不幸のお裾分けについて思う
皆さまこんばんは、弓削彼方です。
今日はちょっと最近目に付きすぎるなと思う事について、一言だけ言いたいなと思います。
最近と言ってもここ数年が特にひどいのですが、ネットのニュースサイトとか情報サイトで不幸のお裾分けが多過ぎるなと言う事です。
例えば殺人事件や大きな事故などは、社会的に知られることで情報提供を求めることが出来たり、いつか同じような事故が起きることを考えての今後の対策に教訓として活かすことができます。
これは真っ当なニュースなどにも取り上げられるものなので、不幸で悲しい話ではありますが、今を知ると言う事で耳に入るのは仕方のないことです。
問題なのは、どうでもいい不幸な話や不愉快な話のお裾分けです。
「某レストランに行ったら店員の対応が気に入らなかった」「ママ友の集まりでこんなひどい事言われた!」「昨日来た客はマジで最悪だったので〇〇するような奴はもう来ないで欲しい」みたいなお話です。
これは別にニュースにも記事にもする必要がないどうでもいいことです。
今は個人でもこの様に記事を書いたり、Twitterなどで情報を発信できる時代です。
上に挙げたような出来事を、実際に体験した本人がそういう情報を発信するのは問題ないと思います。
人はどの様な話であれ、他人に聞いて欲しいものですからね。
ただ、正規のニュースを扱っている所が、こんな一個人の話を記事にしてまで出す必要はありません。
もっと言えば、わざわざこう言う話を集めて、「接客業従業員のストレスの原因」みたいな記事を作って世に発信する必要があるでしょうか?
他に世に知らしめるべき重要な情報があるにも関わらず、こんな不幸のお裾分けみたいな記事を出されても誰も幸せにならない。
ちょっと調べものをする際に大手のサイトを開いたら、詳しく中身までは見なくても、見たくもない情報の断片が記事のタイトルとして見えてしまう。
生きているだけで無理やり不幸のお裾分けを口にねじ込まれる感じです。
人と言うものは自分の事では無くても、良い話やおめでたい話を聞けば気分が良くなり、悪い話や不幸な話を聞くと気分が悪くなります。
ですので、可能な限り世に必要な情報やおめでたい良い話を優先して世に出した方が良いのです。
決して悪い話を隠せと言う事では無く、世に知らしめる必要がないような誰かの小さな不幸までお裾分けしなくてもいいですよと言う事です。
Twitterのトレンドなんかは不幸のお裾分けの詰め合わせが多いので、私は見ないようにしていますが、それで困ったことはありません。
Yah〇〇とかもどうでもいい情報が多いので、色々と調べものがある時は直接Googleの検索ページに行くようにしています。
本当は不幸のお裾分けは辞めて欲しいのですが、それはそのサイトを運営する者の勝手なので嫌なら見るな!の精神。
なので私は見ないようになりました。
っと言う所で、今回のお話はおしまいです。
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