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いつかの先生へ
拝啓先生。
いつか先生が言ってましたよね。
病院に入院なんかするより、川や山の自然の中で暮らした方がよっぽど良くなるって…。
その言葉は、種となり私の中で少しずつ育っていたのかもしれません。
だってその通りだと思うんだもの。
太陽と共に起きて、沈んだら寝る。
太陽を浴びながら、草や花と生きる。
動物の世話をしたり、野菜に水をやったり。
雨の日は、ぼんやり雨をながめればいいし、寒い日は焚き火で暖まり、暑い日は木陰で涼めばいい。
そんな生活は、環境汚染も僅かで、エネルギーもそれ程必要としない。自然に優しいことは人にも優しい。
私はそれを楽園と思いました。
だからいつか、
楽園が作りたいと、体のどこかで思う様になっていたようです。
楽園には、
自分で生きるのが辛くなってしまった人が、何かに導かれる様にやって来ればいいと思うのです。
沢山の人がやって来て、お金を落とす仕組みではダメ。それじゃ、今の世間がやってる事と何も変わらない。そんな仕組みが辛いと感じた人が来ればいい…そんな風に思うのです。
友達のペンションは、深い森の中にあり、疲れてエネルギーエンプティの人たちが、導かれる様にやって来て、ぐーぐー死んだ様に数日眠り、目が覚めたら、恐ろしく美味しい友達のフランス料理を食べ、また、ぐーぐー眠り、また食べ、ようやく動ける様になると森を散策し、また食べ、眠り、復活して帰って行くのです。
友達は
「疲れた人たちが匂いを嗅ぎつけてやって来る。ちゃんと匂いを嗅ぎつけるんだよ。」
と、言っていました。
この世界は、必要なものはちゃんと与えてくれるんだなぁと思います。
私より先に友達は楽園を作っていた事に、今頃気付きました。
私の楽園は、
自然栽培の畑です。
自然栽培の畑は、きっと生きる力を与えてくれる…そんな感じがするのです。
と言っても、まだ、畑とは言えない、これから始まる世界で、楽園とはまだ呼べない場所ですが、これから育って行く楽園を楽しみにしています。
少しずつ少しずつ、何かが育って行けば良いのです。
一つだけやると決めている事があります。
それは小さなオリーブの森を作ること。
何故そんなことを思ったのかは分かりません。何となく閃いたのです。
「わー、最北のオリーブの森だなぁ。」
って。
それを友達に話したら、
「寒いから育たないよ。」
と、言います。
でも、そんな言葉はどうでも良いのです。
だって、育つから。そう決まっているのです。
でも、
「鳩が平和の象徴としてオリーブの枝を咥えて来たんだよ。」
とも、教えてくれました。
とても素敵なお話ですね。
オリーブが、平和と知恵の象徴だと言う事も私は知らなかったのです。
先生は今も、
誰かが元気になる場所を作りたいと思っていますか?
先生なら、私とはまた別の形の楽園を作るのでしょうね。
それぞれの楽園。
楽園が沢山出来ればいいなぁと思っています。
先生。
一つ気付いたことがあるのですよ。
それは心の渇きがどうやったら癒えるかです。
心の渇きを癒すため、足りない何かを欲しい欲しいと思っていました。
ところがなんです。
他人に、何かを差し上げないと心の渇きは癒えないのですね。
それはまるで、お布施の様な気がします。
お布施の三原則は、差し上げる人がやましい心でなく差し上げること、頂く人もやましい心なく頂くこと、差し上げるものが盗んだりしたものでないこと。
ありがとうと言う気持ちで差し上げ、頂く方は遠慮なく頂くなんて、不思議な感覚ですが、私は何かの根本を勘違いしているようです。勘違いしているものが何なのかは分かりませんが…。
物余りの時代、それはものとは限らず、時間や空間でもあるかもしれませんね。
半世紀生きて、ようやく何かが分かって来た気がします。
だけど、分かって来た気がする時は、まだまだこれからなのですよね。
これから、どれだけの事を知る事ができるでしょうか?
私が分かった気になっていたら、どうかご指摘下さい。
もし、
私が楽園を作ったら、先生も一度遊びにいらして下さい。
楽しみにお待ちしております。
どうか、お元気でいらっしゃいますように。
かしこ