「学校で学んでいいんだ」とやっと思えた日
学校で学んでいる実感ってありますか?私はずっと学校では居場所がなかった。(いまだにない。)もちろん同世代と話が合わないマセガキだったのもあるけど、レールに乗せられるのがすごく嫌いだったから。
だから、いつの間にか信じていたのは、「学校は学ぶところじゃない。」ってこと。
アメリカで受けた英語の授業:レモンがゴロゴロ
ある日先生がやってきて紙袋からレモンが15ほど出てきました。「今日はね、レモンを一つ徹底的に描写してください。」と言われ、レポート用紙半枚ほどを必死でうめたのを覚えています。当時の英語力はネィテイブマイナス2歳くらい。それでも、知識を聞かれるわけではないのでなんとでもなります。
その後、先生は無記名の紙を別の生徒に渡していきます。どれも詳細に書かれています。意外なことにレモンが言い当てられるんですね。あんなに一つの果物と向き合ったのは初めてでした。
アメリカで受けた美術の授業:アウトプットは自由
日本では、同じ画材を使うのが通常ですが、アメリカでは逆でした。まず学ぶのは描いた作品の背景や描いた人の想い、歴史的な意味づけなど。印象的だったのはオキーフです。
その当時はエロティックなまでに接写されている花の絵に引き込まれ、自分もパステルで何枚か描いたものです。そう、アウトプットはなんでもOKだったのです。彫刻でも粘土でも絵具でも!
日本のやり方では誰でも一通りの画材の経験ができますが、このやり方では偏ってしまいます。でも、結果的に私もオキーフの人生観に感銘を受けてずっと学び続けている。これこそ、生涯学習力だなと今では思えます。
アメリカで受けた特別支援(たぶん)の授業
確か隔週だったと思うのですが、今考えると発達障害の子どもたちと学ぶ授業も取っていました。英語力はそんなに低くなく、ESL(英語を第二言語とする生徒のためのじゅぎょう)は必要なかったのですが、何かしらのサポートは必要だったのです。
そこで学んだのは朝型、夜型の話や、文の読み方。目の動かしかたなど、本当に実践的でした。4、5人の小さな輪だからできる授業です。落ちこぼれだからできないところを補習するというよりは、学び方を学ぶ授業です。
ホームスクーリングで学んだ子ども時代
アメリカへ行くまでは、ずっと学びは学校ではできないと思い込んでいました。小学校はホームスクーリング的な学びが中心で、学校ではずっと気配を消していました。ドリルは6年間スルーし、自由研究と読書だけで育ったんです。
アメリカへ行くまでの10年間、学校での勉強はどちらかというと修行であって学びたいことはほぼありませんでした。高校1年では荒れて、学びからも勉強からも完全に離れ、学校も本気でやめようとしていました。
帰国後、大きな変化に自分でも驚く
学びって学校でも楽しめる!ということが身について帰国し、前の学校を辞めて転学しました。授業は相変わらずでしたが、自分で学ぶのが面白くてしかたなくなったことが大きな変化でした。
特に好きな授業は新書で先取り、苦手なものは徹底的に分析、英語は1日6つほどのルーチンを回していました。そして気づくと成績は急上昇。
そこからです。今でも学びへの気持ちは変わりません。人生が学ぶところになったのです。
さいごに
留学すればできるようになるか、こうしたパラダイムシフトが起こるかというとそうでもなさそうです。受け持った生徒でも、帰国して学びの姿勢にあまり変化のない生徒も多くいます。その違いは実は意外なところにありました。
その辺りはまた次回。
学校がみんなにとって勉強だけではなく、学びの場になりますように。