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ねっちょり

 作業のBGMとして、YouTubeで同人作家さんのラジオを聞くことが多い。よく聞いている方は字書きで、同人誌を発行している。

 私自身は二十云年前からの腐女子で、これまでイラスト、小説、コスプレなど様々な媒体で同人活動を行ってきた経験がある。飽き性なので推す作品はころころ変わったが、嵌れば何かしらの方法で愛を表現してきた。
 最近二次創作小説を書いたのは、二年前、公募作品を書き始める前で、子どもの影響で見始めたアニメや特撮だった。毎週放送をチェックするのが楽しみで仕方なかったし、お気に入りの回は夫や子どもが呆れるほど繰り返し観た。一人で悶々としていた妄想が爆発し、二次創作小説も書いた。そのときの熱量たるや、今の比ではない。

 先に挙げた同人作家さんのラジオを聞いていると、今の自分の創作活動に疑問が浮かんでくる。何のためにこれを書いているのか、書いている間の熱量、充実度、楽しさはどのくらいか、書き上げたときにどれくらい満足できているのか。
 何のために書いているんだろう。本当に小説家になりたいのか。受賞=自分の書いたものを認められる、これは達成出来たら嬉しい。でもその後小説家として、仕事として書き続けていきたいのか?
 熱量、充実度、楽しさ。うんうん唸って坦々と書いてストレスを溜めながら直して。寧ろ苦痛だ。「ひゃー!この二人絶対こういうことになるよねー!こういうこと言うよねー!幸せになってー!」が無い。
 満足……。解放感、達成感はあるが。
 総括すると、公募作品を書くのが嫌になった。

 そもそも小説家になれる気もしない。諦めなければチャンスはとか言う人がいるが、それで10年以上燻っている人を見ていると絶望感しか覚えない。書くことが好きで無理なく続けている人なら、よい趣味だなと思うが、公募作品を書くのが苦痛に感じる私には無理だ。
 そんなだから、どうしても比べてしまって、同人活動(今だったら一次創作かな)に戻りたくなった。太古の昔から自分で本を作ってみたかったし、Ⅹでフォロワーさんたちがそういう作業をしているのを見て、羨ましくなってしまった。受賞しなくても本出せるじゃん!とそれが書き続ける大きなモチベーションになるような気がした。

 ついでに〆切が嫌だ。公募には〆切があるじゃん。自分で作品を書くだけならそういうのは無いに等しい。最近大正時代について勉強していて、いずれそういう設定の作品を書いてみたいと思っている。ちょっと書き出してみたが、現代ものとは必要な知識の量と描写の仕方が違う、気がする。なかなか筆が進まない。思い入れのある時代なので「何かこれ違うなー」と思うと唸りながらねっちょりと試行錯誤をし始める。それが苦しくもあり、案外楽しい。何にも縛られず、好きなように書いていきたい。それがいつか本という形になったら、すごく嬉しいと思う。

 がむしゃらに書くのはもう終わりだ。
 私は私に向いている場所で小説を書いていきたいと思う。


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