三人のキョウコ : [short story]
西が言った。
「恭子さん、誘ったんだけどねぇ、この前、夜中に胸がドキドキして救急車呼んだんだってぇ。だから、来れないって…。
いっつも、体調が悪いって言うんだけど、この前、友達の個展の時は来てて、普通に見えたんだけど…。病気に負けてる気がするんだよねぇ。」
「会うと大概元気なんだけど…。」
と、もう一人の今日子。
恭子はもうずっと、どこか具合が悪いと、中々家から出て来ない。
でも、会えば元気なのだ。
「恭子さん、病気でいるのが落ち着くんじゃないかな?」
「そうだよね。病院、無茶苦茶詳しいもん。」
恭子とよく連絡を取る西が言う。
「恭子さん、会うの疲れるんじゃないかな?だって、会うといつも元気でニコニコして愚痴たりしないし…。」
と、ヨリは恭子を思い浮かべる。
「そうだねぇ。毒吐いたりしないもんね。毒を吐くのも必要だよ。そうしないと疲れちゃうもん。」
西があっけらかんと言う。
「やっぱり、溜めちゃうのかな? 毒は吐かないとダメなのね。」
と、今日子は柔らかい。
それに比べ西は
「そうだそうだ。」
と屈託ない。
ヨリはふと、話しを戻す。
「動悸がしたって、寝てればいいんですよ。深呼吸して、寝ちゃえばいいのに…。」
「え? だって、心筋梗塞とか脳梗塞とかあるでしょ?」
西が、それでいいの?と言うふうに言う。
「私も夜中にドキドキして、大丈夫かな?って不安になる。でも、朝起きると治ってるんだけど。」
と、今日子。
「でしょ?寝れば治ってる。
第一、心筋梗塞とか脳梗塞だったら、アラ?ドキドキする〜なんて、考えてられないですよ。深呼吸して寝ればいいんです。」
「でも、不安になるのよ〜。」
「今まで、女性ホルモンで生きてたのに、男性ホルモンがドーンと増えるんだから、ドキドキもしますよ。」
と、ヨリは笑ってしまう。
つられて、他の二人も笑ってしまう。
本当のドキドキの理由なんて分からない。
ストレスだってあるし、微妙なホルモンの変化で生体の反応は変わってしまうんだから。
だけど、最もらしくそう説明すると、殆どの人は安心するのだ。
安心して、落ち着くなら、はったりも有効と言うか、プラシーボ効果の様なもの。
本当の原因は不安…なのかもしれない。
勿論そこに病気の兆候が見えたら、「病院に行って」と言うが…。
と、ヨリは思う。
長く人を見て来て、ヨリは数字ではなく、その人の気配、気?みたいなものを感じるようになっていた。
数字より、気配は確しかで、本人訊ねると、本人も自覚症状を持っている。
逆に、もう直ぐ亡くなる人からは何も何も発信されない。透明と言ってもいいかもしれない。だから、もう直ぐ亡くなる事に気付き難いのだ。
それが、自死であろうと病気であろうと…。
それをヨリは魂が離れてしまうのだろうと、感じている。
「今度さぁ、ドキドキしたら、ヨリにドキドキするって電話すればいいんじゃない?」
と西が笑いながら言う。
「いいですよ。
大丈夫、寝てくださいって言うから。」
と、三人でまた笑ってしまう。
今日子は、不安になったからと言って電話するタイプではないのだ。
こうして会えば、「どうしよう?」と言えるのだけれど…。
一言「大丈夫」と言ってくれる人が傍に居なくても、電話して安心して、そうやって人は寄り添うしかないだろうに。
恭子、今日子とは別にもう一人の京子がいる。
先日ヨリに
「京子さんが、もうご飯も食べようとしないし、自分の事を一切しようとしなくなった。」
と、LINEが来た。
ヨリはやっぱり戻ってしまったかと、思った。
京子は先天性股関節脱臼があり、手術の時期を逃し手術出来ず、それでも杖を使えば歩けるのだが、自ら何もしない人なのだ。…生きること全て。
ヨリにはそんな人がいるとは、考えた事もなかったから、かなり戸惑った。
ただ一つ分かった事は、そう言う人もいる…と言う事だった。
そんな京子は娘たちから捨てられてしまったと言う。
京子は、体を洗う事から、動ごく事から、食事から誰かにやって欲しい人だった。
自分の足を誰かが洗うのを満足そうに眺めるのだ。
京子の楽しみは、誰かがそうやって自分の事をやってくれている瞬間なのだろう。
