子どもたちに「気をつけ」をさせない理由

「気をつけ」「礼」

僕は子どもの頃からこの動きが苦手だった。

身体は緊張して、みんなと同じタイミングで同じ動きをしないといけない。

「正しい姿勢をしましょう」

と先生が言っていたのをよく覚えている。

そんな子ども時代から大人になった僕は、子どもたちに走り方を教える教室をひらいた。



「正しい姿勢への違和感」

子どもたちを目の前にして、当然のように気をつけ、礼で教室を始めるようになったとき、子ども時代に感じていた違和感がようやく理解できた。

走り方がぎこちなくなる子どもたちがとても多かったのだ。

肩に力が入った走り方になる。
というと少し想像していただけるだろうか?

先生に教わった「正しい姿勢」とはなんだったんだろうか。

「正しい」とはなにか。

そう考えるようになった。


「正しい」という虚構

そこから、スクールではいろんな始まり方を試して今のカタチに落ち着いている。

①両足の親指小指の付け根、カカトをつけましょう

②頭が上から引っ張られてるイメージをします。

③腕はだらん、とリラックスしましょう。

では始めます。

という始まり方からアップをして走ってもらうようにしている。

以前の「正しい姿勢をしましょう」と言っていた時より、ずいぶんと伸びやかに走る子が増えたような気がする。

そしてタイムの伸び率も向上した。

「正しい姿勢」もそうだけど

僕たちは「正しい走り方」という言葉も使わないようにしている。

それは「僕」が正しいと思っている走り方であり、子どもたちは腕の長さも足の長さも身長が小さな分、タイミングさえ全く変わってくる。

バウンディングのような動きを大人がお手本を見せて、子どもに同じようにやってみて。

というとバウンディングではなくスキップになってしまう子がいる。

大人と同じタイミングでやるとスキップになってしまうのだ。

だからといって走り方を教えないというわけではない。

「腕はたてにふったほうが速くなる」

「身体が先に進めば足がついてくる」

「一歩一歩を大きく前に進む」

「足が地面についている時間を短くする」

など、この地球上でどうやったら速くなるかという知恵を教えている。

質量保存の法則を知っているだろうか?

この地球のエネルギーの量は昔から変わっていない。

昔は火を起こして、明かりを灯していた。

今は電気をつかって明かりを灯している。

昔と今で違うのはエネルギーの量ではなく知恵が増えたのである。

動きもこれに近いものがある。

動かし方という知恵を教えることでうまく進むことができれば足は速くなるのだ。

だからこそ、「エゴ」に近い正しさより、「知恵」を教えられるように邁進したい。


そして正解は子どもたち自身の中にあったらいい。

それが「自信」につながると信じている。

これまでの話が勘違いだろう。と言われればそうかもしれないが、僕はこういう細かいところ、無意識に行っていることで動きがつくられることを実感している。

だからこそ、「意味のない」と言われそうなことでもこだわりたいのだ。


「子どもたちの成長のために」

拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。

今後も1週間に一度、コラムを書こうとおもっています。

また読みにきていただければ幸いです。

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