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世界の果てまで行ってrun!ってほどでもないけれど

走り出したきっかけはいろいろあるけれど、何より気軽に始められたってのが大きい。シューズを買って公園にむかえばよい。でもそれって大きな視野で見ると、すぐに走り出せるきれいで安全な道路や公園というインフラストラクチャーがあって初めて言えることだよね。普段は意識しないことだけど、空気つまり大気だって、季節に伴う温度や湿気だって、そうしたものが整ってるから気軽に走り出せるのだ。

僕は出張先にシューズを持ってゆき早朝に走ることが多いのだが、各国で走りつつそんなことを感じる。

ロサンジェルスの郊外でホテルからレドンドビーチへの一本道を夜明け前に走る。道路はきちんと舗装され、歩道も広い。歩道の脇は手入れされた芝生の庭、玄関に続く敷石には朝刊が投げ込まれる。街が起き出す前の空気は澄んでいる。だけど車には気をつけろ。反対側から走ってくるぞ。ビーチ前にはランニング用の道が海沿いに見えないほど向こうまで続く。おじいちゃんとおばあちゃんが散歩して、マッチョがグングン進み、クールな女性が軽快に走ってる。砂浜で佇むスリムな後ろ姿はヨガのポーズか?

ところがその足でメキシコシティまで飛ぶと様相が違う。まず空気が排ガスで汚れている。そもそも治安が悪いので暗い公園は走る気がしない。かといって高級なブティック街ポロンコは一番安全だというが、装甲車みたいなパトロールカーが見回っている。そんななかを走るのは興醒めだ。となるとホテルのジムで走ることになる。これはつまらない。景色がないから。ひと気のないジムでひとりマシンに乗る。退屈だけど音楽聴きながら20分。前日のメスカルのせいかすぐに息があがる。頭がふわふわ飛んでゆく。マシンを降りると、地球に久しぶり降りたった飛行士の気分がした。めまいがして倒れかかった。そうだメキシコシティは空気が薄いのだ。海抜2240m。慣れない異邦人は普通に暮らすだけで痩せてゆく。

先進国だからってどこも快適に走れるってわけでもない。イタリア南部の工業都市ターラントでの早朝ランは犬のウンチに悩まされた。いたるところに落ちている。飼い主頼むよ、ピアチェーレ。でもランナーは多い。「一緒に走ろうよ」って仕事相手から誘われた。朝5時でもいいかい?と聞いたら断られた。こっちは時差で眠れないから夜が長過ぎるんだ。朝はさっさと走り出したい。夜のディナータイムにお偉いさんからムラカミの「ランの本」は読んだか?と聞かれた。
『走ることについて語るときに僕の語ること』
大学教授然とした彼もランナーなのだ。こんなエッセイまで世界で読まれてるんだなムラカミは。帰国してからあわてて読んだわ。

ローマ中心部で走るとそこら中に遺跡がある。ついつい横目でカラカラ浴場を見ながら走っていると何千年前のものか知らないけれど石畳につまづいてもんどりうって倒れた。受け身は取ったので、仕事前に顔に傷をつくるってのだけは避けられた。でも思いのほかダメージが大きくUber呼んでホテルに帰った。ああこのウーバーはタクシーの方ですよ。

郊外のホテルから夜明け前に走り出すと真っ暗な樹木の間を石段が高台まで続いていた。こういうのは必ず登る主義。その先には白みがかった空をバックに教会が建っていた。信仰心は薄いがこういう劇的な登場をされると荘厳な姿に圧倒される。教会のまわりを数周走り、ファザード前の石段を上がり締め切った鉄製ドアの前で腰掛けて休む。涼やかな風に吹かれつつ夜明けを待つ。先ほど上がってきた樹木のあいだから街並みがぼんやり見えてきた。この教会は古くから街に君臨してきたんだろうな。なんてことを思いつつまどろんでいたら、鍵を外す音がして我に帰る。驚いて振り返ると大きな黒い扉が開いた。もしかしたら驚いたのは開けた側だったかもしれない。鐘が鳴ると駐車場にまばらにおいてありそれまで無人だと思っていた車から人がそろりそろりと出てきた。この宇宙はオレ1人の静寂の世界ではなかったのだ。朝の祈りの時間かな。とたんに異教徒感がせまりきたりて、そそくさと教会を後にした。

熱帯ジャカルタの高層ホテルにチェックインして大きな窓から外を眺めると眼下に深い緑におおわれた巨大な公園が広がっていた。明朝はここでランだ。ジャカルタでは夜中でもコーランが流れる。出張の身の眠りは浅い。

朝公園に向かおうとホテル裏に出ると公園とホテルの間に高架高速道路が行手を阻んでいる。ホテルに戻りドアマンに向かい側の公園までの行き方を尋ねると高速を歩いて横切って非常階段から降りろという。急発展した途上国は急激なモータリゼーションによる渋滞解消のため自動車専用道路が乱造され、庶民歩行者の存在なんて考慮されていない。粗製かわからないが乱造のせいで夕方必ず来る熱帯のスコールどきには、低い道路は水がはけずに車列の動きは長時間止まる。

ホテル裏口から降り立った高速道路は首都高のように急カーブが続いており視界が悪い。当たり前だが車はみんなすっ飛ばしてる。タイミングをはかり小走りで渡る。鉄製の華奢な非常階段を降りて公園に向かった。大きな園内を走り出すとすぐに日差しが強くなってきた。ジャカルタは朝でも暑い。緑の中を日陰を選んで走るがすぐに汗が吹き出す。前日のやし酒も外に出る。喉が渇く。そうだここはジャカルタだ。公園の水なんて飲めない。もちろんコンビニもない。水分という基本的な準備もなく走り始めてしまい巨大公園の反対側まで来てしまった。このままでは力尽きる。はるか先に泊まっている高層ホテルが見えた。遠くまで来てしまった。ゆっくり走って部屋まで戻る。もちろん高速道路を超えて。

冬のソウルではハンガン(漢江)のほとりを走った。寒い。その日の朝はグエムル(怪物)は暴れていなかった。しかしランニングコースには人は走っていない。時々サイクリング車が通り過ぎる。みんなカラフルなサイクリングスーツを着ている。なぜ走らないのか?あとで気付いた。自転車を漕ぐ人々はマスクしている。空気が悪いのだ。乳白色のソウルの寒空は大陸から風に乗ってミセモンジ(微細ホコリ=PM2.5)が漂っている。川を見渡しても水面が朝靄のように翳ってる。少し黄色く。つまり、走ったら身体に悪い。これって昭和のニッポンだ。中学校の周り走ったら喉がヒリヒリしてきたあの頃。ランニングも簡単じゃない。

冬の瀋陽は寒過ぎた。マイナス20℃。道路には引き締まった雪がまばらに残ってる。ダウンジャケット来てマフラーしても耳がキリキリ痛い。タイツにジャージ、ウィンブレでも膝が固まる。小走りしても普通に息ができない。散歩にしよ。写真撮るにも手ぶくろ外すとカラータイマーがなり出す。

つまりどこでも気軽に走り出せるわけじゃない。ましてや国中でマラソン大会開けるとこなんてそうはない。こんなことをつらつら考えつつ沿道の歓迎ムードのなか金沢マラソンを走った。3年ぶりのフルマラソンはきつかった。海外の大会で走れる日はいつ来るだろうか?

以上

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