見出し画像

\マンスリーサポーター100名突破記念No3/ どうして不登校支援をするようになったのか

いつも読みにきてくださり、ありがとうございます!
代表の土橋です。

マンスリーサポーター100名突破記念と題して始まったこの連載企画ですが、今回で3本目になります。

過去回をご覧になっていない方はぜひこちらから

▼第1弾
僕の取組みの原点は東日本大震災にある。僕は当時、悔し涙を流すことしかできなかった。

▼第2弾
親の「〇〇」という言葉が、私の挑戦を支えている

さて、前回は休学騒動中の親とのやり取りのことについて触れました。今回は「どうして不登校支援をするようになったのか」について綴ります。

ーーーーーーー

「将来ジャーナリストになりたい!」
「学生が社会とつながる場をつくりたい!」

そんな思いを持って大学休学がスタートした私ですが、休学後すぐの4月に行ったのが学生団体設立になります。これが後に「NPO法人キーデザイン」となります。

当時は数名の大学生の仲間と一緒に、社会と学生をつなぐをテーマに活動していました。
栃木県内の社会人の取材をし冊子制作をしたり、大学生向けの月1イベントを実施し、大人をゲストに「働くって?」というテーマで話をする場を設けたり。

当時制作した冊子です。人生初のクラファンがこの時でした。

活動の収入は全くといっていいほどありませんでしたが、多くの仲間、地域の大人のみなさんに支えられて少しずつ活動の幅をひろげていました。

そんな活動を進めて行く中で、変化が少しずつ起きていました。
だんだんと相談を受けることが増えていったのです。

活動を通して関わる、一見すると活発な大学生や高校生から、「死にたい」「消えたい」の声が届くように。
LINE、Twitter、FaceBook、電話、対面、さまざまな方法を使って毎日相談に乗るようになりました。

自身のLGBTQのこと、親がDV、ネグレクトをしていたこと、小学生の頃に壮絶ないじめを受けていたこと、性被害を受けたことがあること、人を信用できないこと、自分には価値がないと思っていること、自分の人生は20歳までと決めていること

「死にたい」の言葉の裏には、本当にたくさんの理由や思いがありました。
どれをとっても、本人由来ではない生きづらさの数々。

普段は元気に活動していても、相談のときになると、静かに涙を流しながら話をしてくれる人
話は壮絶なのに、ずっと顔は無表情。まるで心をのせて話をすると、心が壊れてしまうからそれを避けているような、そんな人も

僕は一緒になって泣いていました。
目の前のその人よりも早く涙が出てくることもありました。

今振り返ると、”支援者”としては未熟も未熟だったなと思いますが、当時は話をじっくり聴くこと、気持ちに寄り添うこと、そのくらいしかできることはありませんでした。

年間300件以上のそうした相談に乗るようになった私。

大学入学当初感じた違和感
「なんでこんなにみんな『とりあえず』で生きているんだろう」

そんな気持ちはもう薄れ、その時には

「なんでこんなに生きづらい社会なんだろう。何も彼らは悪いことをしていないのに。」

そんな気持ちに変化していました。

そんなことから月1のイベントも形を変え「JOB会(働くを考える会)」が「生きづらさと対話するカフェ(対話カフェ)」と名前が変わっていました。

その当時出会ったのが、当時中学生で不登校中のコナツさんです。

彼女との出会いがなかったら、今のフリースクールもLINE相談も不登校ポータルサイトも、全てありません。これを読んでくださっているみなさんとの出会いもなかったでしょう。

当時「不登校」についての知識が一切なかった自分。
ただ、大勢の学生から相談を受ける中で、「不登校」という言葉1つでその人を表すことができない、というのは直感としてありました。

彼女の出会いから感じたことがあります。

1つは、「不登校」という言葉の背景にある世界の複雑さ。
不登校になる背景、そこに関わる人間関係や、苦悩や葛藤が荒れ狂う感情の波の形。どうやってそこから回復し、今そこに何を感じているのか、そして未来に何を描いているのか。

他にも何人かに話を聞きましたが、全員それが異なります。今思えば、異なるのは当たり前です。
「学校に行っている人ってこうだよね」って言われることはないのに、世間では「不登校の子ってこうだよね」はよく聞こえてくるし、なぜか「うんうん」となる。これっておかしいですよね。

もう1つは、「不登校」という経験によって得られるものがある、ということ。
得手不得手、なんていうシンプルな言葉では言い表すことができないのですが、自分が何が得意で、何が好きで、どんなことが苦手で、こんな雰囲気の場所が落ち着くなとか、どんな人と関わっていきたいかとか、どんな生き方をしたいかとか、そんなことと出会うのだなと。

不登校になると子どもたちの多くは「自分は普通じゃないのかもしれない」「普通になりたい」そんなふうに思います。同時に日々悩む中で「普通ってなんだろう」という難しい問いと向き合うようになるのです。

大人だって答えを持ち合わせていない、永遠の問いです。
それに小中高校生の時期に向き合うんです。それも言葉通り死に物狂いで。
もちろんその当時はとてつもなく苦しいのですが、結果そこで得た価値観や気付き、というのは人生の大きな影響を与える、大切なものなのだなと彼女の話を聞いて感じました。

彼女に出会ったおかげで、不登校支援の世界に私は足を踏み入れることになりました。

私が今こうして保護者のみなさんのご相談に対して、自信を持って回答することができているのは彼女の存在があったからです。
彼女が教えてくれました。
「不登校を経験していても、こんなに幸せに生きられる」
「不登校を経験したからこそ、こんなにあたたかな人に囲まれている」と。

不登校支援に取り組むようになったきっかけには、こんな出会いがありました。
こなつさんは今はスタッフとして、働いてもらっています。仲間であり、僕にとっても、世の中の不登校で孤立する親子にとっても「希望」でもある自慢の人です。

1年くらい前にこなつさんと撮った写真。フリースクール終わりにパシャリ

以上です。
今回は、私が不登校支援に取り組むきっかけとなった出会いについて書かせていただきました。次回は「実際に取り組んでいる内容とその思い」を綴ろうと思います。

また次回もお楽しみに〜!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

\マンスリーサポーター募集キャンペーン実施中/

サポーター募集チラシ

「過去にクラファンで1度寄付をしていたけど、改めて支援したい!」
「初めて読んだけど、応援したくなった。応援します!」
「改めて想いを知って、もっと応援したいと思った。マンスリー寄付増額します!」

そんな方はぜひ下記よりお手続きをお願いいたします。
もっと詳細に活動を知りたい方は下の資料をご覧ください。利用者の推移や声などを掲載しています。

最近の活動紹介です!

いいなと思ったら応援しよう!