐことが出来るのかを考える必要がある。
是正処置、予防措置
ミスはルール、もしくはシステムによって防ぐ。
是正案:プールの水の出し入れについては、必ず2名以上で管理を行う。
予防案:水管理システムを導入する。
(かなり適当ですので本当はもっと真剣に考えてくださいね)
管理とは何か。
CAPAもQMS(品質マネジメントシステム)の中の話だ。
言い換えるとプールの水のマネジメントを行うことになる。
別に大袈裟な話でも何でもない。
ただ、細かい管理についてはココでは説明しないが、
どうやったら”うっかりミス”を減らす、気づく確率を高めるかということに頭を使うべきだ。
システムを導入してもいい。
排水として流れ出る水の量を計測し、一定量超えた場合、教員全員に連絡がいくような仕組みを作ればいい。
毎年、全国的に95万円の損失をしているのであれば、教育委員会などがお金を集めて、簡単なシステムを構築すればいいだろう。毎年10か所で起こるとしたら、1000万/年で、これまで毎年、何年も起こっていたとすると、軽く億を超える。まぁ、こんな簡単なシステムの開発なんて、一回こっきりで、メーカーはこんなシステム作ったとて儲からないけど、特注する価値はある。
上のリンクには、教育訓練は是正処置ではないと書いてあるように、
人の異動もあったり、風化してしまうこともある。とはいえ、意味がないわけではないので、教訓として、教育者として、しっかりとしてもらいたいものですな。
そもそも学校にプールは必要なのか?
そもそも、学校にプールは必要なのか?
学校の先生が管理する必要があるのか?
という前提を問い直す、ダブルループの発想も大事だ。
学校教育に水泳が導入されたのは、
過去の事件がもとになっている。詳しくは知らないが、泳げない人が多く水難事故の被害が増えたことが原因と考えられた結果だそうだ。
教育の必要性はあるが、学校教育で素人教員が教える意味はあるだろうか?
部活も民間に移管するように、
水泳も民間や公共に移管・委託することだってできるはずだ。
そもそも、休み時間に大急ぎで着替えてって、
休み時間になってないし。
塗れた髪の毛のまま、その後の授業を過ごしたり、
塗れた水着やタオルも、湿度を上げる原因になる。不快だ。
授業時間の数分で、おぼれないような技術を教えられるわけでもない、
実際に水難事故にあう、つまり洋服を着たまま水に落ちた時の”全然違う感”を経験するわけでもない。
水泳出来るヤツがドヤ顔する時間でもないだろう。
全身運動により、そのあとの授業への影響を考えても
あまり効果的な授業であるとは考えにくい。
いったい何の得があって、授業としての水泳があるのだろうか?
もちろん、水泳部や夏休みにプールを開放し水泳に向き合うことは否定しない。
人にものを教える職の人が、あまりにも何も考えていないというのはいかがなものか。
余談
まぁ、スプラトゥーンの話にもなるんですが、
他人の中に原因を探す奴(他責)は三流
自分の中に原因を探す奴(自責)は二流
じゃあ、一流はどうすんの?
結構明言することは難しくてやめたんですよ。
ただ、振り返りとして、どうしようもないことを責めても意味がない。
自責だとしても、改善できそうなこと。
技術課題と適応課題というものがある。
訓練すれば出来る事とマインドを変えなきゃいけない事だ。
技術課題は、すぐにやればいい。
適応課題は、すぐにはどうしようもないので、現状ではチーム・仲間のフォローを受けるのが良いだろう。
謝っても改善しないコトは、僕はあまり考えない。
この状況で何か出来ることは無いかと考えています。
何をしてほしい、何をしてあげたらいい、
それについて考えないと環境はよくならない、変わらない。
だから、
「もっと貫いて!」とか、「助けてよ!」でいい。
とにかく情報が必要だ。
俺は出来る事はなるべくやる。
求められていることがあれば、もっと出来る。
いつも、キツイ言い方ばかりで申し訳ないとは、ちょっとは思っている。
ちょっとだよ😁
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