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廉さん : short story
「世界を現すのには、言葉は少なすぎるのですよ。」
と、廉さんは言った。
果てのない壮大なものから、小さな波から細波まで現すには、言葉は少なそうだ。
それを現そうと、言葉を尽くせば尽くすほど離れていく。
言葉である形を作り出すと、似ているけれど、どこかもやっとする別の形が現れてしまう。
それは「嘘」と言っていい程離れてしまうこともある。
私が深く納得すると、
「ただの戯言ですよ。」
と、微笑んだ。
でも…。
言葉とはそれくらいあやうく、にせものなのかも知れない。
いや、にせものなのだろう。
それでも、廉さんの言葉はぐるぐる、ぐるぐる宇宙みたいで、何を言いたいのかじっと聞かないと分からなくなってしまうのだけれど、ずっと聴いていると、ある形がはっきり見えてくる。
それは、
量子がだんだん、だんだん集まって、静かに形が作られる様である。
余分な量子の中に、ある形がはっきり見えてくるのだ。
だから、量子が飛んで行かない様に、じっと息を潜めて聞き耳を立てるのだが、それはとても心地よい。
廉さんの隣は、この世界のどこにもない、静寂と言うものが存在しているのを感じてしまう。
廉さんが、ぐるぐる、ぐるぐる話す間、じっと耳を傾け、出来上がった形を言葉で現す事が出来なくても、静かに形が出来上がっていく様を見ているだけで、自分が穏やかになって行くのが分かる。
廉さんが、何かぐるぐる話し、何故かそれは少し怖い感じがしたのだけれど、一体何なのか言葉にする事は出来なかった。
「私は、私の中には、二人…二人より多いかも…。
私の中には、二人くらいいると思います。」
「そうなのですよ。人の中には二人いるんです。でも、それを言うと…。
怪しい人になってしまうでしょ?
世間では、言っては行けない事なんですよ。」
私が言葉に出来なかったのは、ある事実を廉さんは事実と伝えない様にしていたからだろう。
二人いるのは、ある人には事実でも、ある人にとってはクレージーなこと。
廉さんにとって触れては行けないものを語っていたから、私には「怖い」と言う何かが、形としてほんの少し現れたのだろう。
廉さんは、私が二人いることを認めるタイプと知り、話しの続きを始めた。
それから、少しして、
「人はマルチタスク…マルチタスクなんて何かを誤魔化してますね。誤魔化すくらいがいいのでしょうが。」
と、笑った。
こんなに穏やかに静かに笑う人はいるのだろうか?
つられて、私も口角を上げたが、自覚出来るくらい純粋な微笑みだ。
私が見えない何かを感じる人だと、ある意味信じたのだと思う。
そして話しを続けた。
「人は、一度に沢山の事をこなす。それはとても合理的に思えるけれど、あるものを見えなくさせているのですよ。沢山のものに紛れて、見えなくさせるんです。
沢山の事を一度にこなすうちに、こなす? 行う、ですかね。どちらでしょう?
こなすと言った方が合っていると思うのですが…。
人はそもそも、沢山のものを一度に出来はしないから、こなす…ですかね。
まぁ、そうするうちに、見えないものは存在しないものになっているんです。
例えば…。
じっと一つの事だけしていれば、空間に細かな亀裂がある事に気付くでしょう。
この世界は、3次元ですが、9次元までが同居しているんですよ。
その亀裂は次元の隙間です。
以前、亀裂にそっと触れた事がありました。そこには、私たちのルールではない世界がありました。」
と、空中を見ている。
「はははっ。
こんな事を言ったら、頭がおかしい人でしかありませんね。」
「そんな事はありません。
9次元かは分かりませんが、この世界に1次元や2次元を見る事は出来ないとは思います。でも、4次元や5次元の隙間はあると感じる事がありますから…。」
「はははっ。
そんな事を言ったら、冷たい目で見られてしまいます。これは私たち二人の戯言です。」
と、笑っていた。
戯言。
それはとても素敵な言葉だと思う。
この世界は全て戯言。
言葉も全て戯言。
その後、
いつもの通りを通っても廉さんを見かける事がなかった。
きっと、忙しいのだろうくらいに思っていたのだが、季節が変わり、ふと、どうしているだろうと気になった。
メールしたが届くこともなく、電話は通じなかった。例の
「オキャクサマノ オカケニナッタバンゴウハ ゲンザイ ツカワレテオリマセン」
だった。
廉さんの家は通勤路の途中にあったから、会社の帰りに行ってみたが、
もう家は「売家」になっていて、門は閉まっていた。
ただ、アブラゼミだけがじりじり、じりじりと鳴いていて、額の汗が滴になって地面に落ちた。
きっと、空間の亀裂を開けて、違う世界に行ってしまったんだ。
もし、私が亀裂を見つけても、廉さんと同じ空間に存在する事は出来ないだろう。