【創作】暴君としもべ
「その唐揚げ頂戴」
「ジャージ貸して」
「紅茶花伝買ってきて」
クラス替えで初めて同じクラスになった女子、黄金(こがね)はまるで暴君だった。驚愕するほど我儘で凶悪で理不尽で、しかしそれが発揮されるのが目の前にいる、彼女と特段親しそうでもない男子に対してだけなのだから理解が出来ない。そんな様子を男子の友人であるアキラはいつも、右往左往しながら見守っている。
対して当事者である火一(ひいち)は、文句も言わず命令を受け入れけろっとしているからまた不思議である。
火一の机に広げた弁当箱から卵焼きを抜き出しながら、アキラは火一に同情とも哀れみともつかない視線を向け「あのさあ」と声を掛けた。
「黄金のことさ、放っておいたらいいんじゃないの」
次は何を食べようか、というふうに俯いて昆布の佃煮と白米を咀嚼していた火一がアキラの唐突な質問に顔を上げる。
「何で?」
「いや、だってあいつ無理ばっかり言ってくるじゃん。別に弱み握られてるとか恩があるとかじゃないんだろ?関係ありませんみたいな顔して無視しとけばいいじゃん」
「ああ、まあ、そういうこともできるな」
歯切れが悪い。
昼食中、アキラは心から心配して説得したが、火一はそれを右から左に受け流していた。火一がどういう気持ちでいるのかさっぱりわからない。もしかして痛めつけられることに興奮を覚えるタイプだろうか。いやでもあれは痛めつけるという意図がある命令なのか。ただ単に困らせたいのか。もしやいじめでは?
アキラは頭が煮詰まるくらい考えたが信憑性のある考察は得られなかった。とにかく二人の様子を観察しなければ、と友人思いの彼は思った。
長袖長ズボンのジャージを着ても屋外の体育が辛くなってきた頃から、黄金はそれを忘れてくるようになった。今日も「貸して」と着替えを終えてくつろいでいた火一に手を伸ばす。
「男子は体育館でしょ」
不機嫌そうな表情を浮かべて火一のジャージの胸元を引っ張る。
耐えかねたアキラは「この人暴力を振るってます!」と叫びたい気持ちを堪えて彼女の細い手首を掴んだ。
「何でズボンは持ってきて上は忘れてくるんだよ。今日で何回目だと思ってるんだ。絶対わざとだろ」
思ったより険を含んだ声になり、アキラは自分で驚いた。しかし黄金は臆した様子もなく、眉根の皺を深くする。
「あんたには頼んでない。火一に言ってるの」
「火一だっていつも嫌がってんだよ。なあ?」
アキラが火一を見ると、椅子に腰かけていた彼は無表情で黄金の顔を見上げ、ジャージのジッパーを下ろした。
「別に何とも思ってない」
起伏のない声調で言って、躾けられたように目の前にいる彼女にそれを差し出す。黄金は相変わらず目尻を釣り上げたまま受け取った。アキラが掴んでいた手首を離すと、彼女はそのまま背を向けて歩き出した。女子の大群はもうどこにもいない。駄弁っている男子を避け、あちこちの机の角にぶつかりながらドアから出ていく。
「いいのかよ。あれじゃ舐められたままだぞ」
アキラが責めるように言うと、火一は注視していないとわからないくらい僅かに口角を上げた。
体育館から渡り廊下を通って校舎に戻るとき、校庭でボールの後片付けをしている女子の群れが見えた。仲良しの何人かずつで身を寄せ合い、楽しそうに話しをしている。多分、「寒いねー」とか「疲れたねー」とか中身のないことを喋っている、とアキラは予想し、隣にいる火一にそれを披露すると、興味なさそうに「そうかもな」と返された。素っ気ない。いつもだけど。
その中に、オーバーサイズ過ぎるジャージを着た黄金が佇んでいた。サイズの合っていないジャージを纏っているせいか華奢な体がますます小さく見える。
おい、ちゃんとボール拾えよ、とアキラは心の中でツッコミながら、何故か目が離せなくなった。
彼女は自分を抱くように腕を組み、上までジッパーを閉め、立ち上がった襟で口元を隠している。あれは火一の物である。ぎゅっと抱きしめ、赤くなった鼻と口を襟の内側に入れて、細めた目は寒風を避けようとしているようにも笑っているようにも見える。伸ばさなくても長い袖――萌え袖というのだったか――が幼い子どもを連想させ、庇護欲をくすぐる。何度も言うがあれは火一のものである。普段あの朴訥とした男が着ているものである。返却されたら当然に持ち主に着る権利がある、のである。
「……なんか」
アキラの呟きに、同じ方向を見ていた火一が視線を寄越した。
「変態だな、お前」
瞼を半分落として彼の半袖を引っ張ると、火一は一瞬、瞳に慈愛を含んで微笑み、また校庭に顔を向けた。
…………うわあ。
「はい」
セーラー服に着替えた黄金が、席についていた火一にぐちゃぐちゃのジャージを渡す。それを受け取りながら、火一が「セーターも貸すか?」と尋ねるので、アキラは軽蔑のかたちに顔を歪めて火一を見た。
「うん」と受け取るほうも受け取るほうだ。
馬鹿な暴君だし阿呆なしもべだ、とアキラは呆れて二人の傍をそっと離れた。