テレビと、それを取り巻く時代の空気
皆さん、最近、テレビ、観ていますか?
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テレビと言うのは、イグアノドンの卵だと譬えられていて、孵化し、卵から出た小さな怪物が、よちよち歩きのうちはまだ良かったのだけれど、飼い馴らす人達がいなくなれば、凶悪な面を露にする。このテレビと言う怪物を飼い馴らす術、視聴者に観せる節度を心得ていた人達は、放任すればどう言う事になるのかも、自覚していた。飼い馴らす術を知らない、テレビ局の第二世代、第三世代以降が放任した時、怪物は、僕達の日常にまで食い入り、否応なしに、僕達の言語や生活を、支配するようになった。少なくとも、リモコンのスイッチを切る以外に、この怪物の支配を免れる方法は、ないのではないか ―――
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テレビ離れが進んでいるとか、そんな報道をよく目にするのですが、かく言う僕自身も、テレビを観る時間はかなり減って来たなぁと実感しているのですけれども、小林信彦の『テレビの黄金時代』を読んで、テレビについてあれこれと考えるようになりました。
更に、テレビの対抗軸とされている YouTube に関しても、自分としての関わり方を、より一層、考えさせられる事になりましたね。だけど、まず、今回は、「テレビと、それを取り巻く時代の空気」について書いてみようと思います。
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・1958年 光子の窓(日本テレビ)スタート
・1961年 夢であいましょう(NHK)スタート
・ 同年 シャボン玉ホリデー(日本テレビ)スタート
・1966年 ビートルズ来日
・1968年 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)スタート
・1969年 アポロ11号月面着陸成功
・ 同年 巨泉・前武ゲバゲバ90分(日本テレビ)スタート
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例えば、1965年頃、赤坂のヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル。翌年、来日したビートルズが、このホテルに宿泊したそうです)に行くと言うのは(東京オリンピックは過ぎていたとしても)大変な事だったようで、当時の東京には、夜にちょっとした話をする場所がほとんどなかったらしく、レストランは早く閉まってしまうし、30代の男が喫茶店と言う訳にもいかない、場所的にもどこからでも近い、と言う事で、打ち合わせの指定場所に、ホテル内のカクテル&ティー・ラウンジが使われたり、英国大使館にも近い、千鳥ヶ淵のフェヤーモンド・ホテルは、元帝国ホテルにいた老シェフ(戦前、ロシアのバス歌手シャリアピンが来日した際、胃にもたれない肉料理を、との注文で、シャリアピン・ステーキを考案した人)が切り盛りしていて、キドニー・パイが余分にあったからと、打ち合わせの時に持って来られたり ―――
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テレビの世界がとても華やかだった、と著者が定義している時代より、若干、古い時代の事柄が多かったのですが、重なっている部分もかなりあった、茂出木心護(暖簾分けしてもらって、日本橋に「たいめいけん」を開いた人)の『洋食や』を読むと、やっぱり、60年代、70年代と言うのは、日本にとって、古き良き時代だったのかな、と何度も思わずにいられませんでした。
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ただ、その古き良き時代のテレビ番組、例えばバラエティ番組の『夢であいましょう』や『シャボン玉ホリデー』なんかを観て、その中のクレイジー・キャッツのコントを観て笑えるのか、と考えると ――― どうしてでしょうかね、バカバカしいと思う事が多くても、今のお笑い番組を観た方が笑えるような気がするんですよね。直感ですけど。
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テレビに限らず、あらゆる分野に関して言える事だと思うのですが、ビートルズが活躍していた時代に、リアル・タイムでそれを観れなかった(聴けなかった)と言うのは、僕達世代の人間(それ以降の世代も含めて)には、どうしようもない事ですし、今の若いバンド(アークティック・モンキーズとかザ・クークスとかレイザーライトとか、イキのいいバンドが何組もいるんですよ)を知らないからと言って、年長の人達をバカにするような事は、僕達はしないように思うのですが、逆の事は随所でやられているような気がするのですよね ―――(被害妄想でしょうかね?)
