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絵を描くことと、言葉を紡ぐことの違いって?

絵を描くのが得意な人も、言葉を紡ぐことが得意な人もいると思う。どちらかが得意で、どちらかが苦手な人も、両方苦手で、音楽が得意という人もいるだろうし。

私の場合は、別に得意というわけではないけど、絵を描くことも、無駄に言葉を紡ぐことも好きだ。

で、私の場合は、両方とも、水溜りに、水滴が落ちると波紋が広がるように、何かしらの刺激に対して、絵も言葉も湧いてくる。

だから、絵も言葉も、勝手に湧いて来て、捨てるの勿体ないし、自分としては…なんか面白いよね…。という感じで、拾い集めている。

その感じたことを、記憶しておきたいのかもしれない。
多彩な色で現れる感情を、忘れたくないのかな?

でも、絵は湧いてきたそのままなんだけど、言葉はちょっと違う。

水滴の衝撃が大きいと、水の底までさらうように、自分もその衝撃に耐えなくちゃ行けなくて、でも、その衝撃に耐えるうちに湧いてくるのが言葉だ。

お陰で、衝撃を具体的に言葉にする事に集中するから、衝撃自体自体を直視しないですんで、以外に立ち直りが早い。

noteを書くようになって、結構な衝撃を受けても、「やった。ネタ見っけ。」と、変換が早くなった。

…それでも、ヤッパリ衝撃は痛いんだけど。

湧いてきた言葉をそのままnoteに載せているわけではない。
そのままだと生々しくて、リアルと妄想の中間くらいに脚色する。
キズをそのまま見せるのって、なんか違う気がするから。
出来れば、生々しいキズもこんな風に捉えられるよ…くらいまで、持っていきたいから。
「見て見て〜、私の傷。」って、見せられても、オェって感じになる気がする。

理想は三島由紀夫の「美しい人」だ。SFっぽいけど、現実的。人間の嫌なところもサラッと書いている。しかも美しく。
勿論、私にそんな高度な技はない。あくまで理想。

ものを書くのって、心の折り合いのつかない何かがある人、又は折り合いのつかない場合なんだと思う。
それで、私はこんな風に、折り合いつけました…とか、折り合いつかずに、こんななんだけど…って言うのを書くんじゃないかな?

私の場合、絵に関しては、ポンとやって来たモノを描く。そして、どんなに波紋が大きくても、渦に巻かれながら、心が上がったモノを描きたい。
人によっては、ものを書くってのと同じで、折り合いのつかなさや、ドロドロしたものを吐き出したい人もいる。

絵の先生は
「絵は自由だ。絵の中で人を殺してもいい。」
と言う、教えだ。
結果、何でもいいんだよね。

絵も、言葉を紡ぐのは、結果、何でもいい。
それぞれが、やりたいようにやればいいんだ。
でも、自由すぎると結構それが難しい。
自由すぎて難しいなら、自分で枠を決めればいいのだと思う。テーマを決めると言うか。

因みに、私は自由にさせて派なので、枠は嫌いです。
なので、noteでは、ややタブーならエロいものを書いてみたくなったけど、未だ思いつきません。

私の場合は、絵と言葉の活用法は違うけれど、結構同じ人もいるのかもしれない。人それぞれ。
絵と言葉を紡ぐ事の違いは、人それぞれ…という結果?

長々書いて、
自由でいいんじゃない…で終わります。
ここまでお付き合い、ごめんなさい。
…そして、ありがとうございます。


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