私はたまたま不登校にならなかった。「よくがんばったね」と子ども達に伝え続けたい。
不登校の子どもだけでなく、家族を包み込むような支援をしたい
みなさん、こんにちは。
NPO法人キーデザイン代表の土橋と申します。キーデザインは、栃木県宇都宮市を中心に、不登校の子どもやそのご家族のサポートに取り組んでいます。
主な事業は3つ。
①フリースクール
不登校の小中学生を対象とした居場所型支援です。2024年3月現在、30名の生徒が登録し、週5日(2拠点あわせて)のオープン日に自由に出席し、大学生やスタッフと一緒に楽しい時間を過ごす中で、集団生活やコミュニケーションの取り方を学びます。
②ホームスクール
不登校の小中高校生を対象とした訪問型支援です。2023年3月現在、4名の生徒が利用し、定期的に家庭に訪問する中で、一緒に勉強したり、雑談したり、アニメを見たり、イラストを描いたり、時には学校見学に同行したり。家族以外との関係性の薄い子ども達が、スタッフと信頼関係をつくる機会です。
③お母さんのほけんしつ
お子さんの不登校に悩む保護者向けの無料LINE相談窓口です。LINEでのチャットの相談対応から、電話相談、近隣であれば対面での支援まで対応しています。2024年4月現在、登録は3,800名を越え、全国にお住まいのお母さんお父さんより相談を受けています。栃木県内はそのうち3割ほどを占め、県内であればフリースクールやホームスクールへつなぐこともあり、県外であれば、地域の子どもの居場所や行政支援へつなぐこともあります。
お父さん向けの相談窓口もありますし、2023年2月には「受け持つ不登校の児童生徒に悩む教員」向けの先生のほけんしつも始めました。
”なんとなく”生きる若者のその背景には
私たちは2016年11月に法人化しています。当初は今とは、正反対にも思える取組みを行っていました。大学生高校生を対象に、夢・目標を持ってもらいたいと、社会人とつながり将来や仕事について深く対話し考える機会を設ける活動をしていたんです。
大学進学で田舎の青森から栃木に引っ越してきた私は、将来について語り合える仲間と出会えると期待し、入学しました。ただ実際はそんなことはなく、「将来は?」と問うと「とりあえず公務員」、「大学はどうして来たの?」と問うと「周りが行くって言うし、なんとなく」と。そんなことから、大学生に夢・目標を持ってもらいたいとそんな活動を始めました。
学生と一緒に経営者の方に取材に行ったこともあります。大学に公務員の方を呼んで、学生参加者を募り対話型のイベントをしたこともあります。当初はそれなりに参加者も集まり、周りに応援していただきながら活動していました。ですが、そうした取組みをする中で、段々と学生から相談を受けるようになったんです。
そんな声を数多く聴くようになりました。直接会っても、目を合わせず下を向く相手から話を聴くこともあれば、SNSで見知らぬ方から長文のメッセージをもらうこともありました。
私はいつも感じていました。
相談者と一緒に涙することもあれば、相談者より先に涙が出てしまうこともありました。悩むことが当たり前になってしまうと、自分の心を守るために人は「悲しい」という感情を心の奥に閉じ込めてしまうことがあるように感じています。そうした方は感情を乗せずに過去・今の辛い話を淡々と話されます。心は泣いているのに、それが表情に出てこない、それを感じて私はよく涙していました。
あの頃は、毎日毎日泣いていました。
この社会の閉塞感、身勝手さ、理不尽さ、そのすべてに絶望していたと思います。嘆いていたと思います。
そのうち追い打ちをかけるように、身近な大切な人たちからも「死にたい」「消えたい」と言葉を聴くようになり、笑顔でいてほしいと思っていた人たちがどんどん表情を失っていくのを、ただ眺めることしかできない自分に苛立ちと悔しさを感じていました。
ある時ふと気付いたんです。
「夢・目標を描けないのは、彼ら個人の問題ではない。この社会の理不尽さや寛容性のなさが一人ひとりの生きづらさにつながり、個人から”生きる希望”すら奪ってしまっているんだ」
そんな気付きがあってから段々と取組み内容をシフトしていき、夢目標を描くことではなく、生きづらさを解消するための内容になっていきました。SNSや対面での相談支援、対話カフェという複数人が集う場でのピアカウンセリング活動などです。「不登校」という言葉とは、この頃に出会いました。
”生きづらさ”を感じた時に逃げられる社会にする
一緒に活動をしていた大学生がある時、打ち明けてくれたんです。
ついこの間の出来事だったかのように、事細かにその当時の状況や気持ちを話してくれました。こんなにも素直で、やさしい心を持った人が、こんなにも複雑な過去を抱えていたのか。そして「不登校」というのは、ここまで人を追い詰めるものなのか、と。
