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小沢健二,1994「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」【考察】

はじめに

「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」は1994年にリリースされた「LIFE」の8曲目に収録されている曲だが、シングルカットがされていないことから、小沢さんの楽曲としては少しマイナーな部類に含まれるだろう。英題「GOOD NIGHT, GIRL!」からも分かるように題名の「仔猫ちゃん」とは明確に好意のある女性を差しているもので、やはり恋愛色の強い作品に思える。

この楽曲は曲の長さが7分57秒と長めで、ゆったりとして緩やかな濃淡のあるメロディーが特徴的だ。一方で歌詞から読み取れる情報量の多さと「」というキーワードの展開の仕方も印象的である。そうして、やはりこの楽曲も具体と抽象を組み合わせながら、壮大なテーマを描こうとしている。
 そして、歌詞を読み解いていきながら「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」という題名に隠されたメッセージを探していきたい。

本論

Aメロ1

みんなが待ってた雨が いつか降り出していた
君と会ってた時間 僕は思い出してた

 まず、二行の文を同じフレーズを使ってうまく呼応させていることは明らかである。それにしても同じフレーズで音を合わせるやり方は小沢さんにしては珍しい。
「みんな」とは不特定多数を差しているようで、久しぶりに雨が降ったというところだろう。さらに「いつか」とはここでは「いつの間にか」を意味していることが分かる。

全体の意味としては「僕」が「君」との記憶を「雨」から想起する場面のように感じられる。大きく考えれば、前回紹介した「愛し愛されて生きるのさ」の冒頭にも実によく似ている。

また「君と会ってた時間」に助詞がないことも指摘しておきたい。付属する助詞が「を」なのか「に」なのか、今後の展開によって見方が変わってくるかもしれない。

Bメロ1

空へ高く少し欠けた月 
草の上に真珠みたいな雨粒
ほんのちょっと残ってるそんな時だった!

 まず、そもそもこのパートはBメロに分類されるのか、それともサビに分類されるのか微妙なところであった。曲調の転換と一般的な邦楽の構成的には「Bメロ」だが、そもそもこのパートがサビっぽいリズムの明るさであることや、この次のサビとの間隔の狭さや、小沢さんが好む洋楽的な楽曲の構成(Aメロ→サビという流れ)から推測するに「サビ」だと捉えることも妥当だとも思える。今回は、楽曲の説明のしやすさを考慮してこのパートを「Bメロ」に置くことにした。

「空へ」「高く」「少し」「欠けた」という4つもの修飾語が「月」という主語に添えられており、また小沢さんらしくなく母音で韻が踏まれていない。その代わりに形容詞の文字数(3文字の列挙)で語調を整えたように推測できる。

また、このパートで表現されているのは紛れもなくシーン(情景)である。「雨粒」が「ほんのちょっと残ってる」というフレーズから、おそらく舞台は雨上がりであり、つまり雨が降り出したAメロ1の続きである可能性が高い。そして月明かり照らされた雨粒が真珠のように草の上に重なって写る光景に、主人公が最後の「!」から読み取れるように「興奮」の感情を抱いていることが考えつく。

さらに、実はAメロ1の「君と会ってた時間」がこのパートの「そんな時だった」の「そんな」に対応することがわかる。「君と会ってた時間」つまりはシーンを細かく再現している場面といえる。

サビ1

ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨

「みたいな」「ような」に代表される砕けた比喩表現は小沢さんの楽曲全体における特徴だ。コンチェルト(協奏曲)とは、ソロの独奏楽器とオーケストラとが組み合わさって生まれるクラシック音楽を意味する。つまり雨音の共鳴を、ディズニー映画のエンディングになぞらえて酔いしれている主人公の様子が見て取れる。詳細な描かれ方から、小沢さん本人のシーンに対する印象が色濃く表現されているパートだ。

また「静かに降りつづく雨」がBメロで展開させた過去の記憶から、再び現在の時間軸へと立ち戻ってくる流れが読み取れ、Aメロ1からの続きを匂わせる内容となっている。曲調を活かして「お天気」の「お」も歌詞の雰囲気を和らげるのに重要なエッセンスとなっている。

Aメロ2

生まれたてのが 羽根をひろげ飛び立つ
こっそり僕が見てた 不思議な物語

このパートから二番がスタートする。一番とは視点が変わり、主語として「蝶」が登場し「雨」のテーマから少し遠くなった印象を抱く。しかし「僕」という人称がはっきり残っていることから、主人公のワンシーンを詳細になぞる姿が想像できる。

Bメロ2

空へ高く虹がかかるように 
暖かな午後の日射しを浴びて飛べ
それはとても素敵なシーンだった!

