老人は集団自決しろ…について
皆様は、成田悠輔氏の「老人は集団自決しろ」についてどう思われたでしょう?
私も、若者からすれば老人。
「なんもいえね〜。」
と、いう感じです。
でも、自決するまでもありませんが、国会とか見てるとそろそろ譲っても…と、思うことはありました。
ところが、今日はそれを身近に感じたので、ちょっと書いてみようと思います。
私の同僚は今年72歳。
72歳で仕事するって凄いです。だって、ついこの前まで定年は60歳だったんですよ。それから、65歳に伸び今や70代でも働く時代になった様です。
その同僚ともう一人70歳のスタッフと二人で、いそいそと仕事をする私に言うのです。
「私達より20も若いんだからやってもらわないと。」
と言うんです。
「若いって言っても、私も十分な歳ですよ。」
「年って言ったて、20も若いのよ。私たちとは全然違う‼︎
もう私たちは歳なんだから。
20も違うんだから、やってもらわないと。」
と、大声を張り上げ当然でしょうと言わんばかり。
私は喉元まで出かかった言葉がありました。
20年前、つまり同僚が私の歳に全く今の言葉と同じことを言って、研究丸投げしていました。
「じゃあ、あなたは一体いつになったら働くんですか?」
「あなたは50の時に自分は老人と言っていましたけれど?」
同僚は、面倒くさい仕事、難しい仕事は今もこうやって丸投げして来ます。
私が休んだ次の日は、処理されてない仕事がデスクに積み上がっています。
クレームも多くて、その度私が対処するのですが、クレームが入ったことを伝えても全く聞く気さえありません。
大声を張り上げるのを見ていたら、
『老人は集団自決しろ』
と言う言葉が浮かんで来て、
「そうかもね〜。」
と思ったのです。
高齢だからパソコン作業とか出来ないことは仕方ないかもしれません。
…と言っても、20年前もパソコン作業はあったのだけど。
面倒くさい仕事、難しい仕事はやらない…。
じゃあ、一体なんの仕事はするんだろう?
それは、仕事が出来ないって事になるんではないだろうか?
20年前にやって来なかったものを、自分を高齢者というスタンスで生きて来これば、20年経ったからと言って出来るわけがない。
仕事が出来ないのなら、辞めて次の人に仕事を回したほうがいいのでは?
仕事が出来なくても、1スタッフとしてその場所を占領すれば、次の人が入るスペースはないのですから。
…そうは言っても、自分も確実に歳はとります。
ただその場所にしがみつくしかないのでしょうか?
その場所にシガミツキタイと、思うのであれば、常に学習するしかないと思うのですよね。そうでなければ確実に老害になってしまう。
それから、年を言い訳にしては、いけないと思うのです。
年を言い訳にすれば若い人に、おんぶに抱っこになってしまいます。
それこそ老害です。
年を言い訳にせず、出来なければ非を認めて「ごめんなさい」と言う。「ごめんなさい」の数が増えれば、潮時を考えたり、働き方を検討して共存方法があるかを探して行くしかないと思うのです。
長生きするのも大変…なんて、ちょっと言ってみたくなりますね。
でも、長生きこそ、人間の欲するものだったはずなのに。
どうせ生きるなら、
自分のいる場所を老いに合わせて変えてもいいんじゃないかな?
しがみつこうとするから大変なわけで…。
私はベーシックインカムに期待していますけどね。
自分で仕事が出来ていないって、肌で感じるじゃないですか?
そしたら違う場所に移って、ベーシックインカムで暮らして、自分のその時できることをするのもいいと思っています。
近くの無農薬農家の手伝いをするのもいいな〜と、考えたりします。
あと、愚痴聞き屋さんとか、洋服の繕い屋さんとか、付き添い屋さんとか…。
ちょっとした隙間産業ですね。こうやって、収入を考えず探してみると仕事って色々ある事に気付きます。
一番大事なのは健康です。健康第一でなければ楽しく暮らすことは出来ないし、選択肢を得ることも出来ません。頭も体も思考も常に鍛えるしかありません。
今の社会は老いる事を良しとはしてくれない様です。
でも、確実に老いる。
上手に老いる方法は人それぞれ。
選択肢も、様々。
『老人は集団自決』…なんて、一波一絡げではないでしょう。
成田さんのキツ目なジョークってところですね。