その出会いからそう時間も経たずに、ある親子と出会いました。子どもが7年近く不登校を経験した親子。当時の体験談を聞くまでは、何ら他と変わりのない親子。いえ、むしろ仲睦まじく、楽し気な雰囲気が印象的な親子でした。
そんな人々との出会いを通して、私は自然に「不登校」に対してアンテナを張り、ネットや書物をあさったり、経験者から話を聞いたりと情報収集していきました。その結果生まれたのが、2019年6月にオープンしたフリースクール”ミズタマリ”です。
名前の由来は
生きていれば辛いこととは必ず出会います。
だからその時に、頼れる人や居場所があったこと、「あ、ちょっと連絡してみよう」と思える誰かがいることが大事だと思い、このような名前にしました。
今の日本社会において、学校は「行かなければいけない場所」という空気がとてつもなく強いです。実は国では「普通教育機会確保法」という「学校以外の学びの場も整えていきましょう」という法律が2017年に施行されているのですが、まだまだ市民にも教育現場にも浸透していません。
様々な事情で学校に行けない子ども達は「誰も私を受け入れてくれない」「どうせ自分なんて」と、ひとり孤独を抱えています。そしてそれは子どもだけでなく親も同じ。親御さん向けの相談窓口には「実は心中を考えたこともありました」「何度も子どもに手をあげてしまいました」「子どもに暴力をふるわれていますがどうしていいかわかりません」そんな声をいただきます。
「学校に行かない」。その事実だけで、これほどまでに子どもを、家族を追い詰めてしまうのです。時々「学校には必ずしも行かなくていい」という話をすると「あなたはそんなことを言って、その子の将来の責任を取れるのですか?」と聞かれます。そんな方に逆に聞いてみたいことがあります。
もし子どもがそれで自死を選んだら、あなたはまだ同じことを言えますか?
もしそれがあなたの子どもだったら、同じことを言えますか?
私たち大人には、「学び場」を学校以外にもつくっていく責任がある
現在、全国の不登校の小中学生は29万人を越え、年々増加しています。少子化と言われるこの時代に、実は子どもの自殺率は高まっています。自殺したその本当の理由は本人でないと分かりません。でもこれまでの話からみなさんも想像できると思います。確実に「学校一択」のこの社会の雰囲気が子ども達を追い詰めてしまっています。
学校はたしかに、集団生活を学ぶことができ、学習環境もあり、多様な機会が用意されている便利な場です。でもそれを担えるのは学校だけなのでしょうか。学校以外に、学ぶことができ、人とつながることができる、そんな場所があれば、学校が辛い子どもはそこに行くことで十分に学び、成長していけるのではないでしょうか。
私たちは、選択肢を用意しています。何も学校を否定するつもりはありません。でも、生まれた場所によって通う学校が決まり、大人の判断でクラスが決まり、そこに通う以外子ども達に選択肢がないのが現状です。私たちは、学校と同じく、学び、遊び、つながりを創出できるフリースクールを作ることで、子ども達一人ひとりが自分に合った環境を選べる社会をつくっていきたいと思っています。
私も不登校予備軍だった
こうした取組みをしていく中で、思い出したことがあります。私が小学4、5年生の頃の話です。これまですっかり忘れていたことが信じられないくらい、当時の私には辛かった出来事です。
私のいた小学校は4年生から部活動に入ることが必須でした。当時私が入ったのは、ミニバスケットボール部。3つ上の兄がミニバスをやっていたのがそこに入部した大きな理由です。
保育園の頃、サッカーなどはやっていましたが、ここまでがっつりと練習に励むことは人生初です。ドリブル、パスの仕方、チームでの連携の仕方などなど学ばなければいけないことは盛りだくさん。
入ってみて最初の数か月は楽しく過ごしていましたが、段々と辛くなっていきました。元々喘息持ちで他の人より体力もなく、それもあってか、センスのなさか、技術も上達せず周りに置いてけぼり。顧問の先生の厳しさにもついていけず、どんどんどんどん部活動が辛いものになっていきました。
数か月は頑張っていましたが、途中から仮病を使って見学することも出てきました。それが数か月続いて、いつの間にか本当に体調が悪くなるように。部活動のある日に限って、放課後に近づくにつれて身体はダルくなり、先生に「顔白いけど、どうした?」と声をかけられる始末。保健室に行き体温を測ると毎回微熱でした。それがしばらく続きました。友達にどう思われているのか不安な気持ちも持つようになり、友達とも徐々に距離を取るようになっていきました。病院を受診し、起立性調節障がいの診断も受けました。