そして、誰も寝たきりでいる自分に構う事がなくても、「やって」と言わずに涙を流しながら、ただじっと待っているのだ。
ヨリが京子と出会ってからは、一つ一つ出来る事を増やして行った。
そして、
「私、普通におしゃれして歩いてみたいの。」
と、言うようになった。
「歩けますよ。」
「本当に?」
「本当です。杖は入りますが歩けます。ただ、リハビリは必要です。」
「だったらやる。」
「毎日ですよ。」
「大丈夫。」
そう言って、殆どの事を自分でやれるようになり、食事も摂れ、
「私、甘いものが好きなの。最近、太っちゃってぇ。」
と、笑うようになった。
ただ、そうなるには、リハビリを強要しているような日もあって、
「リハビリなんかやりたくない!」
と言う京子と、ほぼ喧嘩になる事もあり、ヨリは迷い出していた。
本当にこれは京子が望む姿なのだろうか?と。
そんな時は、京子の意思に任せる事にした。
すると、京子は夕方ごろ、
「何すればいい?」
と、ヨリの所にやって来るのだ。
全ての事を京子が自分でやるようになるには、半年かかった。
それに気付いた時、
「頑張ったね。」
と、二人で泣いてしまった。
その頃には、他の方とお茶会をしたり、散歩したりするようになっていた。
でも、ヨリがそこを離れると、京子はあっという間に、前の京子に戻って行った。
「本来の京子さんの姿は、いったいどれなんだろう?」
と、ヨリは分からなくなる。
京子の経緯を、LINEをくれた友達に一度伝えた事がある。
だから、
「愛情をあげて」
と、ヨリはLINEに返信した。
激務の老人介護で、果たして「愛情」は枯渇してしまわないのか?…と、ヨリは思う。
ヨリが京子の姿を頭に浮かべていると、
「最近はね、週に一回、出掛けると言うのを、理解してくれたようなんだけど、他の事は説明しても、覚えてないって言うか…。忘れちゃうのかな?」
と、今日子が言う。
今日子の母親の事だ。
「忘れるんじゃなくて、ピントが合わないだけですよ。本人の希望のピントと違うだけです。」
と、ヨリは返事をする。
「もう、何回も言うしかないのねぇ。」
「自分も言ったの忘れるくらいで。」
と、ヨリは冗談のように返事する。
「でもね。耳も遠いから、大きな声で言う時があるの。
…そうするとね。いつもそうやって怒り出すって、泣くの。」
ヨリは声のトーンを落とし、
「泣かれるのは、きますよね…。」
と、今日子の胸の詰まりを感じて返事する。
すると西が、
「わー!
泣かれるなんてうざったい!」
と、笑い飛ばして言う。
西らしい反応だ。
西だって、最近まで、義母の介護をしていて、ようやくそれが終わったのだ。
ようやく、笑い飛ばせるようになったのだ。
そこには、介護で疲弊する、疲弊した人たちがいるけれど、乗り越えれば、笑い飛ばせるのだとわかる。
西が笑い飛ばす横で、今日子は涙を堪えていた。
「一緒に、私、怒ってないのよ〜って、泣けばいいんですよ。」
と、ヨリは泣くゼスチャーを交え、出来るだけ深刻にならないように、今日子に言う。
今日子は、堪えきれず、涙をハンカチで拭いた。
「その度、一緒に泣けばいい。
でも、それも慣れて来ますから…。」
どれが正解かなんて分からない。
勿論、ヨリにだって分かってる訳じゃない。
人によって、言って欲しい言葉だって違って来る。
これが西なら
「もー、うざったいですよねぇ。」
と、同調した方が、西はスッキリする。
そう思っても、それが正解かなんて分からない。
正解なんか分からなくても、そうして支え合うしかない。
2025年には団痕の世代800万人が75歳を超える。超高齢化で、経済だけが懸念されるが、支え合うネットワークの方が必要だろう。
経済成長では救えない…。
果たして、高齢者に愛情は枯渇させられるんだろうか…。
自分が超高齢者なんて、生きてみないと分からない。
だけど、どう生きて行きたいか、覚悟は必要だろう。
次の世代に依存だけしてしまえば、愛情の枯渇は目に見える。
超高齢者の首を絞めるだけでなく、次の世代の首も絞める。
「神様は、超難問のクイズを出してくれるじゃないか…。」
と、ヨリは笑ってしまう。
そして、
「いいんだよ。正解なんてないんだから。」
こうして、一緒に泣いたり笑ったりすれば…と、思う。