ここでは、Bメロ1をなぞって(呼応して)三音の言葉で語調を整えている様子がわかる。また二行目では語調を意識した単語を組み合わせるというやり方も見せている。
 内容については、主語はおそらくAメロ2と同様「蝶」だと確定でき、このパートはその蝶が飛び立つ神秘的な姿を鼓舞するシーンを描いたものだと思われる。Bメロ2では「暖かな午後」「虹」から読み取るに「午後の晴れ空」が表現されており、Bメロ1での「夜空」とは対照的な景色が描かれている点も面白い。しかし1番での「そんな時」がここで「素敵なシーン」と言い換えられており、Bメロが「素敵」というイメージを継承しているのだろうと推測する。

さらに一番と同様、Bメロ2がAメロ2の内容、ここでは「不思議な物語」と「それはとても素敵なシーンだった!」が対応関係にあり、内容を逆から読ませるという聴いただけでは、理解が難しいような構造になっている。この歌詞構成は小沢さんの楽曲の中でも珍しい部類に含まれるだろう。

サビ2

ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨
Come on!

サビ1と同じ歌詞が繰り返されていることから、原点を現在の時間軸を固定していることがはっきりわかった。つまり歌詞の中では主人公の現在から始まり、過去を想起し、再び現在に戻ってくるというパターンが示されているともいえる。
 ここまでを踏まえて考えれば、二番で「蝶」の不思議な物語に傾いた歌詞世界の流れを、再び本テーマである「雨」のイメージへと戻してきた印象を受けなくもない。それならば、なぜ「蝶」のくだりがこの楽曲には必要だったのか、考える余地もある。単純に対照的な内容を盛り込みたかったのか、それともどこかの伏線なのか、少なくともこの時点では不明瞭である。
 また末の「come on!」は次のメロディーへ弾みをつけている役割をしているようだ。

間奏

“Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
涙のつぶのひとつひとつ

まず初めに、冒頭からの「Where do we go?」に言及してみよう。「hey now」と合わせて直訳すると「私たちはこれからどこへ行くのか?」という意味の単純な疑問文になる。そして私がこの歌詞から感じ取るのは、小沢さん本人が描く将来への漠然とした不安だ。(「愛し愛されて生きるのさ後編でも言及した内容に似ている)しかしながら、この「Where do we go?」は全て幼い子供たちのコーラスによってチカチカと歌われており、まったくマイナーな印象を受けない。これこそがこの楽曲の隠れたメッセージであり、当時の小沢さんの本音であるのだと私は解釈する。また補足すると、この疑問文はここからおよそ25回も登場することとなる。

三行目の内容をみると、「涙のつぶ」はテーマの「雨」と関連する情報だと読み取ることができ、この一行はここまでの内容とかなりリンクしているようにも思える。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
ガラス玉(だま)にとけてく夕べ

ここでは、「雨」「涙のつぶ」をさらに「ガラス玉」と言い換えたように考えられる。また「夕べ」という時間的情報が加えられたことにより、色濃くシーンが強調された。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
僕の書きかけのメロディー goes”tru…

最後の「goes”tru…」は「Where do we go?」という問いに対して答えようとしているかなり興味深い箇所だ。「書きかけ」というフレーズと合わせて、進路を描こうとしているが、ペンが進まない、考えが進まないという当時の小沢さん本人が抱えるリアルな胸の内のつっかかりを感じる。このようにかなり重要な展開が、何の言及もされずに歌詞の中に紛れている点から、これも小沢さんが楽曲の中に隠したメッセージなのかも知れない。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
終わることのないオルゴール

この「終わることのないオルゴール」は単純に「永遠」「輪廻」を表現している一節に思える。様々な解釈が可能なため、あえて他と関連づけることを避ける。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
ひそかにささやいてる天使

