父となって観た映画『とんび』について。
2020年10月5日。
私は父となった。
当時は新型コロナウィルス感染症の拡大により、
緊急事態宣言下中であった為に、
妻以外の産院への立ち入りが全面的に禁止されていた。
朝10時。妻が破水した。
予定日よりも3日早かった。
そのまま緊急入院となった。
16時。妻からLINE電話のキャッチが入った。
妻「うー、うー、痛いよー….」
と、叫んでいる。
私「...頑張れ、頑張れ」
と、言う事しか出来ない。
iPhoneを見つめながら。
肩を摩ったり、手を握ってあげることも出来ないもどかしさがあった。
自然と自分の身体も震えていた。
このやり取りが約40分間続き、
「おぎゃーおぎゃー」と産声が。
母子共に健康との事で、
嬉しさ以上に安堵感が大きかった。
改めて、妻への感謝と敬意を忘れず、息子を幸せにしていく決意をするきっかけとなる大切な1日となった。
そんな敬意もありこのnoteでは、
私が1人の息子を持つ父親という立場と言うで鑑賞した 映画『とんび』の感想を綴る。
FQ JAPAN編集部に映画「とんび」試写会の案内が届いた。
私は、原作小説もドラマ版も触れていなかったので、
ストーリーも初めて知る状態で鑑賞した。
昭和37年は、戦後復興を果たした時代である。
物語はアキラ(北村匠海)の視点で、父ヤス(阿部寛)とアキラの人生について語られていく展開である。
今の私の両親がアキラと同世代であり、
いわゆる男視点での朝ドラ的な展開である。
また、朝ドラ好きの私にとっては感情移入がとてもしやすい構成となっていた。
その中でも、私が特に感情を揺さぶられたシーンが2つある。
1つ目は、ヤスが、産院で「出産」の立ち合いをせずに(当時は部屋に入らなかったのかも知らないが)、部屋の外の廊下にある椅子の上で座っているシーンだ。あの大きな阿部寛演じるヤスの身体がとても小さく、震えながら体育座りをしている一瞬の演技に、自身の出産立会い体験がフラッシュバックし、私の涙腺が崩壊した。
母が子供を産むという神秘的な体験と引き換えに、父(生物学上ではオス)の無力さを痛感する瞬間を見せつけられ、その後に最愛の妻が亡くなり、男手一つで息子と向き合っていく困難さへの伏線が張られたとても大事なシーンだった。
2つ目は、夜の海でアキラに母の代わりに愛してくれる人が大勢いることを伝えるシーンだ。
このシーンはヤスが妻の死を受け入れる決意をした物語の中でも大きなターニングポイントとなったシーンである。
私自身は、両親が当たり前にいる環境で幼少期を過ごした。
この当たり前が当たり前ではない環境で育った子供達の事を思うと胸が痛くなった。
しかし、周りの大人達が自分の子の様に愛してくれる事がどれだけ救われるのかを改めて感じる事ができた。
FQ JAPANでの取材や最近のニュースを通じて、
子供の人生を守るためにも、まずは親である、お母さん、お父さんを支える事が欠かせない事を実感する。
ヤスとアキラの様に、
身近な人や近所の人と少し声をかけあうだけでも、何か変わるかもしれない。
誰もが頼りあい、手を差し伸べあえるような、温かい社会を作ることが、母親、父親、そして、子供にとっての幸せに繋がる近道かもしれない。
FQ JAPANでも実態が見え難いと言われるシングルファーザー(父子家庭)への支援について特集していきたいと思う。
そんな事を考えさせるきっかけとなる作品でもあった。
以上
最後までお読み頂きありがとうございました。
【参考文献】