辞めることを決断するのが中々できなかったのですが、体調が悪くなってどうしようもなくなったので、親や先生に相談。保健室にもよく行き、養護教諭の先生にはとてもお世話になったと思います。結果、周りの大人が認め、受け入れてくれたこともあり、辞めることができました。
たまたま担任の先生が、伝統芸能系のクラブ活動の顧問をしていたため、体験をした後、そのままクラブに参加。手平鐘(てびらがね)や和太鼓、歌い手などそれぞれの得手不得手に合わせて役目を担い、みんなでリズムや踊りを合わせながら進めていくその工程が、当時の自分にはとてもしっくりきました。そこで友達もでき、徐々に元気を取り戻し、体調を崩すことはなくなりました。
私はたまたま不登校にならなかった人間です。
周りの大人が私の気持ちを受け入れ、辞めることを許してくれたこと、自分の好きや得意を見つけ、それを発揮できる場所に出会えたことが当時の私の生きづらさを和らげることにつながったのだと思います。
あのまま誰にも声をかけてもらえず、誰にも受け入れてもらえず、どこにも居場所を見つけられなかったら、今私はどうしているかわかりません。
当時は「なんで自分だけできないんだろう」「自分の努力が足りないだけなんだ」「つらい、行きたくない。でも行かないと怒られる。友達にもなんて思われるかわからない…怖い。」そんなことを毎日、毎時、毎分のように考えていました。
今不登校の状態で、様々な生きづらさを抱える子ども達にも同じようなことを思い、ひとり頭を抱えている子が大勢いると思います。2022年度は小中学生で29万9048人が不登校の状態にあると言われています。自死をした焼酎高校生は2023年に507名。一人ひとり抱える辛さは異なりますが、共通するのは身近に味方である人がいない、もしくはそう感じられていない状態であること。このまま何もせずにいれば、孤立する子どもはどんどん増えていくことは確実です。
あの時、身近にいた大人は「部活に行けるかどうか」「○○ができるかどうか」といった視点ではなく、自分の存在をそのままに受け入れてくれました。その当時の周りの大人と同じように、私も子ども達をありのままに受け入れたい。それをしっかり言葉で、姿勢で、伝えていきたい。「あなたはあなたでいい」「よくがんばったね」そんな言葉で子ども達の心に安心を届けていきたい。そんな原体験があり、この取組みを続けています。
子ども達のありのままを受け入れる
フリースクール”ミズタマリ”のオープンは2019年6月。あれからもう5年になります。学校からの出席扱いも数校いただき(※地域によりますが、栃木県宇都宮市は出席扱いの可否は各学校長の判断です)、メディアにも取り上げていただくことも増え、今では30名を超える子どもたちと、6名のスタッフ、地域の大勢の方に支えていただける居場所になりました。
”ミズタマリ”に初めて来る方がみなさん口を揃えて言う言葉があります。
”ミズタマリ”には、いつも笑顔や笑い声が絶えません。なにも”笑顔”でいることだけが正しいわけではありません。ひとりで静かに読書をしている子もいれば、スマホでゲームをしている子も、眠そうに目をこすっている子もいます。でもどんな状態であってもいいんです。
”ミズタマリ”で大切にしているのはこの3つ。
私たちが考える以上に、子ども達はたくさんのことを感じ、考え、成長していきます。毎日驚きの連続です。私たちがこれまで生きてきた数十年と、子ども達がこれから生きる数十年は全く違う世界になっているはずです。私たちは未来の正解を知りません。でも子ども達はそれを肌で感じながらスポンジのように多くのことを吸収し、想像・創造していきます。私たちはむしろ子ども達から学ばせてもらう姿勢で関わっています。
「不登校」という事柄に向き合っていると、法律、行政、学校、親、障がい、病気、色々なことと向き合う必要があります。でもやはり子ども達の表情を見ると、いつも思うんです。
「生まれてきて良かった」そう心から思える日がいつか来るように、二度と来ない今この瞬間を、一緒に笑ったり、一緒に悲しんだりする日々を、丁寧に丁寧につむいでいきたいのです。
みなさんもぜひ、みなさんのできる形で子ども達の安心を、明るい未来をつくるサポートをしていただけると、これほどありがたいことはありません。
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これを書いている人間がどんな人なのかもっと知りたい、という方は以前、堀潤さんより受けたインタビュー動画がYouTubeにあります。
こちらをご覧いただければと思います。
長くなってしまいました。
最後までご覧いただき、本当にありがとうございました🍀
みなさんの今日が幸せな1日でありますように。
その幸せが誰かに伝搬して、子ども達の幸せにもつながっていきますように。