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勿論、テレビに関しても同じように、「テレビの草創期・黄金時代(とされている時期)を支えて来た優れたスタッフや出演者達がいた」と言うのは、本を通してよく分かったのですが、だからと言って、その時代をリアル・タイムで知らない僕達が劣っていると言う事にはならないと思いますし、現在のお笑い番組を筆頭としたバラエティ番組全般、ドラマに至るまで全て劣っていると言う風には、僕にはどうしても思えないのです。
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個人的な視聴体験を基にした比較になってしまいますが、僕が中学生の時、NHK教育テレビでは『YOU』と言う大学生中心の若者参加番組が放送されていたのですけれども、それよりも、2000年4月から2006年3月まで放送されていた、10代限定の討論番組である『しゃべり場』の方が、僕には何倍も面白かったのです。
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1970年代は熱かったとか、1960年代のテレビは特に黄金時代と呼ばれていたとか、都電が走っていた頃には東京にも情緒のある洋食屋が何軒もあったとか、そう言った雰囲気みたいなモノは何となく感覚でも分かるのですが、それに留まらず、今の時代全般が劣っている、と言う事にまでなってしまうと ――― ちょっと飛躍が過ぎるようにも思うのです。
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今は、居心地の良い洋食屋を探すのは、かなり難しい事だと言うのは、僕にもよく分かりますし、『洋食や』の中に出て来た、三角に切ったパンに串を刺した蜜パンや、フランスのキュゼニアのグレナデン・シロップを使ったソーダ水なんかには、とっても惹かれるのですけれど、じゃあ、ファミリー・レストランが当時の町の洋食屋には絶対に敵わないのかと言うと、営業時間の長さや大人数で入れるところ、車で行けるところ等々、メリットも幾つもあると思いますし、当時の、ウエイトレスと言うより女給さんと言った方がぴったり来るような人達の細やかな気配り、までは行かないにしても、今の若者なりの過不足のない清々しさみたいなモノは、随所に感じられるような気もするのです。時代の流れと言うモノは止められない以上、昔の良かった部分を取り入れて行くのは、凄く良い事だと思います。だけど、現在の良い部分も同時に肯定する視点を持っていないと、かなり窮屈なモノになるのではないでしょうか。
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(これが、的確な例になるかどうかは、分からないのですけど ――― )
僕は、チョコレートが相当に好きで、疲れたなぁと感じる事があると、条件反応のように食べているのですが、その中でも特に、明治の(ちょっと値段は高いのですけれど、一個一個、板チョコレートの一片に相当する大きさのモノを、独立させて包んである)箱入りのモノが好きなんですよねぇ。ある日、ブラッと入ったコンビニエンス・ストアにはそれしかなかったので、高いかな?と思いながらも買ったのが、この商品を知るきっかけだったのですが、食べてみて、割った時の欠片を気にしなくても良いと言う所=食べ易さに留まらず、一個一個に、このチョコレート特有の味が(一段と、より濃厚に)凝縮されていて、ビックリしたんですよ。食べながら、こう言うクラシック・スタイルのロングセラーの商品をモデル・チェンジするとなると、相当な議論が交わされたのだろうし、手続きを踏んだのだろうなぁと言う事を、想像したのでした。
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社会に参加する ――― それは結局、どう言う風に伝統に自分が加わるか、と言う事だと僕は考えているのですが、それこそ唯々諾々と、ただ言われたように伝統に参加すれば、確かに風当たりと言うか抵抗は少ないだろうけれど、それだと他ならぬこの自分自身が、その伝統に参加する意味と言うのはなくなるのではないか、とも考えてしまうのです。
伝統を否定するのではなく、自分の考えを消し去ってしまうのでもなく、ある付加価値を抱いて伝統に参加する、と言うのが、後からその流れに加わる人間の、つまり若者の、大事な役目だと思うのです。この明治の個包装のチョコレートが、若い社員の発案によるモノかどうかまでは定かではありませんが、伝統の良さを守りつつ、現代に適応する視野を持つ、と言う意味で、これからの僕達(ここは特に強く、僕達、と言う言い方をさせて下さい)に、一つの指標を与えてくれるような気がしました。
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冒頭で、僕自身もテレビを観る時間はかなり減ってきたなぁと書いたのですが、言い古された表現かもしれませんが、それは、他にも娯楽が増えた、と言う事であり、単純に、今のテレビ番組が全体的につまらないから、と言う理由によるのではなく、今の時代の良さを端的に表す価値観、選択肢が増えた、と言う事だと思うのです。
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(現在の、テレビの世界の、象徴的存在とも言える、松本人志に関しても、少しだけ ――― )
ダウンタウンの松本人志に対しては、年長の、特に知識人と呼ばれているような人達の間では、あまり評価が高くないようなのですが、僕達にとって、松本人志の独特のゆるさは、何物にも代えがたい、非常に貴重なモノである、と言いたいです。
『テレビの黄金時代』の、どの出演者と比べてみても、松本人志の、そのゆるさを含めた笑いのセンスは、決して劣るモノではないと、僕は、僕達は、自信を持って言えます。