私は「Where do we go?」を歌う子供たちを、この「天使」になぞらえているのではないか、と考える。「Where do we go?」を「密かにささやかれている」と解釈することができなくもない。しかし実際「天使」が一体どのような存在で、何のために登場したのかはこの時点では言及できていない。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
南の島で吠えてるよムーン・ドッグ

そもそも「ムーン・ドック」とは何なのか、がはっきりしない。この言葉を引いてみると、実際に過去の有名なアメリカ人作曲家の名前として登場するが、「吠えてる」から想像するに、ムーンドックを単純に月に向かって吼える「犬」だと考えられる説が強い。しかし人物である「ムーンドック」を犬のイメージと混同させて描いた可能性も十分考えられる。また「南の島」というのがかなり厄介で、ワンシーンとして捉えることしかできていない。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
とてもとてもきれいな世界

「きれいな」は、やはり「雨」のイメージ対応するものだと解釈すれば、雨降りの神秘的な世界を肯定するとても抱擁感のあるフレーズだと感じる。

Where do we go? 
Where do we go, hey now?”
君と僕のつづくお喋り

間奏の最後を占めるこのパートでは、急に「君」が登場し、一気に「僕」の現実感へ引き込まれる。さらに興味深い点は、サビの「静かに降りつづくお天気雨」と「つづく」と「お○○」が明確に対応を見せているということだ。掛け合わせという意味でもお洒落だが、現在の時間軸では「僕」は「君」と一緒にはいないわけで、ここで綴られている内容は、雨の降り「つづく」関連で主人公が過去もしくは妄想を思い浮かべているということが推測できる。

Bメロ3→サビ3

空へ高く少し欠けた月 
草の上に真珠みたいな雨粒
ほんのちょっと残ってるそんな時だった! WHO!
ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨

再びBメロ1の内容を繰り返したことから、時間軸を現実に引き戻し、曲のクライマックスへ向けて楽曲のテーマを確認する役割をになっているパートであるという見方ができる。

大サビ

夏の嵐にも冬の寒い夜も
そっと明かりを消して眠ろう
またすぐに朝がきっと来るからね

最後のサビで話が大きく展開された。ここまで守ってきた「雨」のテーマがフェードアウトして全く初めてのストーリーが登場したのである。そしてついに、この曲の題名である「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」が連想される「眠ろう」というフレーズも登場した。「夏の嵐」「冬の寒い夜」という要するに「どんな時も!」という主人公の盛り上がる思いが、その次の「そっと」という落ち着いたフレーズで冷やされて味わい深い一節となっている。「…ね」と投げかけている相手は、おそらく「君」であり「仔猫ちゃん」なのだろう。

アウトロ

Where do we go?  Where do we go, hey now?
涙のつぶのひとつひとつ

Where do we go? Where do we go, hey now?”
ガラス玉にとけてく夕べ

Where do we go? Where do we go, hey now?”
僕の書きかけのメロディー goes”tru…”

Where do we go? Where do we go, hey now?”
終わることのないオルゴール

Where do we go? Where do we go, hey now?”
君に届けるのさもうすぐ

間奏の半分がそのまま繰り返され、最後に「君に届けるのさもうすぐ」で楽曲が締めくくられる形となった。ここでの疑問は「『君』に対していったい何を届けるのか?」であり、私の見解では「おやすみなさい」が当てはまると考えている。根拠としては、ここまで題名に関連したパートが一つしか存在しておらず、あえて暗示的に楽曲に盛り込もうと考えるなら、最後にその意味合いを持たせることが妥当だといえるからだ。こう解釈すれば、楽曲の終わり方は非常に的を射た表現となったといえる。

おわりに

おやすみなさい、仔猫ちゃん!」は、落ち着いたメロディーとは裏腹に、身近なワンシーンから様々なことを想起、発展させていく小沢さんらしいスタイルの楽曲ではあったが、歌詞に散りばめられたエッセンスが多く、伏線が回収しきれないほど難解であった。また題名「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」の要素の明らかな少なさが、かえって題名に縛られない小沢さんらしさの体現になっていたのかもしれない。小沢さんが自らを投影している箇所も散りばめられていて興味深かった。改めて、この楽曲は非常に歌詞の情景と感情のリンクにこだわった素晴らしい作品であった。


 もりしゅんすけ

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